反地球からやって来た救い人(はんちきゅうからやってきたすくいびと)  【(2)】

先ず、今の世の中には正常と異常の分別がありません。

正常(正しいとされる状態)とは個々人の判断によって定義できるものではありません。正常とは時間変化を伴いながら全体のバランス(調和)が持続されていく状態のことです。その根拠は、個々人が正常と判断した内容が、全体のバランス(調和)を崩す内容の場合は限界を超えて自滅に追い込まれるからです。自滅して持続しない状態は正しい状態ではなく、自滅せずに持続される状態を、正しい状態「正常」と呼びます。宇宙・自然の森羅万象のバランス(調和)を持続させている事実を根拠に正常を導出します。

以下に3つの根拠を記します。

 

①)根源的本質の存在

有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」の状態を取る)。これが根源的に大きな部分として、細かな部分の多様性(森羅万象)の条件「表現」に対して、揃えられる条件「本質」である。この一点の本質から多様性(森羅万象)が展開されていく。本質の意味を否定する条件「表現」は未熟な自分勝手な自由で多様性を誤魔かしている。人類の歴史の過ちのすべてがこの過程にある。本質は「なかほど」による全体のバランス(調和)を意味するので整合性が取れずに矛盾して自滅に追い込む。自分勝手とは有限が持つ価値の誘惑に負ける未熟にある。認め合い、譲り合う心が育っていないために自分だけの世界にはいり、自分だけ良ければよいという心から有限が持つ価値の誘惑に負ける。

②)流動的に時間発展する「なかほど」バランス(調和)

有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」の状態を取る)。これを基礎とし、細かな部分の多様性(森羅万象)は時間と一体化した関係を持つ。時間も多様性(森羅万象)の一つであるが、時間発展性を与える大切な要素である。

)多様性(森羅万象)の「なかほど」バランス(調和)

有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」の状態を取る)。これを基礎とし、細かな部分の多様性(森羅万象)の条件「表現」が揃うか否かを比較(見比べる)判断し、揃えられる場合も揃えられない場合の条件も認めて自己都合で誤魔かす関係はつくらない。揃えられる場合も揃えられない場合の条件も互いに認め合い、譲り合って(出し合って)ワンセットで揃え、一体化の関係を持つことにより、時間発展する(時と共に変化する)全体のバランス(調和)を確保して有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)。根源的に大きな部分の条件「本質」の一点に戻る。多様性によって全体のバランス(調和)は成り立っている。認め、譲る(与える)姿勢から揃えられる事と揃えられない事の分別を持って多様性は存続している。多様性とは全体にバランス(調和)を与える。故に全体のバランス(調和)を崩す条件は多様性に含まれない。自分勝手な未熟さが原因して認め、譲る(与える)ことができずに「ひがみ、妬み」は生じる。比較の役割は条件が揃えられるか否かを明確にすることであり、揃えられるか否かを思い通りにすることは誤魔かしになる。それが比較の限界を超えた比較不可能(比較対照外)行為になっていく。故に有限を否定しないことを基礎とする。限界・限度を超えない「なかほど」のバランス(調和)が宇宙全体の全てに共通する本質である。比較に限らず、限界・限度を超えない分別を持った「なかほど」のバランス(調和)がキーポイントである。細かく見ていくと最後には揃えられないと判断されて比較の役割は終わる。それ以上は比べようが無く比較不可能になる。この理解がなく、また認め、譲る(与える)ことの未熟な人は比較の限界を超えて、揃えられるか否かを自己都合で誤魔かして「ひがみ、妬み」になり易く、非常に危険であるため、極論として「比較してはならない」と指導することになる。揃えられるか否かの比較の結論は誤魔かせない。幾度も細かく見ていくと最後には自分は自分、相手は相手の揃えられない個々の多様性が理解できるようになる。個々の多様性が関係するのは大きな部分で揃えられる条件であり細かな部分で揃えられない条件とは関係がない。正常も異常とは揃えられない。正常は相手の自分勝手な異常な部分とは関わらない。正常は相手の長所である正常な部分と関わる。人は正常(長所)と異常(短所)の両面を必ず持っている。だからこそ、互いに長所の正常部分で依存関係を構築して、互いに短所の異常部分は教え合うという事が依存関係を構築する最善の人間関係となる。細かな部分の多様性(森羅万象)で揃えられる根源的な本質である有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」の状態を取る)においては皆例外なく関係している。わがままな未熟さから関係の有無を都合良く誤魔かしてしまう。誹謗中傷は細かな部分で揃えられない条件で関係がないにもかかわらず、都合良く揃えさせようと意識する。誹謗中傷はアンチの「いじめ」と呼ばれる。比較してならないとは、都合良く揃えさせようとしないことである。逆の場合にも注意しなければならない。比較しなければならないとは、揃えられる条件で関係があるにもかかわらず、都合良く揃えないように無視する場合である。大きな部分で揃えられて一体化できる条件を誤魔かし分離する。どちらの場合であっても「わがまま」で揃えられるか否かを誤魔かして根源的に大きな部分の条件(本質)を否定する異常「いじめ」である。結果、一方的な行動が自業自得の苦しみとなる事を知り、認め、譲る(与える)ことを自覚して自分の思いどうりにしたいという執着を捨てる事。これが加害者の救済である。全体のバランス(調和)のために認め、譲る(与える)ことのできない自分勝手な思いは全て執着となり心を重くする。全体のバランス(調和)のためには有限の現実から目をそらさない。有限の現実を誤魔かし、有限から現実逃避してならない。お金で権力を都合よく操作して合法化による権利として自己都合を誤魔かす者達の生き方は有限(の現実)を否定した代表例である。

 

初めに限界を超えない「なかほど」を構えること無く、全体のバランス(調和)を持続することはできない。これが、揃えられる事と揃えられない事を分別する規準になる。性別のように簡単に判断できることばかりでなく状況判断が必要とされる。限界を超える状況が起き始めた場合には、揃えられる事と揃えられない事の分別の欠如が原因となっている。限界を超えるとは、我慢のみで打開策が無く、持続不可能から自滅する状況のことである。揃えられる事を揃えず(比較できる事を誤魔かす)、逆に、揃えられない事を揃えさせている(比較できない事を誤魔かす)。揃えられるか否かを判断するという比較の役割が誤魔かされた状況であり、比較できることか否かの分別が無い。貧困では限界を超えて生活破綻している。貧困が起こる社会の経済バランス(調和)は限界を超えて崩れている。お金に恵まれている人だけで社会は持続しない。全体にバランス(調和)を与える多様性を消してはならない。

この比較の役割を誤魔かした人の誤りを代表的な問題から見ると、

ⅰ)本来は「揃えられる事でも揃えられない事」にする誤魔かしの場合(妥協含む)

例1)

株式売却益・株式配当金・預金利息(金融所得)が所得税の超過累進税率となる総合課税から分離されていること。所得税とは個人が年間に得た所得に対して課せられる税である。比較により所得分類までは揃えられないが、所得という内容までは条件が揃えられるとわかる。条件が揃わなければ比較は不可能(比較対照外)である。比較が取れるか否かから条件が揃えられるか否かを判断できる。所得税は揃えられる所得という条件に対して比較を取り、納税者全体の税負担バランス(調和)を取るのが役割である。これが税の役割の一つである富の再分配である。そして、揃えられない所得分類が一体化の協力関係を持つことで所得税は成立する。これは富裕層に有利な税金不平等問題である。

例2)

貧困では生活が否定されている(成立しない)。生活が成り立たない状況と成り立つ状況では、成立と不成立で条件が揃えられないと判断され比較の役割は終わる。成立と不成立ではそれ以上は比べようがなく比較不可能(比較対照外)となる。揃えられる判断がされる内はより細かく見て揃えられないところまで比較判断が取れる。貧困に追い込まれなければ生活が成り立つ状況として揃えることができて比較可能であった。そして細かな部分として比較を取り生活水準の差異は揃えられないとされた。足ることを忘れた富裕層による貧富の格差拡大問題である。

例3)

裏切る側の行為である。本来は相手の信頼に応えられる(揃えられる)ことでも、応えられない(揃えられない)ことにして相手をあざむく(誤魔かす)。

ⅱ)

本来は「揃えられない事でも揃えられる事」にする誤魔かしの場合(妥協含む)

例1)

誹謗中傷の態度である。自分の思いや考えと揃えられない事に対して攻撃の態度を取る。それは自分の思いや考えと揃えさせたいとする態度である。この態度はアンチと呼ばれる場合もある。直接的関係(家族、友人、恋人、同僚、ご近所・・)、間接的関係(特にSNSなどの媒体を通す環境)の双方で発生する。戦争、紛争と同じ。規模の大小は関係ない。

例2)

裏切られる側が裏切る側を憎む行為である。裏切る行為は過ちであるが、それを憎む行為の過ちの根拠がこれである。相手の行為までは揃えられないのである。厳密には相手の心までは揃えられないのである。例えそれが自分勝手の過ちであっても。信頼関係を築くのはバランス(調和)を取る行為であり多様性を生かすことで過ちではないが、人格者と呼ばれる方でも完璧ではない。過ちを犯すことがある。故に、完璧の前提で考えることは除外する必要がある。信用事でも相手が完璧に応えると勝手に思ってはならない。結論として、過ちが起こる環境での状況判断から、心の中は半信半疑で問題ない。しかし、人間不信も限界・限度を超えると生活は続かない。心が折れては元も子もない。この場合は生活環境を変える以外にない。罪には反作用(自業自得)を通して必ず清算することになるので報復は自らの罪を上塗りするだけである。罪の芽は自分で狩ることになる。そこで怒りの思いでも、正常ならば異常とは揃えられないので無関係であり異常の部分に触れないようにする亊。気持ちを別に向けることで愚痴(満足の欠乏)の穴が埋められる。別のことで満足感をマイナス値(不満足:憎しみ)からプラス値(満足:囚われがない)に復帰させる。元気とはプラス値の正常であり、元の気の状態である正常に復帰すること。ハムラビ法典では報復の連鎖が止まらないので穴が永久に埋まらない。

 

比較に関する誤りが深刻な「いじめ」のはじまりになります。「差別による不平等」です。比較に関する理解が改めて必要です。

 

「比較(見比べる)」の役割を理解します。

「比較(見比べる)」の役割とは、バランス(調和)を考慮した大きな部分(大雑把な部分)で条件が揃えられる判別をして、さらに細かな部分でも揃えられるか否かをはっきりさせることです。バランス(調和)を考慮するとは、細かな部分が偏りなく網羅してあるということです。細かな部分の多様性が確保されていることです。ここで、揃えられない条件の中でさらに細かな部分でも揃えられるか否かをはっきりさせることはできません。揃えられない条件では比較不可能(比較対照外)となります。比較の限界を意味しています。そこで、揃えられない条件まで達した時には認め合って自立し(自分は自分、人は人)、自己都合で揃えられない条件を誤魔かす関係は持たないようにします(反対に揃えられる条件を誤魔かす関係も持たないようにします)。比較の限界の先では、譲り合って一体化した協力関係を持ちます。揃えられない条件を出し合うことで互いの立場から同じ条件を不足無く揃えた関係を持ちます。例えば男女(性別)は揃えられませんが、揃えられない性を譲り合ってワンセットで一体化します。男性から見ても、女性から見ても男女という条件で揃えられています。男性の立場では男のみ、女性の立場では男女ならば片思いであり同じ条件を不足無く揃えているとはなりません(反対も同じ)。細かな部分で揃えられない条件を認め合い、そして譲り合って一体化することで大きな部分(大雑把な部分)に戻ります。揃えられるか否かを誤魔かさず狭い世界から広い世界へさらに多くの揃えられない条件を認め合い、そして譲り合って一体化を進めていく亊で大きな部分は成長します。バランス(調和)の境界は時間と共に広がりを見せます。成長過程では「認め合い」と「譲り合い」の未熟さから比較の役割が守られずに「いじめ(差別による不平等)」が発生します。戦争は大きな代表例でしょう。大きな部分は最後に有限の現実を否定しない、限界・限度を超えない「なかほど」として一体化されて揃えられます。つまり、大きな部分でバランス(調和)を満たす条件として有限を否定しない、限界・限度を超えない「なかほど」によって宇宙全体の多様性は網羅可能になります。自然科学は有限の否定ではなく、有限を凌駕した世界の探求にも入ります。いまは、有限を否定してしまう特異点の発生が深刻な課題であることがわかります。

 

「揃えられる事でも揃えられない事」にする誤魔かしの場合(妥協含む)

「揃えられない事でも揃えられる事」にする誤魔かしの場合(妥協含む)

で見たように、都合良く揃えられるか否かを決めつけるのは比較の役割ではありません。また、揃えられるか否かをはっきりさせることで優劣関係が発生するのでもありません。結果、誤魔かしの場合、比較の役割を自覚していないので比較対照外(比較の限界)になる過ちを犯します。有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」の状態を取る)姿が宇宙・自然の森羅万象のバランス(調和)を持続させている事実であり、比較行為も同様です。

 

大きな部分(大雑把な部分)では揃えられる条件の中において、さらに細かく揃えられるか否かをはっきりさせる例として「容姿」を考えてみます。「容姿(姿形)」は大きな部分(大雑把な部分)として揃えられる条件です。さらに細かな部分の条件では身長、髪の色、肌の色、目の色、顔の輪郭・・・その他の条件が出てきて、それぞれの条件において互いに揃えられないことがわかり比較対照外(比較の限界)で終わります。それぞれの条件において、一人一人が厳密に揃えられることはありません。美しい人だと思う時には比較の役割が働いています。一人は顔全体、他方は目だけを見て比較はできません。また一人は顔、他方は足でも条件が揃えられないことで比較の限界となります。これで判別する場合は差別による不平等となります。美しいと思うのは条件の揃えられる大きな部分(大雑把な部分)での判断であり、さらに細かな部分まで含めた判断は比較の限界からできません。これは大きな部分のバランス(調和)は小さな部分の揃えられない多様性から成り、型にはめて決めつけられないことを意味します。「容姿が美しい」を決めつけるのは不可能ということです。コンテストでは揃えられる大きな部分(大雑把な部分)で任意の優劣基準を設けています。比較の限界から美しい人を定める解は不定義です。比較の役割を誤って多様性を認めない(否定する)行為が「差別による不平等」であり、これが「いじめ」です。但し、「いじめ」の本質まで理解するためには有限を凌駕した世界である心の実態と本質、心の機能や構造まで知る必要がありますが、ここでの詳細な説明の保留をご了承願います。

 

「比較(見比べる)」の誤りを整理し直して、しっかりと比較の認識を改めましょう。

比較の役割とはバランス(調和)を考慮した大きな部分(大雑把な部分)で条件が揃えられる判別をして、さらに細かな部分でも揃えられるか否かをはっきりさせることです。しかし、「認め合い」と「譲り合い」の未熟さから、自己都合を優先するために比較の役割を誤魔かすと、誤魔かしはバランス(調和)を無視するので、大きな部分(大雑把な部分)、細かな部分問わず多様性を否定する結果となります。つまり、

誤り① 揃えられる事を揃えられないように誤魔かす。

誤り② 揃えられない事を揃えられるように誤魔かす。

これはすなわち、

誤り① 条件が揃うので比較できるのに誤魔かす(比較可能を認めない)。

誤り② 条件が揃わないので比較できないのに誤魔かす(比較の限界を認めない)。

これが、差別による不平等「いじめ」となる。

優劣とは、人が任意の優劣基準を設けることによって生じるものです。比較だけでは優劣は定まりません。比較の役割は揃えられるか否かをはっきりさせることであり、揃えられない大小関係があっても、単に大きい方が優れているとは定義できません。重力場では計量の変数成分が示す通り、場所が異なると時間の流れ方が変化して揃えられません。この時、時間の流れが速いか遅いかの間に優劣関係は定義できません。ここには優劣基準は設けられておらず、本来の比較の役割しかありません。但し、優劣や順位を設ける事が誤りなのではありません。ここで注意を払う必要があるのは「任意」です。任意とは、定められた方法によらず、人の思うままに、自由な判断に任せることです。ここで「自由」の部分に誤りがあります。自由とは、正常(①~③を満たす)を前提とします。故に、多様性を否定する優劣や順位の在り方の場合は差別による不平等となります。試験結果の首席以外が否定されることはありません。不合格は差別による不平等とはなりません。定員には限界があります。合格にする場合にも最低ラインの限界があります。優勝者こそ美しいと決めつけるコンテストの場合には多様性の否定から差別による不平等となります。有限は否定できません。

 

特に「ひがみ、妬み」は揃えられない条件なのに優劣基準が設けられている状況で発生します。揃えられない条件では比較不可能(比較対照外)となり、比較の限界を意味しています。「認め合い」と「譲り合い」の未熟さから、自己都合の優劣によって比較の役割を誤魔かすやり方は認められません。

 

比較の役割を図で表してみます。A)とB)の二通りの場合に気が付きます。

A) 比較して揃えられない事がわかる    B) 比較して揃えられる亊がわかる

 (大きな部分)          (細かな部分)     (大きな部分)          (細かな部分)

   肌の色        ⊃       黒色の肌        肌の色        ⊃      黄色の肌 

       肌の色        ⊃       黄色の肌        肌の色        ⊃      黄色の肌

   肌の色        ⊃       白色の肌        肌の色        ⊃      黄色の肌

簡単に、色は3色に限定しています。厳密には同色でも個人差で揃えられません。

・バランス(調和)、すなわち多様性を確保する全体の範囲(大きな部分)を定めると、大きな部分は全体範囲の多様性(構成要因)が揃って関係するという表現になる。

・全体にバランス(調和)を与える多様性が確保される内容の条件で揃える。

・肌の色は大雑把に揃えられた条件であり、全体の範囲を考慮して多様性を確保する。世界全体の場合に黄色の肌で揃えてしまうと、黒色と白色は抜け落ちてしまう。

・さらに細かな部分の肌の色が揃えられるか否か分かれば、比較の役割は終わりである。

・比較の役割が終わった後で、揃えられない条件(黒色、黄色、白色)では比較対照外であり比較の限界(比べようが無い)となる。肌の色に関して揃えられた条件(黄色のみ)では、肌の色に関しては比較不要(見比べる必要無し)となる。条件を肌で揃えて肌質が揃えられるか否かを見る比較は考えられる。但し、細かく見ていくにも最後には揃えられない比較判別がされて限界がある。

・有限を否定しないことから比較の限界を忘れてはならない。

・妥協とは、この例で見れば分かるように不可能を我慢で誤魔かしているだけである。肌の色を誤魔かすことは比較の誤り①、②の内容である。

・肌の色が異なる場合は条件が揃えられていないことが比較判別済みであり、比較の役割は終わっており、既に比較対照外である。しかも、この状況でさらに肌の色の多様性を否定する優劣の基準を設ける行為は人種差別としてはっきり断言できる。肌の色は生物多様性として定義可能である。肌の色の違いは生物全体のバランス(調和)を取るために欠かせない多様性だからである。肌は人間だけが持つものでもない。

 

比較の役割を誤魔かす場合を図で表してみます。

誤り① 揃えられる事を揃えられないように誤魔かす(大きな部分を誤魔かす)

(大きな部分)          (細かな部分)         納税者全体のバランス(調和)を取る

    年間所得       ⊃      配当所得      ために、大きな部分(大雑把)で揃え 

  年間所得       ⊃      金融所得      られる条件を基に比較を取る必要があ

  ・・・・・・・・・・・・・分離   る。貧富の格差は貧困を生む。貧困で

  年間所得       ⊃      給与所得      は生活が限界を超えて成り立たない。

                    よって、条件は揃えられると判別し、

                    最善の工夫をする決断ができる。

年収1億円を超える辺りからの所得分類は配当所得や株売却所得、金融所得が主となる。しかし、年間所得で揃えて比較できる所を分離して揃えられないように誤魔かすことで、所得額比例の超過累進税率が適用されていない。比較の役割を誤魔かしている。配当所得、株売却所得、金融所得では、一律の低税率となっている。納税者全体のバランス(調和)を取って多様性が確保される内容の条件で揃えていない。

 

誤り② 揃えられる事を揃えられないように誤魔かす(細かな部分を誤魔かす)

(大きな部分)             (細かな部分)

  生活状況       ⊃      貧困生活(生活不成立

  生活状況       ⊃      非貧困生活(生活成立)

貧困にならなければ生活水準の差は一律に揃えられなくても、非貧困生活(生活成立)として揃えることが可能であり、比較可能であった。ここでは絶対的貧困を語る。

 

誤り③ 揃えられる事を揃えられないように誤魔かす(細かな部分を誤魔かす)

 (大きな部分)             (細かな部分) 

  信用への態度       ⊃      恩を仇で返す

  信用への態度       ⊃      恩に報いる

裏切る側の行為である。本来は相手の信頼に応えられる(揃えられる)ことでも、応えられない(揃えられない)ことにして相手をあざむく(誤魔かす)。

 

誤り④ 揃えられない事を揃えられるように誤魔かす(細かな部分を誤魔かす)

(大きな部分)                     (細かな部分)

   ゲーム            ⊃      ロールプレイングゲーム 

     ゲーム            ⊃      アクションゲーム 

   ゲーム            ⊃      アクションRPG

ロールプレイングとアクションは大きな部分ではゲームとして揃えられても、細かな部分の内容では揃えられない。さらに細かな部分ではソフト毎に揃えられない。揃えられない事からロールプレイングとアクションは比較対照外(比較の限界)であるが、ロールプレイングこそ面白い、逆にアクションこそ面白いという判別をした場合には比較の結果ではなく自己都合を述べた誤魔かしとなる。この自己都合により非難するのが誹謗中傷であり、多様性の否定から「いじめ(差別による不平等)」となる。ロールプレイングとアクションはゲーム全体のバランス(調和)を構成する必要な存在であり多様性の一部である。食べ比べも同じであり、人気の有無とは揃えられない嗜好性の全体的傾向を示すものであって比較の結果ではない。比べるという言葉が使われている事からも誤解し易い。職業も内容が多岐に渡り揃えられないために比較できない。この仕事こそ世の中で最も大切とは言えない。但し、社会全体のバランス(調和)を乱す仕事は多様性に含まれないことに注意。アクションRPGではロールプレイングとアクションが互いに揃えられない事を認め合い、その上で互いの持ち味を出し合って(譲り合って)一体化して構成されている。ここで、互いの多様性を否定し合わずに、譲り合いで一体化した内容となっているのを強調する。人間関係で理想の相手を求める場合は、揃えられない細かい部分まで自己都合を通すことになる。相性は大きな部分の揃えられる条件で判別しなければならない。相性も一律ではないが「接し易さ、話し易さ」は代表例である。これは人の雰囲気(オーラ)によるものであり、心が放つエネルギー波動である。詳しくは後に譲る。

 

誤り⑤ 揃えられない事を揃えられるように誤魔かす(細かな部分を誤魔かす)

(大きな部分)             (細かな部分)

 信用への態度       ⊃      恩を仇で返す 

 信用への態度       ⊃      恩に報いる

裏切られる側が裏切る側を憎む状況である。大きな部分では信用への態度として揃えても、相手や状況によって恩に報いるとは限らない。自分も人も未熟さを持つ。思い込み(恣意を働かせる)で決めつけないのが憎しみを抑える。誤り③と立場を逆にしたのみであり、同じ構図を取る。憎しみは裏切りと表裏一体である。裏切りは自己都合を通す異常であるが、相手が絶対に裏切らないと思い込んで決めつけるのも自己都合を通す異常なのである。つまり、憎しみは異常行為の裏切りと揃えている事になる。異常とは揃えてならない。

 

正常は最初の3項目(①~③)を満たし、時間変化を伴いながらも全体のバランス(調和)が持続されていく状態のことです。それは差別による不平等を排除した平等を表します。異常とは正常の誤魔かしです。次に、比較の役割を前提にして日常生活に沿うように正常の内容をまとめます。

 

正常では、全体での自分の立場と役割を自覚することで、相手との関係で揃えられる亊も揃えられない事の条件も認めて自己都合で誤魔かす関係は持ちません。揃えられる亊も揃えられない事の条件も互いに譲り合って(出し合って)ワンセットで揃え、一体化の関係を持つことによって、時間発展する(時と共に変化する)全体のバランス(調和)を確保して有限を否定しません(限界・限度を超えない「なかほど」)。多様性によって全体のバランス(調和)は成り立っています。妥協は多様性を否定して我慢の末、自滅します。比較の役割を誤魔かさないことで、揃えられる亊(関係ある事)と揃えられない事(関係ない事)の分別ができます。全体のバランス(調和)の取り方は時と共に変化することから、過去からの経緯を誤魔かすこと無く考慮して、今後のバランス(調和)の取り方に責任を持ちます。過去の経緯にあるアンバランス(不調和)問題は反省して、今後の全体のバランス(調和)の取り方を改善します(以後、時間発展するとして表現)。

「八つの決まり」を生活に当てはめて、自己都合で誤魔かす行動があるようであれば反省していきます。

 

 

有限を否定することなく全体にバランス(調和)を与えるのが自然法則です。自然法則を第一優先に位置付けること無く正常は確保できません。物理現象を考える場合にも物理の原理法則が始めに必要です。法則を記述する方程式全体の必要十分条件は満たされており、物理量(ディメンション)が揃えられています。法則を基に方程式全体のバランス(調和)は満たされて、物理量(ディメンション)が揃えられています。式変形は必要十分条件を満たして、物理量(ディメンション)も揃えたままで行います。自分勝手な変形は物理的に意味を持ちません。方程式は複数のパーツから記述され、それぞれが揃えられない役割を果たしています。多様性を消さずに必要十分条件を満たすことを前提に式変形されます。多様性を守り全体のバランス(調和)を崩さないことを前提とした柔軟な姿勢です。

 

異常では、全体での自分の立場と役割を自覚せずに、相手との関係で揃えられる亊も揃えられない事の条件も認めず自己都合で誤魔かします。揃えられる亊も揃えられない事の条件も互いに譲り合わず(出し合わず)に一体化できないので、時間発展する(時と共に変化する)全体のバランス(調和)を確保せず有限を否定します(限界・限度を超えない「なかほど」を無視する)。多様性は全体にバランス(調和)を与えますが、全体のバランス(調和)を崩す物事も多様性として誤魔かします。比較の役割を誤魔かさすことで、揃えられる亊(関係ある事)と揃えられない事(関係ない事)の分別がありません。全体のバランス(調和)の取り方は時と共に変化することから、過去からの経緯を誤魔かさずに考慮して、今後のバランス(調和)の取り方に責任を持たなければならないが、過去からの経緯は誤魔かし、今後に対しても無責任であります。

自己都合の誤魔かしを自制する事なく反省がありません。

 

<補足説明1>

「正常」の内容を部分的に満たしていても、反する内容を含む場合は正常ではありません。それは「正常」の誤魔かしである「異常」です。

 

<補足説明2>

アンバランス(不調和)な問題事例別に「正常者」と「異常者」の白黒判定が発生します。人間である以上、意識水準の差はあっても完璧ではありません。正常と異常の両面を持ちます。ある事例で異常であっても、その人自身に対して異常者とは呼べません。指定した事例に対して異常者であるということです。また、ハムラビ法典式の戦争・争いのように「正常者」無しの事例もあります。このように、第一に問題事例の具体的テーマを明確にします。第二に問題事例が影響する全体範囲(全体の多様性「構成要因」)を明確にします。家族問題は家族全員が影響する全体範囲です。地球環境問題は地球上の全生物が影響する全体範囲です。

以上より、

テーマを明確化し、影響の及ぶ全体範囲の明確化をする事を前提として「正常」と「異常」の分別をつけます。アンバランス(不調和)な問題事例とは「いじめ(不平等)」のことであり、正常者(被害者)と異常者(加害者)の白黒を明確にします。正常な第三者の救済を受ける正常者(被害者)と指導を受ける異常者(加害者)に別れます。

 

<補足説明3>

問題事例の具体的テーマを明らかにして過去の経緯の起点も定めますが、ここで加害者が誤魔かす場合や過去の資料が無い場合には判定はできません。但し、これにより加害者が罪を逃れることはなく、必ず罪の清算はしなければならないように仕組まれています。これを語るには現代科学の枠を超えた輪廻転生まで語る必要があり、ここでは保留します。注意として述べたいのは、徳・不徳の積み上げは今生だけで定まるものではなく、過去世からのものが含まれているということです。この意味は今生を正常に生きていても予期せぬ不幸事件に巻き込まれる場合があるということです。今生に限定した場合には第三者の救済を受ける被害者の立場であるにも関わらず、過去世の不徳が大きく影響して否定される場合があります。事件には冤罪を受ける不幸がありますが偶然ではありません。現代科学の枠組みでは輪廻転生の立証は不可能であり、現実では理不尽として心の整理の妨げになっています。

 

<補足説明4>

多くの業界でグローバル化が進んでも世界は一体化されていません。先進国・途上国共に自立できていません。自立国家では国家全体のバランス(調和)が取れており、認め合い譲り合いの依存関係が密接に構築されています。現行資本主義のように資本家達(投資家富裕層)が優遇される状態ではこのような依存関係を密接に構築することは不可能であり、一国として自立できません。資本家達の立場で経営者を選出し、ガバナンスを通して都合良く経営者を動かします。しかし、株式経営を見てわかるとうり、株を持って企業を所有する立場と経営する立場は分離されています。そして、資本家達自らの財務資本の投資は現場の経営や業務に従事することによる投資(人的資本、社会・関係資本、知的資本等)より優遇され、分離されている立場を都合良く利用して経営や業務に従事することなく、プレミアム(利益発生に伴う配当金)を吸い上げて奪い取っていきます。密接な認め合い譲り合いの依存関係でバランス(調和)を構築することを否定した異常です。エネルギー、食糧物資の自立には国家全体のバランス(調和)が取れており、認め合い譲り合いの密接な依存関係が構築されていなければなりません。世界が一体化するとは世界が一国として自立するということですが、各国が自立できていない現状では増して不可能なのです。依存関係の構築は身近なところから優先します。自己優先の資本家達や独裁指導者達の支配により国内の依存関係が構築されていない各国は、自分達の足元がぐらついていることを棚に上げて、お金の力による他国依存で誤魔かしてきました。それが通らない現状です。先ずは自己優先の資本家達や独裁指導者達の支配が自滅、それから国内の依存関係を構築して自国内のバランス(調和)を取り、自分の足元をしっかり固め、そうする事によって各国が自立国家として経済発展していきます。正常の物差しがない世の中であったので基礎固めから入ります。資本家達が隠れみのに仕立て上げたSDGsが誤魔かしている世界全体が抱える社会課題のボトルネックです。各国が認め合い譲り合いの依存関係が密接に構築された自立した国家になることなくSDGsのゴールは本来達成できるものではありません。自立した経済発展の各国間バランス(調和)なくSDGsのゴールは達成されません。以上から改善の目指す最終的ゴールは世界の一体化です。目指す世界の仕組みがゴールになければ各国が依存し合う改善は進みません。単に持続可能な開発では基礎固めもない世界情勢であり、不可能なのが明らかで美辞麗句に過ぎません。全体の把握から結果を出すゴール設定でありません。世界の一体化とはどのような状態なのか、そのための基礎固めから理解して実践することこそSDGsの本当のゴールになります。

 

八つの決まり6)を規準に、

夫婦、親子、兄弟、友人、隣人、広く社会への人々と助け合って生活します。

 

自国に余力が無いのに、他国から戦争のインフラ復興や食料・物資の依存を求められても困ります。各国が自立国家となり立場と役割も明確になることが世界一体化です。各国が自立できていない上に立場と役割が不明確なために関係が不安定であり、戦争・争いが絶えません。一体化していないことは異常です。世界も一体化していません。問題テーマとその全体範囲を明確にして正常と異常の判定をします。一体化していないことが異常なのは自分勝手の部分を指しています。正常と異常は、異常の自分勝手のため認め合い譲り合いのバランス(調和)の取れた依存関係を持てずに一体化できません。異常が全体のバランス(調和)を認めず、自己に都合良く利益その他のあらゆるものを吸い上げて奪い取ります。18世紀後半の産業革命から起こった資本主義体制を指します。先進資本主義各国が途上国植民地の奪い合いを始めて、それは第一次大戦まで引き起こしました。利益を吸い上げて奪い取る資本家優遇の支配体制が200年を超える時に渡り続き、現在に至り、その自分勝手が地球全体で限界・限度を超えてしまいました。それを誤魔かす身の隠しがMDGsを前身とするSDGs です。わがままな独裁者の独裁国家でなくても状況は同じです。全体のバランス(調和)が阻害されて自立できてないのです。異常と異常も一体化できません。悪の関係は誤魔かしの関係であり、恣意の働かせ合い(現実と関係なく思い込みで決めつけ合う)、裏切り合います。問題のボトルネック(全体に影響するレベルの問題要因で最も問題視される箇所)を引き起こす場合に限らず、異常な者は一体化されていない「異常」な状況を自己都合に利用する特徴を強く示します。自分の異常性に都合良く利用する特徴を強く示します。火に油を注ぐように異常な状況をさらに悪化させます。異常な者が示すこの特徴はボトルネックを原因追及するキーポイントになります。故に、異常な者は正常な世になられると不徳を積み上げられなくなり困ります。なぜならば不徳の自覚ができていないためです。足ることを忘れ、経営利益さえ上げれば非正規の貧困を増やしても構わないと考えるのは、現場で働く非正規の人達をこきつかっていて、ささえられているとは気が付いていないからです有限を否定せずに時間発展する全体のバランス(調和)を持続可能にする正常な人ならば有り得ない行動です。

 

<補足説明5>

妥協(折り合う)とは対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見出し、穏やかに解決する事とされますが、これは正常行為ではなく異常行為です。全体バランス(調和)を前提として多様性を確保する正常が、全体バランス(調和)を前提とせず多様性を誤魔かす異常と揃える事はありません。戦争や争いのように対立した事柄とは揃える事無く、関係を持たないということです。対立する事柄には首を突っ込んではならないのです。例えば理由はどうあれ争っている国に協力はしない事。第三者が指導できる立場にあるのは対立した事柄(異常)とは無関係だからです。正常な当事者は第三者の判断で対応します。つまり、妥協(折り合う)は異常と異常の関係を表します。一般的に妥協(折り合う)とは譲り合って一致点を見つけ、揃えられる所を目指す亊とされますが、多様性を損なうこと無く揃える事にも限界があります。大きな部分では揃えられても、細かな部分では揃えられなくなり比較の限界に達します。「比較してはならない」とは揃えられない事は関係ないから意識しないということであり、全体バランス(調和)を前提として細かな部分の多様性を守ることが目的です。多様性を損なう限界を超えては揃えられず比較不可能となります。妥協(折り合う)ではこの禁を破ってしまいます。そして悩みます。ひがみ・妬みになります。

 

正常対応では妥協(折り合う)でなく、バランス(調和)関係を考えて自分の思いを優先しないで、揃えられない事を認めて、揃えられるように誤魔かす関係は持ちません。争い、対立には互いに首を突っ込みません。有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)から揃えられるか否かを状況判断します。争い、対立は限界・限度を超えて持続しません。持続とは偏らない「なかほど」によるものだからです。誤魔かしの行為が自滅に至るのは時間の問題です。全体のバランス(調和)は個々の多様性を確保します。この時、全体の中で個々は互いに認め合い譲り合いの依存で自立して立場と役割を自覚します。人体の中での胃や心臓の振る舞いを見れば明らかです。生体の中ではATPエネルギーが生命活動を支える貨幣の役割をしますが、貨幣さえ持っていれば良いのではありません。全体の中で自分が自立しなければならない役割を考えなければなりません。経営と業務に従事する立場と役割を持たない株主への配当金の確保は非正規と激務を増加させ「ひがみ・妬み」により人間関係を異常にします。

 

分離が原因ですが宇宙・自然では全体のバランス(調和)により一体化されています。人間は初めから人間で猿から進化したのではありませんが、環境変化に対応した進化または退化はあります。時間発展による役割の調整(要不要の調整)も忘れず、法律も社会の変化に対応しなければ正常ではありません。時間発展する全体のバランス(調和)を構成する多様性を守るのが正常の在り方です。

 

宇宙・自然の現象では確率に依存してもエネルギーと運動量は不可分であります。確率に依存するのは経営と業務に従事する側も同じです。運営の成功失敗は定かでありません。同じように、利益と経営・業務に従事することは不可分です。投資で企業を所有する立場にあり、それ故に確率には依存するが一体化している利益と経営・業務に従事することを分離して利益(配当金、売却益)のみを取ることはできません。株主はお金を投資(財務資本)しますが、経営と業務に従事する側は労働力を投資(人的資本、社会・関係資本、知的資本)しています。資本の分類としては製造資本、自然資本もあります。資本家(投資家富裕層)の株式投資を優遇して利益(配当金、売却益)のみを与えることはできません。質の高い仕事が経済を好循環に戻します。経済復興の方法は明快であり、良い仕事をすることです。資本家(投資家富裕層)の優遇や、国債の限度を考えない過剰発行で円の価値を下げても解決しません。質の高い仕事、良い仕事をするためには経営と業務に従事する現地現場の投資(人的資本、社会・関係資本、知的資本)が要となります。経団連の資本家利益を最優先し続け、これらは30年以上にわたり犠牲にされてきました。足ることを知らない姿勢を堂々と取っています。有限の「お金」の価値に囚われた異常です。異常は限界・限度なく「なかほど」を見失い有限を否定します。故に、経団連の資本家(投資家富裕層)による利益の搾取は「お金」が価値を失う以外に止まらないようです。自滅以外に止まることはできないのでしょうか。異常な行為は全て、自己都合に囚われることで限界・限度を失って最後には自滅します。自己都合を通した自業自得の苦しみによる清算と罪の自覚は、本当の目的である心の本質を体験することにより理解していきます。ながい時間をかけて心で理解して全体のバランス(調和)を取れる意識に高まっていく亊でしょう。

 

<語句説明>

条件とは、

物事について限定したり制約したりする事柄のことです。

自覚とは、

自分自身の有り方を反省し、自分が何であるかを明瞭に意識にもたらすことです。

譲るとは、

「与える」という意味を持ち、互いが役割に最善を尽くして助け合うことです。

反省とは、

過去の異常な経緯と向き合い、今後は正常に変えていく時間発展の表れです。

時間発展とは、

物理的状態の時間変化を意味し、この意味を水平展開しています。

ボトルネックとは、

全体に影響するレベルの問題要因で最も問題視される箇所のことです。

大きな部分では抽象的となり本質を表すようになります。数学は抽象的であり本質を表す最適の表現方法となります。一方、細かな部分は具体的となります。

 

「正常」と「異常」を表現する際には内容に応じて多くの自然な言い回しがあります。表現はさまざまでも、本質の意味では互いに揃えられるので、以下に一例を示します。

 

「正常の表現」

「足ることを知る」ならば

「バランスのために自分の思いを通さない」。

「バランスのために自分の思いを通さない」ならば

「相手の立場に等身大で立つ」。

「相手の立場に等身大で立つ」ならば

「揃えられるか否かの関係を誤魔かさない」。

「揃えられるか否かの関係を誤魔かさない」ならば

「比較の役割を誤魔かさない」。

「比較の役割を誤魔かさない」ならば

「認め合い、譲り合って一体化する」。

全て、自分だけの都合に偏らない「型にはめず、決め付けず、囚われず」=「執着しない」、「なかほど」であり相対性と対称性から自分だけでなく、全体や相手の心も満たします。これは心の本質においては例えば、相手が幸せになると自分のことのように幸せな気持ちになるという意味で自分と相手の区別はなく、根源的本質として揃えられます。

 

「異常の表現」

「足ることを知らない」ならば

「バランスを壊して自分の思いを通す」。

「バランスを壊して自分の思いを通す」ならば

「相手の立場に等身大で立てない」。

「相手の立場に等身大で立てない」ならば

「揃えられるか否かの関係を誤魔かす」。

「揃えられるか否かの関係を誤魔かす」ならば

「比較の役割を誤魔かす」。

「比較の役割を誤魔かす」ならば「認めず、譲らず一体化できない」。

全て、自分だけの都合に偏る「型にはめる、決め付ける、囚われる」=「執着する」、「わがまま」や「我慢」であり、心の本質と適合しないので愚痴で心が満たされません。また、相対性と対称性を無視した絶対性と非対称性になっています。「わがまま」が通り、「我慢」が解消されない限り愚痴は消えません。愚痴を意識的に全体や相手に向けた関係を持ってきます。これは「いじめ」の本質を表しており、揃えられるか否か、関係あるか否かを思い通りにして誤魔かした差別になります。「不平等」の内容であります。

 

また、これらの表現は逆読みしてもつながり、また、自由に入れ替えてもつながります。表現を変えても本質は全て同じとなります。座標変換(変数変換)と類似した作用です。

 

 人体の各臓器は正常を満たすことで健康を維持しています。胃の役割は食物の消化ですが、心臓の役割である血液の循環を妥協して代行できません。互いにでしゃばりや要らぬ干渉はしません。しかし、互いに人体全体の中で依存関係によるバランス(調和)を取ることによって自立できるのであり、完全に切り離された孤立では自立できません。互いに揃えられる場合も揃えられない場合も役割を認め合い、譲り合っています。人体全体が成り立つための役割「消化・循環・呼吸・・・」を互いの立場から不足無く揃えます。各臓器が揃えられない役割を比較してはバランス(調和)が崩れます。胃は食物の消化が終われば休んでいますが、それと比較した心臓も同様に血液循環を休んでは異常事態です。

 正常は宇宙全体から素粒子の世界まで明確に示されている姿であります。膨大な情報が目の前の真実を見え難くしています。経済における格差拡大の問題は深刻であり、さらには経済重視による文明を脅かす異常気象の発生といった環境問題へも派生しております。温室効果ガス排出をゼロにするための研究開発に10年から20年はかかるという見積もりが出ている一方で、温暖化問題が後戻りできなくなるとされる臨界点現象の連鎖を防ぐためには数年が勝負という見積もりも上がっています。見積もりの見解とはいえ対策が追いつかない危険性はぬぐい切れません。もし、最悪のシナリオが現実となった場合には、現代の文明社会は存続していけるのでしょうか。残念ながら利益を吸い上げて奪い取る資本家優遇の支配体制が200年を超える時に渡り続き、現在に至り、その自分勝手が地球全体で限界・限度を超えているのです。

 ここに反地球からやって来た救い人の目的があります。しかし、単に救い人が地球の文明社会の力を遥かに凌駕した力で文明社会を救ったとしても、正常と異常の分別も無い生活を続けていては、自分の思いを優先する「わがまま」を自覚することなく成長がありません。また、共感できない場合は自滅して自覚する以外にありません。共感するか否かは本人次第であり自己責任であります。今、わが家では、こうした改善を始めていくための予告として様々な現象が頻繁に起こり始めています。単なる心霊現象と思われる方も多くおられるでしょう。しかし、一般的に想像する恐怖を伴った現象は一つとして起こっていません。全てにおいて私達の日常生活に支障をきたさないよう配慮した倫理が見受けられます。

 それでは何よりも重要とされる、正常を示す規準を説明し、それからわが家で起きている現象を大まかにではありますが、紹介していきたいと思います。

 

正常を満たす規準は「八つの決まり」とも呼べるものであり、以下の通りであります。

1)

自分だけは守らねば、とする考えは捨て善意な第三者の立場になって起こった事柄を正しく見る。

2)

自分の都合だけを考えないで、相手の立場も思いやり、なかほどの考えで調和するように。

3)

話す相手の心をくみとり、なかほどの考えをもって調和するように語りかける。

4)

経営者は利益を上げることだけを考えるのではなく、従業員の幸福や健康で働いてもらうにはどうすればよいのか考え実行する。従業員は会社を守り立てていくように働く。そして広く社会へと貢献していく。物質経済の独占は、やってはならない。有り余る財産は、困っている人々に使う。

5)

自分の短所を長所に変えてゆく 

長所・・・・人と協力する。助け合う。調和の生活

短所・・・・怒り、ぐち、出しゃばり、気取り、多弁、優柔不断、他 (長所に変えていくことにより、精神的、肉体的に健康になる)

6)

夫婦、親子、兄弟、友人、隣人、広く社会への人々と助け合って生活する。

7)

目的を持つ時、自己保存ではなく、自分も人々も地球も幸福になれるようなことを考え実行する。

8)

自分の生活を反省する時間を設ける。

反省は、自分をいじめることではなく、自分も含め相手を許すこと。

間違いだと気づいたらならば正していきましょう。

 

「八つの決まり」に共感できない人とは当方の思いを優先しないで、共感できない事実を現実として認めることで、揃えられる亊を誤魔かした関係は持ちません。

八つの決まりの本質は有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)ことにあり、有限の日常生活を持続可能にしていく亊です。

 

現象とは「八つの決まり」を日常生活で実践することである。

超常現象も自然科学により立証されていく。超常現象も現象であり、その目的は単に人々の興味関心を引くのではなく、「八つの決まり」による人間の生き方を世の中に示す実践にある。

 

「八つの決まり」を実践(現象「げんしょう」)するには、

 

「八つの決まり」を口頭文章で正しく語り(文象「もんしょう」)、

 

「八つの決まり」と「自然科学」を照合して(理象「りしょう」)、

 

文象・理象・現象を通して内容が一貫している必要がある。どれかに

 

偏ってならず、バランス(調和)が必要である。

 

詳しくは「八つの決まりと自然科学の照合:Ⅳ章」を参照して頂きたいが反物質世界が表に出ていないだけで実在している。現在の自然科学での立証は不可能であるが霊魂と呼ばれる存在からなる世界である。霊魂と呼ばれる存在は反物質から構成されている。私達がバランス(調和)の取れた日常生活を送る時は天国の霊人(反人間)が私達を助けてくれている。研究開発に携わる人が思いがけない直観でひらめくなどは代表例である。サポート例は直観以外にも多岐にわたっている。バランス(調和)を取る努力の生き方が天国の霊人(反人間)に対する真の祈りである。打算な願いには答えないのである。私達は気がつかないだけで霊現象(超常現象)を体験しているのである。しかし、天国の霊人(反人間)の起こす霊現象(超常現象)は「八つの決まり」の実践であり、日常生活を不安定にすることのないように日常の自然の流れに逆らうことなく沿っているので気が付きにくいのである(「八つの決まりと自然科学の照合:Ⅴ章」の例題を参照して頂きたい)天への祈りとは調和の生き方そのものである。以上から

「八つの決まり」の実践(現象「げんしょう」)だけでなく、

「八つの決まり」を口頭文章で正しく語ること(文象「もんしょう」)、

「八つの決まり」と「自然科学」を照合すること(理象「りしょう」)

のすべてにおいて天国の霊人(反人間)がサポートしてくれているのである。私が今この時に書いているこの文章自体にもサポートが入っているのである。私達が気が付かないだけで、そこには確実にサポートの「証」が刻まれているのである。故に正しくは「象」ではなく「証」の方を採用して、「文証」、「理証」、「現証」と呼ばれる。

 

「正常」を教える八つの規準を念頭に入れて社会の改善を進めていくこと。2020年7月18日すっかり咲き終わったサツキの花に一つのつぼみが開きつつあるのに気がつきました。次の日、生き生きとした表情のサツキの花びらが開きました。『始まり』というメッセージであると直感する。

 わが家では、今年から蚊取り線香を使っています。マッチで線香に火をつけるのですが、ある日『満杯に入っているマッチ箱のマッチが使ってもいないのに少なくなるなんてことは、ないわよね』と、フッとなにげなく思ったら次の日、マッチが1/4に減っており私の心が反人間(天国の霊人)に読まれていると感じました。

 

 2020年8月21日夜の8時頃、私が一人で居間においてテレビを見ていた時、居間だけに電気の物理現象が起きました。電灯は消えテレビもエアコンもOFFになり、それでもなぜか私は、あわてることもなく動きませんでした。暗やみの中にゆったりとしたホッとする静けさが流れたのです。10秒ほどで電灯が点きテレビ、エアコンはOFFのままでしたのでスイッチを入れました。これがいろいろと、これから始まる電気の物理現象の第一歩でした。その後は11月15日から電気の物理現象が始まり、各部屋の消している電灯は点く。点けていた各部屋の電灯は消えるが10秒ほどで点く。電気釜をONにしていたところ、スイッチは切れることなく御飯は炊けている。その他の電化製品も点けていたのにOFFになったり、そのままONだったり。要は家族の誰かが、たとえば電子レンジを使用中に最初に電子レンジがOFFになり10秒くらいたってから各部屋の電気の物理現象が起こるのです。家族の誰かがドライヤーで髪をセットしている時に、ドライヤーがOFFになり10秒くらいしてから各部屋の電気関係が点いたりOFFになったりするということです。家族を意識して電気の物理現象が起こっているということです。そして家族全員が家に居る時にだけ電気の物理現象は起こっています。2021年1月20日までに26回の電気の物理現象が起こりました。何のために多くの電気の物理現象が起こるのか。『始まるよ』と、背中を押されているように感じます。

 家族と八幡平へ行き、帰りに盛岡のホテルに泊まりました。次の日、自宅へ戻り鏡台の引き出しを開けたところホテルの風呂で使ったボディスポンジが未使用の状態で入っていました。ボディスポンジの入っている袋を破いてボディスポンジにソープをつけて使用して風呂場のゴミ箱に捨ててきたのに、なぜかきれいに破かれていない袋の状態のボディスポンジが入っていたのです。瞬間移動、おもわず一人で笑ってしまいましたが、間をおき、この時が来るのを待っていました。私が生まれてきた目的は、ここにありと。

 冷やしておいたメロンを夕飯のデザートにと考えて、まな板の上にメロンをおいて包丁で切り、食器に盛り付け、皮は捨てようとバケツに入れている最中に食器に盛り付けられたメロンを見たら捨てるはずのメロンの皮が、きれいに食器の緑のまわりに並ぶように添えられていました。私はメロンの果肉だけを盛り付けたのですが。

 夜、寝ていて暑かったので夏用の掛け布団をはいで横において眠りました。朝になり気がつくと夏用の掛け布団が衣装ケースの上に移動しているのです。

 2020年8月28日18:08分、わが家の家族であったジェニファー(うさぎの女の子)が天国へ帰りました。9才と3ヶ月でした。元気で食欲もあり普通の生活をしていれば、まだ生きていたのですがジェニファー自身が8月25日の夕食から、お腹がすいて食べたいのに頑張って、がまんをして自ら食事を断ち、自分の命とひきかえに私を助けたのです。『ジェニファーがんばったね』と私が言うと横たえて力が入らない体でありながら、大きくうなずいたのです。『良い子だったよ』と言うと、また大きくうなずき『かわいかったよ』と言うと、また大きくうなずき、息を引き取りました。内容は、どのような言葉で表現すればよいのか、ただただ、こんなに小さい体(体重1.5kg種類ライオンヘッド)のジェニファーが命をかけて家族を守ろうとした心を見て、動物、植物、広く自然は、私達人間が慈愛をもって接すれば協力してくれるのだと心底に思いました。

 2020年9月、6年前にリサイクルショップで縦55cm、横50cm、奥行き48cmの本などを入れそうな竹細工を、気にいって買いました。後の部分に焼け焦げた跡がありましたが気になりませんでしたので。掃除をしている時、焼け焦げた跡が消えて、焼け焦げる前のきれいな状態になっているのに気がつきました。

 2021年1月6日 13:50分 いつものごとく電気の物理現象が起こる。今日は雪かきをして汗びっしょりになったので、すぐ風呂に入ろうと思い浴槽に7割の湯張りをして風呂に入ろうと浴槽のふたを開けるとお湯がたっぷりと9割に増えていたのです。1月15日には、お湯がなみなみと10割に増えており燃料はプロパンガスで、プロパンガス会社の従業員に『勝手にお湯が増えたりするんですか』と聞くと『たし湯を押さないとお湯は出ません』と言われました。シャワーも普通に使えるし・・・・・。

 2021年1月20日 12時35分 電気の物理現象が起こる。私は食後の歯みがきをして冷たい水道水でうがいをしようと蛇口を開きました。水ではなくお湯が出るのです。給湯器にスイッチは入っていません。OFFになっています。流し続けてみましたが、どこまでもお湯が出るのです。もったいないので止めました。

 過去にさかのぼり2000年1月4日 私は平熱でしたが咳が出てきたので病院へ行きました。風邪という診断でしたが、なかなか治まらず2ヶ月くらい続いたある夜、急に胸の上に大きな岩を載せられたような症状になり、息を吐くのは普通にできましたが空気を吸うのは苦しくて1秒くらいしか空気を吸えないのです。『ハッハッハッ』と息苦しさが続き酸欠状態だったと思います。そして苦しさのあまり気を失いました。フッと目が覚めると、さわやかな天気のよい朝でした。きのうの夜の状態を思い出し死ぬと思っていましたが朝の目覚めとともに体が楽になって苦しさもなければ咳も出なくなっていました。この症状は何?大学付属病院で検査したところ、2000年3月13日 間質性肺炎の診断書を受けとりました。先生から『もう治っていますが』と言われました。

 

 紫外線をメタホウ酸バリウム結晶(非線形光学結晶)に通すと低確率ではあるが、ある一つの光子が運動量を保存しながらエネルギーを等分して二つの光子を同時発生させる状態が確かめられている。このような状態はエンタグルメントと呼ばれ、同時発生した二つの光子はエンタグル光という。同じ一つからエネルギーを分かち合った二つの光子は一体化した不可分のからみ合いの状態にある。これは空間を隔てても瞬時に影響を及ぼし合うことから確認されている。これは一体化によるからみ合いの状態であり、速度による空間移動伝達ではない。移動という表現を使うならば瞬間移動となるが、質量を持つ場合には光速度を超えて伝わることは不可能であり、物質ではなく情報の瞬間移動と言える。しかし、任意の2点間ではなく送信側と受信側の定められた2点間に限られ、実際には送信側が重なり合った4つの状態の中から1つを選択して受信側に転送して指示を出す操作が入る。エンタグルメントは空間を通さずに影響を及ぼし合うが転送手段は電波通信であり、技術的に情報としての瞬間移動も実現できていない段階にある。

以上が地球の現代科学における瞬間移動に対する考え方と現状である。

                 

                 離れた2点間

            光子○-----------------------○光子

         からみ合って一体化していることが前提となる。

     わが家での瞬間移動は完全に物質の瞬間移動であり、未知の領域である。

 

 私達は今、物質の領域である地球に住んでいます。私の身の回りで起きている現象は、現在の地球の科学では見つけられない反物質の領域である反地球に住んでいる反人間(天国の霊人)が見せています。反地球の中でも最も優れた精神をもって科学や医学などに取り組んでいます。

 ゆえに、自然をコントロールする事も出来ます。その現象は、自然科学に基づいたものであり、しかし地球の現代科学では立証不可能です。交通は空飛ぶ円盤を利用しています。ちなみに反人間の思う一念の意識は、光の速度より速い。

 今、地球の人間は、作用と反作用の法則により、調和に逆らった分量だけ災害や感染症などに苦しんでいます。慈悲深い反人間は、黙って見過ごすことが出来ないのです。しかし、口先だけの反省と、あぐらをかいている姿勢では、反人間は手をさしのべようという心には、ならないと思います。

 

 「八つの決まり」ではバランスと調和を一体化して、バランス(調和)と表していますが、バランスと調和の関係を次のように考えています。

 すべての生物はさまざまな生態系で、それぞれの環境をバランスよくつながりをもちながら調和して生きるようになっています。人間も自然と揃えてバランスよくつながりをもって助け合う調和の取れた日常生活をおくることが重要です。人間は自然と調和すること。

 

自分の心と行いを正すことなく拝めば救われると思っていることは間違いです。信仰は、新興宗教を作ることや拝む宗教であってはならないのです。そして、むずかしい学問ではありません。秩序や道徳を日常生活において実行してゆくことが信仰です。

 お金という紙を印刷して借金を増やしていくことが国民を助けることになっているのでしょうか。こういう状態を、いつまで続けるのでしょう。

 地球温暖化は2030年が分岐点と言っていますが、どのような計算をしてのんきに無責任なことが言えるのか。

 お金と物が有ることが幸福であるとして精神をおろそかにしている現代国家の指導者に責任を押し付けるだけではなく、国民も自覚しましょう。

 

2024年7月

 橘 鞠