神(大自然の意識)の存在を自覚する為に

 

悪い事が起きる時、悪いものがそろうものです。
①地球が汚れている ②地球の地軸の変化 ③地球人の心の混乱
と悪い状況がそろっています。


社会を成り立たせている建て前と本音。

管理社会には建て前が必要な時もありますが、しかし、天井知らずの経済的欲望に取りつかれて自分の立場を主張し利益を得る方法だけを考える。欲を出し見返りを求め権力や金の力で自分達だけ都合のいいように約束事を求める。言葉を巧みに良く見せる言いまわしをして建て前をまかり通るようにする等。本音を裏に。
根本を変えずに上辺だけで支援しているから問題が解決するはずもない。真実を見落すことのないように正しくものを見る洞察する心構えを身につけたいものです。

 

金持ちと貧乏の差が非常に片寄っています。お金があるから仕事をしないで遊んで暮らせるのが幸福という考えではなく、あまりあるお金は分け与え明るくのびのびとした心で目的をいだいて働く姿が人間の生き方です。

財産があっても全体の調和がくずれると自分自身も生きていけなくなることを知っていただきたいのです。

欲ではなく義務と責任を自覚しましょう。

 

人間は自然を思いやり自然が生き生きと生きていけるように、手間のかけかたを間違わないように手間をかけることにより、自然も人間が生きていけるような良い環境にしてくれるのです。

自然を犠牲にしてまで人間だけに都合のいいように、やりたいようにやるということを続けていたのでは、地球に人間が住めなくなってしまいます。未来の人達や未来の自然の幸福を考えた生活をしていきましょう。

 

自然の恵みがあるから生きられる私達。私達は、この世に生まれ、あの世に帰り、またこの世に生まれてくるという、くりかえしを続けていますが、自然の物も私達をささえるために生まれてきて、あの世に帰り、また、この世に生まれてきています。

私達の身近なところを考えてみますと米や野菜から「食べられたくないんだ」と、こばまれたらどうでしょうか。

米や野菜にも感情や言葉があります。そして水にも感情や言葉があり、その水は私達の生活になくてはならない命です。

水は私達に「感謝しなさい」とも言わずに身を供養するという役目を果たすことによって、この世の目的を終え、あの世に帰り、またこの世に生まれてきます。

自然にある物は生命を差し出し見返りを求めることなく、たがいに補い合い助け合って未来へと命をつないでいます。動物だけが生きのびるとか植物だけが生きのびるということは神が許しません。

植物は動物からのエネルギーを供給して生きています。動物も植物を通して肉体を生かします。

人間だけではなく動物、植物等、総てに感情や言葉があり心の成長をしていくようになっています。

万物がそれぞれに役目を果たしていますが万物はバラバラではなく、ひとつの物です。

全体を生かすという全体への調和は神の慈悲の心です。私達は自然から見習うことがたくさんあります。

そして食事をする時は感謝し無駄のないようにしたいものです。使い捨てることなく物を大切に使うということも忘れずに。

人間の価値を決める価値判断の規準は大自然の姿です。

 

広く考えてみますと遠くは太陽、足元において大地は、空気等、感情や言葉がありますが、ちなみに太陽の方から話がある時は太陽の意識が私のそばまで来ます。

太陽の意識は人間的に表現すれば男のやわらかい巾のある声で、おちついた話し方をします。

人間は言葉のなかった時代どのようにして理解していたのでしょうか。テレパシーで会話をするのが当たり前でした。

現在、地球人は他の天体との交信が出来なくなっているのが当たり前になっています。

 

モーゼが海を分け道をつくって人々を導いていった話は有名ですが、モーゼは40年間かけて人々をカナンの地へと導きました。なぜ40年間もかけたのでしょうか。

モーゼは先住民と争いごとが起きないように心の在り方を説きながら、ゆっくりと時間をかけ少人数ずつカナンの地へと送り込んでいったのです。そして先住民の人々にも心の在り方を説き、お互いに仲良く協力する方向にもっていきました。

毎日の生活において食べ物が無くなり困った時は、モーゼが必要な食べ物を人々に分け与えたのです。

一念力のエネルギーを正しく用いるならば、形を造形することが出来るのであり空間にエネルギーを注入すると物質を取り出すことが出来ます。
一念力は物です。

自然と私達が調和しようとするならば必要な物は神が私達に与えてくださることを知っていただきたいのです。山や大地を動かし水の流れを変える。

病気や負傷を治せる等、奇跡や神通力を使うということは、この世から見ると神秘力ですがあの世(天国)から見ると当たり前のことを使っているにすぎません。

 

人には言葉や文章のみで心というものを理解し自分を反省し自分の悪いところを認め改めていく人がいます。また現実を見て心を理解し悔い改めるが先のことよりも今さえよければいいという考えで現実と妥協し改めることをしない人や、話を聞いたり奇跡や現証を体験することによって理解しても実践しない人もいます。

今の世の中、お金や権力、ごきげんをとる等をして評価を得ている人達がいますが、人の評価は人が決めるものではなく、神が決めるものです。同じ志をもつ人達がメディアとして活動している事を神に感謝します。

 

人間は自然の姿を見習って日常生活をしましょう。

正しい秩序や道徳を生かした自然と人間が調和する社会をつくっていくという神の目的があります。

その目的に反した行動や考えが原因となって天変地異が起こるのです。

良い行いをすれば良い結果がでて、悪い事をすれば悪い結果がでる。

そのように神が仕組んでおり、そうすることによって人間は、なぜ、このように辛い生き方をしなければならないのかと考えて気付いてもらう為に。

信じようと信じまいと神がそのようにつくられており、どうにもならないのです。

神は絶対であるという言葉はここにあります。私達は神の目的を果たす為に生かされ生きてます。

「宇宙は神」(大自然の意識)の物であり神が創造しました。

私達はお金を神に払うことなく、ただで地球を利用しています。神はお金や人間の作った物はいりません。
私達の正しい心が欲しいのです。

神(大自然の意識)の存在を自覚する為に神(大自然の意識)にささえられて生きていられるんだと気付く為に、権力や金の力ではどうにもならないのだという人間の無力さに追い詰められる体験をしなければならないとしたならば悲しいです。

これ以上、人間の犠牲を出すことのないように意識を変え実践することが先決です。

 

次回は心とはどういうものなのか、についてふれてみたいと思います。

 

 

2016年3月

橘    鞠