「八つの決まり」と「自然科学」の照合 【Ⅳ章】
「いじめ」とは、
学校だけでなく、職場にもあるし、
日本はアメリカにいじめられているし、
自然は人間にいじめられているし・・・・、
地球上の全ての生物を巻き込む「いじめ」問題。
人類全体を自滅に追い込む「いじめ」問題。
この状況は、
これまでの有史上の「いじめ」の悲劇とは異なる。
しかし、
「いじめ」とは、唯一人間が宇宙や自然のように
時間発展する全体のバランス(調和)を持続して
有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)
生き方ができるように成長する過程で避けられない「しくじり」の体験である。
宇宙や自然の中で人間が愚かに見えるのはそのためである。
宇宙や自然では、
揃えられることも揃えられないことも認め合い、
互いに譲り合うことで一体化して、時間発展する
全体のバランス(調和)を持続して多様性が
守られている。この事実を抜かして、
宇宙や自然は語れない。
「自然科学の原点」である。
世界には現代科学では未発見の反物質世界が
表に現れていないが実在する。反宇宙、反人間の
世界が存在し、私達は生と死によって物質世界と
反物質世界を輪廻転生している。反物質世界では
同じ想念(思い・考え)の者達が同じ世界に集い、
互いに心の中が誤魔かせないため、我の無い世界になっている。
互いに心の中が誤魔かせないが、苦しみの世界では力で我を通す。
我の無い世界が上、我を通す世界が下となる多重構造を形成する。
同類の世界しか知らなければ、
多様性を認めて成長するのは難しい。苦しみの世界を除いて、
多くの反物質世界から多種多様な人々が集える環境が必用であった。
ここに、物質から成る宇宙が創造された目的がある。
反物質世界の人間関係は同類で揃えられることが多く、
逆に、
物質世界の人間関係は揃えられないことが多く自己都合が通らない。そこで、有限の価値(金と権力)に執着して自己都合を通す。揃えられない多様性からなる全体のバランス(調和)を崩した罪の清算と反省により成長して救われる。加害者の救いとは自己の成長。
自己の成長が輪廻転生の目標とされる。宇宙が創造された目的と同じである。
但し、成長のための「しくじり」であっても、
有限世界の限界(リミッター)からは逃げられない。
お金で自立を誤魔かしているだけで、
異常支配は限界(リミッター)をすでに越えている。
お金による自立を誤魔かせなくなり、
加害者の異常支配が自滅、異常支配から正常分離後、
第三者の救いによる正常な自立社会の構築へ向かう。
今まさに、その分岐点に達しようとしている。一方、
自然も兆候によって限界の予告を示してきている。
経済が自然と譲り合って一体化して揃えなければ、
有限を否定して、限界を超えて自滅する。
事態は突如として急変する。異常支配は限界(リミッター)をすでに超えて
いるからである。誤魔かしが通らなくなると同時に崩れる。
《平等関係の取り方》
(Ⅳ章)全体の立場に立つ権力者「第三者」の重要性
Ⅳ章では「いじめ」を具体的に考察していきますが、権力者「第三者」の重要性に関して結論から述べます。それは全体の立場から正常な生き方を指導できる者であることです。
Ⅲ章⑤から
全体「第三者」の立場・役割とは、
異常(加害者)に対しては、
指導して罪の清算行動を促して成長できる時を見守ること。
正常(被害者)に対しては、
異常の自分勝手から分離した状態で自立した成長を助ける。
人々が立場と役割に責任を持った依存関係を築くこと。これが個人と集団の自立になる。
Ⅲ章③から
加害者における救いとは自分の成長。自力で成長すること。これが最も大切な自覚です。第三者の指導に共感するには順番があり、先に罪の清算をしなければなりません。これは先に本人の行動なく何も進まないということです。指導に従い姿勢を正すには、自分勝手な惰性を変えるために苦労を伴います。運動の法則に切り替えて甘えを乗り越える厳しさが伴います。これが罪の清算です。
「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」に正常な生き方が示されています。第三者は「反地球からやって来た救い人(2)」の補足説明も含め、異常である「いじめ」の事例に対して当事者(加害者、偽被害者「偽善者・我慢者」)を指導します。指導対象には偽被害者も含みます。自分勝手な思い込み(恣意を働かせる)や愚痴を持続する者が正常を誤魔かした偽被害者です。忍耐の限界を越えると正常も異常に変わります。異常との衝突を回避する柔軟な姿勢の工夫が忍耐です。ハムラビ法典で自ら罪を作らず、バランス(調和)を取る正常の目的を明確に持った努力姿勢が忍耐です。愚痴を溜め込み、正しい目的のない我慢者とは明らかに異なります。愚痴を持続した我慢の結果も自滅です。有限を否定(限界・限度を超えて「なかほど」を逸脱)します。我慢の末の自滅を第三者は状況判断して指導と救いの自立支援を行います。勇気を持った相談は被害者の義務です。Ⅳ章では心の本質(有限の凌駕)が理解され、それによって「いじめ」の本質(有限の否定)も理解されます。学びの多様化学校は加害者の自分勝手から被害者を分離する対策として最善といえます。但し、本来は正常側でなく異常側を更生させるために異動させるのが筋であります。「いじめ」の発生件数は年々増えています。社会の中での学校の役割と立場は「教え育てること」です。そして公官庁や企業は社会全体の時間発展するバランス(調和)を持続させるために、外部関係だけでなく組織内部を正常に保つ義務があります。不祥事は異常から発生するものです。全体での自分の立場と役割を自覚することは義務であり、義務は正常の要(かなめ)です。
本来「いじめ」とは、心の本質(有限の凌駕)を学ぶための糧になるものでありますが、それを食して成長するためには、世の中に正常と異常を分別できる規準が必要になります。正常を満たす「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」を学校の道徳科目で教え、コンプライアンスの道徳として社会人にも教育し、そして加害者を指導できる立場の第三者を必要とします。正常と異常の分別がない現状では糧の「いじめ」が食されずに腐敗して深刻になります。「いじめ」とは有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)適度なストレスとして成長のために必要であり、心の本質を知るためにも撲滅は不可能であります。物質世界が創造された目的からも撲滅は有り得ません。過度な不毛のストレスが問題であり、物質世界では成長が無いのも問題なのです。正常は異常に揃えてはならず、一体化することもできませんが、異常を見て自分自身も振り返れます。
第二次大戦終結から80年近く経ちます。戦争悪は強調されますが、命を絶つ者は戦時中に限らず増えています。
正常を満たす「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」を学校と職場で教育指導するために「第三者」は重要です。先ずは「いじめ」が起こるプロセスを整理して説明します。プロセスを通して、「いじめ」の本質を理解するところから入ります。
何事においても心で思ったり考えたりする事は意志から始まります。意志から行動に移し、その内容に応じた自分の未熟さが表われます。未熟さとは異常(自分勝手)になり心を構成する各機能のバランス(調和)を崩します。認め合い譲り合う心が成長している人の行動・実践は全体のバランス「調和」を取った正常を表します。物質世界で試される有限の価値の誘惑に執着しません。プロセスを整理すると以下の通りです。因果律による改善のロジックが見えます。
必ず、直接・間接問わず相手を含めた全体との関係がある。
単独ではありえない。
① 心の中で思い、考え、意思として行動に移す・・・・・・「原因 ⇒ 作 用」
② 行動の内容に応じた自分の未熟さが表われる・・・・・・「結果 ⇒ 反作用」
③ バランス(調和)を崩す時は①が異常であったため・・・「原因追究と反省」
④ 第三者が正常を指導して、行動を正せる工夫をする・・・「改善の立案実行」
⑤ 取り組み姿勢の違いから、当事者の生き方が変わる・・・「生き方の選択」
・ 異常を続ける(自滅まで異常を貫いた生き方):指導を無視して自滅を体験
・ 生き方の修正(異常から正常に正した生き方):指導を実践して自滅を回避
・ 正常を続ける(始めから異常を避けた生き方):当事者が最善の努力を持続
以上のプロセスに沿いながら説明を進めます。
まず①において、「正常」の思い、考えとして認め合い譲り合う心を持つことが必要です。そのために、「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」を説明してきました。ここでは自然科学の立場で説明を進めたいので、「平等関係の取り方」を選択して述べていきます。
「平等関係の取り方」は以下の通りになります。
以下の1)~5) により、
有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」で持続可能となる)。
1)
正常を誤魔かさない事、その1(正常に準じて比較の役割を誤魔かさない)。
抽象的な大きな部分、具体的な細かな部分で条件が揃えられるか否かを誤魔かさない事を前提とし、大きな部分で揃えられる条件を互いに不足無く照合し、細かな部分でも揃うか否かの差異を照合する。都合の良い条件だけ出して比較条件の不足した不平等にしない。自己都合を有利にする条件だけ出して、自己都合に不利な条件を隠さないことが不足無くの意味するところ。組織集団の中で公式に違和感ない情報のみを使う。執拗な詮索で衝突しては本末転倒。
※Ⅴ章の例題2を参照
2)
正常を誤魔かさない事、その2(正常に準じて比較の役割を誤魔かさない)。
抽象的な大きな部分、具体的な細かな部分で条件が揃えられるか否かを誤魔かさない事を前提とし、細かな部分で互いの揃えられない差異が開きすぎて、大きな部分の条件が揃えられなくなってはならない。比較の限界(比較対照外)になるほどの開きの関係があってはならない。
※Ⅴ章の例題12、例題13を参照
3)
正常を誤魔かさない事、その3(正常に準じて比較の役割を誤魔かさない)。
抽象的な大きな部分、具体的な細かな部分で条件が揃えられるか否かを誤魔かさない事を前提とし、揃えられる場合も揃えられない場合の条件も互いに認め合い、譲り合って(出し合って)ワンセットで揃え、一体化の関係を持つ亊。多様性の確保と不足の無い照合を満たす前提になる。認め合いと譲り合いの未熟さから比較の役割は誤魔かされる。
4)
正常を誤魔かさない事、その4(正常に準じて比較の役割を誤魔かさない)。
抽象的な大きな部分、具体的な細かな部分で条件が揃えられるか否かを誤魔かさない事を前提とし、全体のバランス(調和)の取り方は時が経つと共に変化する。全体のバランス(調和)の取り方は時間発展する。故に状況判断して平等関係を見直す亊が欠かせない。
5)
正常を誤魔かさない事、その5(正常に準じて比較の役割を誤魔かさない)。
抽象的な大きな部分、具体的な細かな部分で条件が揃えられるか否かを誤魔かさない事を前提とし、第三者は有限を否定しない事(限界・限度を超えない「なかほど」)を根拠とし、時間発展する全体のバランス(調和)を状況判断する。第三者は平等関係を崩す私腹を肥やす行動は取らないという事。慣性の法則・運動の法則・作用反作用の法則に従って結果は出る。結果に対し、自分の生活を反省する時間を設ける。
私は平等関係の取り方を述べるにあたり、正しい比較説明が行い易いという理由から、相対性理論を中心とした科学的なストーリーの流れを描いています。しかし、相対性理論が特別なのではありません。
「比較(見比べる)」ではバランス(調和)を前提に大きな部分で条件が揃えられる判別をして、さらに細かな部分でも揃えられるか否かを明確にしますが、揃えられない条件の中でさらに細かな部分でも揃えられるか否かをはっきりさせることはできませんでした。比較を取るためには大きな部分で条件が揃えられている必要があります。これは物理量(ディメンション)を揃える必要性に根拠があり、物理学に現れるいかなる関数式であっても、両辺における各項の物理量(ディメンション)は完全に一致していなければなりません。ディメンションの異なるものどうしの和や差には意味が無いからです。運動の法則において、運動方程式はF=ma(力=質量×加速度)として表されますが、そのディメンションは両辺とも大きな部分で「力」として一致しています。さらに細かな部分では質量と加速度は互いに揃えられないディメンションですが、互いに揃えられないことを認め合い、譲り合う姿勢で一体化して「力」のディメンションとして揃えられて統一されて、F=ma全体の必要十分条件を満たして、F=ma全体のバランス(調和)が取られます。電磁気学に根拠を持つ光速度不変の原理を考慮して、限界・限度の有限も否定しません。始めに運動の法則(自然法則)があり、これに準じる運動方程式は必要十分条件を満たしながら、自然現象に対応して式変形可能であります。必要十分条件(バランス「調和」)を満たすことを前提とした柔軟な姿勢が表れています。
電荷が外力(他電荷による電場から受ける力と、他電荷の運動による磁場の発生に伴うローレンツ力)を受けて変位する時、電磁場に変化が起こり、電磁場の変化は電磁波として周囲に光速で伝わります。電荷が変位する時を考えており、等速運動の慣性状態ではありません。電磁波が持つ運動量を運動方程式で記述します。自己場における電荷密度の発散はディラックのδ関数を組み込んで回避し、ガウスの法則とアンペール・マクスウェルの法則から運動方程式で電磁波の運動量を表す場合、右辺は二項から成ります。右辺第一項が運動量ベクトルの時間微分、右辺第二項がポインティングベクトル(外積のベクトル量として電磁波の進行方向を与える)の体積積分の時間微分(但し光速度二乗で除す)となりますが、共にディメンションは力で一致しています。マクスウェルの応力テンソルの面積分としても記述可能であり、ディメンションは力で一致しています。物理法則に従いながら必要十分条件を満たす揃え方のみが可能です。自分勝手に揃えても物理的に無意味であり異常です。
みなさんは次のような和や差をどのように感じられますか。「1時間-1m³ (時間から体積を引いた例)」、「3000kcal+2000時間(エネルギーに時間を足した例)」。異常(狂っている)と感じるのは私だけでしょうか。物理法則に対して意味を持つ揃え方を前提に「力に対しては力」「エネルギーに対してはエネルギー」のようでなければなりません。正確には単位系も揃えます。
物理学の式変形(柔軟な姿勢)の工夫は物理法則に従って方程式全体で必要十分条件を満たすことにより、方程式全体のバランス(調和)が取られます。物理法則に従うことで方程式全体のバランス(調和)が取れるということです。物理法則とは宇宙や自然を支配する法則です。自然法則は全体にバランス(調和)を与えます。宇宙や自然を数式で記述する基本となります。自分勝手にディメンションだけ揃えても物理的に意味がありません。物理の応用問題を解く時、必要十分条件を満たしたイコール関係を物理法則から工夫して組み立てる柔軟な姿勢が重要になります。バランス(調和)を無視して問題は解けません。これは横展開可能であり、バランス(調和)を無視して地球全体の問題も解決できません。
物理法則に従って運動方程式は多くの形に式変形されます。運動方程式の式変形において電磁波の運動量ベクトルを表す場合でも、ポインティングベクトルを表す場合でも運動方程式全体で必要十分条件を満たしてディメンションが揃えられています。一方は運動量を表す立場、一方は電磁波の進行方向を表す立場ですが、物理法則に従って式変形(柔軟な姿勢)する工夫から運動方程式全体の必要十分条件を満たしてバランス(調和)が取られています。ガウスの法則とアンペール・マクスウェルの法則から運動方程式で電磁波の運動量を記述する時、右辺第一項は運動量ベクトルの時間微分、右辺第二項はポインティングベクトルの体積積分の時間微分(但し光速度二乗で除す)であり、第一項だけでも、第二項だけでも運動方程式全体の必要十分条件を満たしてバランス(調和)は取れません。片方だけを考慮しても全体のバランス(調和)は取れません。運動量ベクトルの時間微分だけで左辺と必要十分条件を満たして運動方程式全体のバランス(調和)が取れるとしては誤答であります。ポインティングベクトルの体積積分の時間微分との関係にも応じて、運動方程式全体で必要十分条件を満たしてバランス(調和)を取ることが正解となります。物理法則に従って必要十分条件を満たしながら式変形(柔軟な姿勢)する工夫には方程式全体のバランス(調和)を取るために揃えられる亊も揃えられない事も認め合い、そして譲り合って一体化する姿勢が確認されます。方程式全体のバランス(調和)を取るために型にはめず、決め付けず、囚われない柔軟な姿勢が確認されます。なによりも先ず、物理法則に準じ、そして必要十分条件を満たした式変形(柔軟な姿勢)の工夫でなければなりません。運動量ベクトルとポインティングベクトルを自分勝手に揃えようとする事は揃えられない事の誤魔かしとなり物理的な意味がありません。運動量ベクトルとポインティングベクトルを揃える事は誤魔かしです。運動量ベクトルとポインティングベクトルの単体どうしでは互いに揃えられない事を認め合って比較しません。揃えられない事は既に明らかで比較の役割は終わっています。比べようがありません。方程式全体のバランス(調和)を崩す自分勝手な比較には物理法則に準じた式変形(柔軟な姿勢)がなく、必要十分条件を誤魔かした異常になります。異常に同調して揃えてはなりません。
全体のバランス(調和)を取るために、揃えられるか否かを誤魔かしてはなりません。揃えられない細かな部分の多様性を確保するために、揃えられる亊にも限界があります。F=maとして記述する質量と加速度の関係です。物理法則に準じて必要十分条件を満たしながら運動方程式が式変形されていく過程において、ポインティングベクトルは体積を乗じて速度二乗で除されて運動量ベクトルのディメンションと揃えられます。このことは次元方程式から確認できますが、体積と速度とポインティングベクトルの三者関係に着眼した時、これらのディメンションも揃えられません。互いに認め合って揃えません。しかし、互いに譲り合って一体化して運動量ベクトルのディメンションとして揃えられています。一体化して、統一されていく姿勢を方程式の項の中に確認することができ、これは方程式全体へと広がっていきます。このように全体のバランス(調和)を取って有限を否定しない(限界を超えない)柔軟な姿勢により、揃えられない者どうしが認め合い、譲り合って一体化することで宇宙や自然は成り立っています。人体の五臓六腑も同じです。揃えられない臓器どうしが認め合い、譲り合って一体化することで人体を構成します。自己都合のために揃えられるか否かを誤魔かしてはならず、揃えられない条件では比較の限界であり比べようがありません。
電磁気学から電磁波を語りましたが、電磁波は光であります。故に光は波動を表します。一方、量子力学では光子という粒子としても説明されます。光とは波動と粒子の二重性を持つ素粒子であり、量子(光では光量子)として説明されます。波動は波動のまま。粒子は粒子のまま。しかし、揃えられない条件を認め合い、そして譲り合う姿勢(柔軟な姿勢)が光量子としての二重性に表れています。波動と粒子の揃えられない性質が一体化して、量子の性質として統一されています。
方程式全体にバランス(調和)を与える式変形(柔軟な姿勢)の工夫がある時、方程式を構成する細かな部分の各要素は互いに等身大で相手の立場に立てている状態にあります。これは大きな部分である全体のバランス(調和)を取るために各要素が立場・役割に責任を持って最善を尽くすということであり、各要素の責任は全体の中での立場・役割の違いから50:50とは限りません。細かな部分の各要素は多様性として全体のバランス(調和)を取ります。50:50は平等関係の取り方の一つに過ぎません。50:50のみが平等ならば全体の多様性が考慮されていません。方程式は代数、関数は解析ですが、共に関係性を表していることを前提に語っています。
「正常」の思い、考えとして認め合い譲り合う心を持つことが必要であることから性全体のバランス(調和)に関して述べます。「反地球からやって来た救い人(2)」の〈補足説明1〉から正常を部分的に満たしていても、反する内容を含む場合は正常を誤魔かした異常です。ここで、正常を誤らないための要点を2つ上げると、
ⅰ)
全体での自分の立場と役割を自覚(自分自身の有り方を反省し、自分が何であるかを明瞭に意識にもたらす)して、揃えられるか否かを誤魔かさないこと。
ⅱ)
一体化の意味を正しく理解すること。
正常を部分的に見た場合、揃えられることも揃えられないことの条件も互いに譲り合って(出し合って)ワンセットで揃え、一体化の関係を持つことによって、時間発展する全体のバランス(調和)を確保して有限を否定しないとあります。この一部分で判断する場合は「揃えられることも譲り合ってワンセットで揃えて一体化する」ことから同性愛に対して多様性としての正常解釈が通ります。しかし、正常の内容全体で判断すると異常であることが明らかです。第一に男性としての性的立場と役割、女性としての性的立場と役割を自覚して、揃えられない性を認めることが必要です。男性は女性に揃えられません(逆も同じ)。第二に男女が一体化しても男性と女性の分別はあります。子への遺伝も父方と母方で分別を持って現れます。一体化とは全体にバランス(調和)を与えることであり、それぞれの分別は消えません。そして、相手との関係に応じて自己都合では揃えられません。性全体にバランス(調和)を与えるために、異性との性関係に応じて自己都合で性は揃えられません。男性が女性に揃えたい(女性になりたい)、女性が男性に揃えたい(男性になりたい)というのは一体化を自己都合で判断した誤魔かしです。正常を誤魔かした異常になります。以上から、性関係は異性と持つのが正常となります。
反地球からやって来た救い人(2)から
①)根源的本質の存在
有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」の状態を取る)。これが
根源的に大きな部分として、細かな部分の多様性(森羅万象)の条件「表現」に対して、揃えられる条件「本質」である。この一点の本質から多様性(森羅万象)が展開される。本質の意味を否定した条件「表現」は未熟な自分勝手の自由で多様性を誤魔かしている。人類の歴史の過ちのすべてがこの過程にある。本質は「なかほど」による全体のバランス(調和)を意味するので整合性が取れずに矛盾して自滅に追い込む。自分勝手とは有限が持つ価値の誘惑に負ける未熟にある。認め合い、譲り合う心が育っていないために自分だけの世界であり、自分だけ良ければよいという心から有限が持つ価値の誘惑に負ける。
宇宙や自然において、全体のバランス(調和)を乱すものは限界を超えて自滅に導くため多様性に含まれません。多様性とは生物多様性のように、生物間の関係に応じて生態系全体のバランス(調和)を取って絶滅しません。全体のバランス(調和)を乱して有限を否定するものを多様性とする見方は誤魔かしの「わがまま」であります。勘違いしてならないのは相手との関係は一様でなく、全体のバランス(調和)を取るためには直接関係を持たない場合もあります。直接触れると全体のバランス(調和)を乱す関係もあります。しかし、間接関係によって全体のバランス(調和)が取れるならば多様性です。人間関係も同様であり、周囲の第三者の理解と協力が必要になります。仕事でも第三者を間に挟むことで忍耐が限界を超えないようにして我慢の末に自滅しないようにします。大人だから仕事だからと無理強いされるのが現代社会です。割り切れる内は柔軟に対応できる範囲内だから問題ありません。割り切りも効かない忍耐の限界ならば間接関係に切り替えなければなりません。一方で、癌細胞の場合は誰彼かまわずに全体のバランス(調和)を乱すので多様性ではありません。このような現状のもと、現代社会は誤魔かしの「わがまま」を強引に推し進めて、自滅に向かって止まらなくなっています。
以上から、相対性理論が特別なのではありません。物理法則は自然科学の諸分野(医学、生物学、化学、天文学他)の基礎を成しています。故に、物理法則を無視するということは宇宙や自然そのものに逆らった自分勝手な生き方をするということになります。
次に②において、何事も心で思い考える意志から行動し、その内容に応じた自分の未熟さが現れます。未熟さが異常(自分勝手)になり、心の各機能のバランス(調和)を崩すので「心の機能」に関して説明します。物語の主人公を知りたい時、主人公だけを見てもよく分かりません。取り巻く周囲との相互関係が見えると分かりやすくなります。そこで、「心の機能」を主として関係する事柄も合わせて説明します。自然科学で解明されていくことですが、現在未解明な部分には説明の便宜上、仮の用語を用いて未解明な部分に対する結論のみを説明します。考え方の解明は自然科学者の役割です。現状の考え方が破綻する結論と直面しても、既存の考え方と矛盾することなくルールを遵守し、一段一段積み重ねる姿勢こそ大切です。何段も先の結論を既存の考え方で説明を試みることに意味は有りません。
「心の機能」を主として、関係する事柄は以下の通りになります。
(A)反物質
物質はそれ以上細かく分解できない素粒子から構成されています。このように素粒子とは物質を構成する単位「量子」であります。このミクロの世界の物質は人が見ていない時には確率の波(波動)として分布していますが、人が見た途端にその確率の波は一点の粒子に収縮(波束の収縮)します。量子は波動性と粒子性の性質を持ち合わせています。人が見ていない時には確率の波として分布しており、存在自体から確率に依存しているのが素粒子なのです。この確率の波は波動関数として表されますがそれを導く波動方程式がニュートン力学のエネルギーと運動量の関係式を量子化(エネルギーと運動量を演算子化して波動関数に作用させる)して得られます。ここにシュレーディンガー方程式と呼ばれます。ニュートン力学を量子化してミクロの世界の物理法則を説いたこの理論体系の事を量子力学と呼びます。
ミクロの世界でも素粒子の速度が光速度に接近するような場合には、ニュートン力学の説明だけでは適応範囲外となります。例えば加速器での粒子の衝突による散乱や反応などです。光速度に近い運動では相対論効果が無視できません。そこで特殊相対性理論の量子化が次に考えられました。
特殊相対性理論におけるエネルギーと運動量の関係式においてもニュートン力学の時と同じ手続きで波動方程式(クライン・ゴルドン方程式)が導かれます。しかしここで問題が発生するのです。特殊相対性理論のエネルギーと運動量の関係式では負のエネルギー解が存在しており、確率密度関数に負のエネルギー解を採用すると粒子の存在確率が負の値を取ってしまうからです。負の確率では困ります。天気予報の降水確率が「-50%」では意味不明です。クライン・ゴルドンの波動方程式は波動関数自体を演算子化して真空状態に作用させる事を考えていく場の理論(場の量子論)でも活かされており、使えない式ではないのですが、負のエネルギーによる負の確率は解決しなければなりません。ローレンツ変換に対して方程式が形を変えない必要があります。ローレンツ対称性を満たさなければならないという事であり、そのためには波動方程式全体において2階微分が現れないように4個の補正係数を設定して、1階微分のみで記述される波動方程式に書き換える必要がありました。このようにして改めて求められた波動方程式はディラック方程式と呼ばれます。4個の補正係数は4行4列の行列として与えられ、ディラック方程式は4成分スピノールを含む4個の波動関数を正エネルギーの場合と負エネルギーの場合に分けて解を持つ波動方程式として導かれたのでした。
ディラック方程式における確率密度関数は正の値を示し、結果として負の確率問題は解決されましたが、負エネルギーの波動関数(負エネルギー解)が出てくる点は変わりませんでした。この先で波動関数を演算子化して量子化する場の量子化において負のエネルギー問題も解決される訳ですが、ディラック方程式が導かれた時にはその負のエネルギー解を結論としてどのような事が言えるのかを考える必要がありました。このディラック方程式の解が抱える負のエネルギーの解釈として登場してきたのが反物質のはじまりなのです。
素粒子の中でもクォークやレプトン(電子やニュートリノなど)から構成される物質粒子(フェルミオン)は同じ状態に2個以上存在する事ができないという排他率の性質を持ちます。この排他率の性質から真空の内部は負のエネルギー準位の電子に埋め尽くされているという解釈が成り立ちます。真空を海に例えれば、海の中・海面・海の外のように表す事ができるように、真空内部・真空表面・真空外部のように表す事ができます。何も物質のない空間としての真空は真空外部を表します。真空外部では何も物質はなく衝突する物はなく通り抜けていきますが、真空内部から物質が現れていないだけという事を意味します。
ɤ線どうしを正面衝突させる事で運動エネルギーが真空表面に加えられ、それが電子2個分の質量に相当するエネルギー(2mc²)であったとします。すると真空内部からは電子1個が飛び出し、飛び出した後の抜け孔も粒子として現れます。この真空内部の抜け孔にはもともと負の電荷を持った通常の電子が入っていました。それが抜ける事で代わりに正の電荷を持った孔となります。これが正の電荷を持つ陽電子、つまり電子の反物質である反電子を表します。
このように場の量子論に発展していく前の段階である相対論的量子力学において反物質の存在は予知され、はじめて実際に陽電子(反電子)が確認されたのは宇宙線からでした。そして、反物質は負ではなく正の値を持つエネルギーから成る事が示されていきます。量子力学では波動関数が演算の対象になっていましたが、今度は波動関数を演算子化(波動関数の振幅部分を生成演算子と消滅演算子に置換して粒子性を表す)して真空状態に作用させる場合を考えます。真空状態が演算の対象になります。このように波動関数を演算子化した場のハミルトニアン(エネルギー)は波動性だけでなく粒子性も同時に合わせて表現できるようになります。波動性と粒子性が同時に合わせて表現されるという場の量子化によって負のエネルギー問題は解消されていきます。この場の量子化により表される理論体系の事を場の量子論と呼びます。特に特殊相対性理論を前提とした場の量子論により素粒子物理は展開されます。重力子という仮説の素粒子は除いて、各種素粒子たちはそれぞれがスカラー場、ベクトル場、スピノール場の実数場または複素場として表されるので、場の相互作用として素粒子たちの衝突による散乱や反応も確率に依存して求められていきます。
負のエネルギー解は特殊相対性理論のエネルギーと運動量の関係式が粒子性の特徴のみで表されていた事に起因しています。しかし、場の量子化で粒子性が原因で発生している負のエネルギーの解釈を波動性が補って解決してくれます。ハミルトニアン(エネルギー)の波動性を表す部分に角振動数を含む指数関数が含まれています。場のハミルトニアンといっている通り、場(波動関数を演算子化したもの)からハミルトニアンは求められますが、角振動数を含む指数関数はこの場の中に含まれていたものです。波動を表す要素として現れるものです。角振動数とは単位時間に行われる円運動の回転角の事ですが、角度は一般角として正の向きだけでなく負の向きでも表せます。これによって角振動数に負号が付いた場合でも角振動数は正の値を取ります。また、波動性の特徴からエネルギーはħω(ħ=h/2π)で与えられます。場の量子論ではディラック係数(ħ)や光速度(c)は1として規格化しているのでエネルギーと同等の意味を持つとして角振動数ωを用いています。以上から粒子性のみでは負のエネルギーを持つと解釈されていた反物質のエネルギーは改めて正の値を取る事が示されるわけです。
粒子と反粒子の電荷が逆である事は電子と陽電子(反電子)の所で述べましたが、この事は場の量子論においても示されます。そして電荷を持つ粒子は複素場で表されるので、複素場でないと粒子と反粒子を分けて表す事はできません。逆に電荷を持たない粒子は実数場で表され、例えばニュートリノ類、電磁気力を伝える光子、電磁気力より強い力を伝えるグルーオン、電磁気力より弱い力を伝えるZボソン、そして質量を発生させるヒッグスなどは電荷を持たず、粒子と反粒子に分かれず自身が粒子でもあり反粒子でもある存在になっています。故に、すべての素粒子で反物質は存在しています。
まずは反物質に関する事を現代科学の範囲から紹介しましたが、反物質の存在に具体的に触れた理由は、本章(Ⅳ章)では目では見えない世界である「あの世」を扱わなければならないからです。反物質が関係しているのです。
大切な事として強調したいのは反物質だけではありません。素粒子は存在自体から確率に依存しており、素粒子の衝突による散乱や反応、そして崩壊といったミクロの世界の現象は確率に依存しているという事です。そしてこれら現象の前後ではエネルギーと運動量がセットで一体化して保存されています。エネルギーと運動量がセットで保存されると同時に時間と空間の対称性も成立しています。対称性保存則が成立しています。確率に依存しながらもエネルギーと運動量はセットで一体化しているのです。反地球からやって来た救い人(2)で次のように述べました。
「宇宙・自然の現象では確率に依存してもエネルギーと運動量は不可分であります。確率に依存するのは経営と業務に従事する側も同じです。運営の成功失敗は定かでありません。同じように、利益と経営・業務に従事することは不可分です。投資で企業を所有する立場にあり、それ故に確率には依存するが一体化している利益と経営・業務に従事することを分離して利益(配当金、売却益)のみを取ることはできません。株主はお金を投資(財務資本)しますが、経営と業務に従事する側は労働力を投資(人的資本、社会・関係資本、知的資本)しています。資本の分類としては製造資本、自然資本もあります。資本家(投資家富裕層)の株式投資を優遇して利益(配当金、売却益)のみを与えることはできません。」
エネルギーはお金(利益)に、運動量は現場で汗水を流して働く事(労働)に例えられるとして説明してきました。Ⅲ章の「八つの決まり」の4) でもこの事の大切さを次のように述べました。
「汗水流さず利益を吸い上げる仕組みが足る事を忘れさせる。人は汗水流して現場で働く事で実際に働ける限界・限度を知る。それを超えて働くのが過労となる。限界・限度を超えると遅かれ早かれ自滅する。最悪の場合が過労死である。人は限界・限度を超える前に休暇やリフレッシュを求めるようになる。それが正常の証である。しかし、汗水流さずに利益を現場で汗水を流す労働者たちから吸い上げる者たちには、汗水流して働ける限界・限度がわからなくなり、故に果てしなく利益のみを吸い上げ足る事を忘れる結果となる。資本主義の暴走の本質である。」
最後に素粒子の相互作用による時間発展(変化)も確率に依存していますが、その確率を求める過程においても発散して有限を否定してしまう場合があります。これは2次の摂動計算で伝搬関数の部分で起こる発散ですが、その原因は特異点ではありません。この場合も特異点は発生しているのですが複素座標の性質を活かした変換で特異点は避けています。一般相対性理論では重力場の異常な特異点として有限を否定する問題に触れていますが、特異点でなくても発散する事が異常なのです。限界・限度なく「なかほど」を失う事が異常なのです。場の量子論ではこの発散による無限大は打ち消す事ができて解決しています。
(B)物質世界「現象界」と反物質世界「実在界」
真空を海に例えて、海の中・海面・海の外のように表せるように、真空内部・真空表面・真空外部のように表せます。何も物質のない空間としての真空とは真空外部に相当し、衝突する物はなく通り抜けていきますが、これは真空内部から物質が現れていないだけという事を意味しました。ɤ線どうしの衝突で真空内部からは電子が飛び出し、そこに空いた孔が陽電子(反電子)としてセットで現れるのでした。これは対生成と呼ばれ、逆に電子と陽電子(反電子)を衝突させればɤ線(光子)を放って消滅しもとの状態に戻ります。こちらは対消滅と呼ばれます。生成と消滅の前後でエネルギーと運動量は保存されています。
真空内部では通常の電子(通常の物質粒子)として存在していましたが、その存在は対生成によって陽電子(反物質粒子)として真空外部に現れます。この表現によれば、私たちが住む世界とは真空外部になります。そしてそれと対の関係で真空内部の世界も具体的には現代科学では未発見ですが存在しているのです。内部や外部の区別は相対的な表現なので、内外は入れかえて表現しても構いませんが、ここでは私たちが住む世界の方を真空外部と呼ぶ事にします。以上から、真空内部に広がっている世界を私たちが住む物質世界と区別して反物質世界と呼ぶ事にします。さらに、物質世界の事を現象界、反物質世界の事を実在界とそれぞれ呼ぶ事にします。目では見えない世界である「あの世」が反物質世界、つまり実在界なのです。
私たちは真空外部に存在している物質粒子から成る肉体と真空内部に存在している物質粒子から成る肉体が重なり合った状態になっています。具体的には後で説明しますが、普通に真空外部を突き進んでも、何にも衝突する事がないように、真空外部の物質と真空内部の物質(今後は反物質と呼んで区別します)は衝突しようがなくすり抜けます。今は都市伝説の話ですが、この真空内部に存在している物質から成る肉体が目には見えないもう一人の自分、つまり霊体としての自分なのです。霊は霊能者のように霊視せずに肉眼で見る事はできず、すり抜けてしまう事が理解されたと思います。霊とは反物質から成る肉体を持つ実体のある存在なのです。そのため、死後に物質から成る肉体を失っても普通にさわれる肉体をこれまで通り持っており、死んだという実感はありません。実際に生きているのだから当然です。実在界(あの世)には反宇宙、反人間が存在しています。
(C)物質体「肉体」と反物質体「光子体」と私達自身「心」
物質粒子から成る五体の肉体(a)には、真空内部に実在して真空外部に出現していない状態の反物質粒子から成る五体の肉体(b)が重なり合っています。ここで(a)は通常に肉体と呼び、(b)は反物質体(光子体)と呼ぶことにします。霊体とは反物質体(光子体)の事です。
肉体と反物質体(光子体)の関係を述べました。「いじめ」の本質を知るために欠かせないのは「心の機能」でした。心は肉体の脳の働きによるものではなく、未知の素粒子から構成されており、ここでは「霊子」と呼ぶことにします。一般的に素粒子とは物質を構成する最も基本的な要素ですが、霊子は物質・反物質の根源的なエネルギー源で有限を凌駕して無限にエネルギーを発生できます。霊子から成る心は反物質体(光子体)の胸部位置に在り、肉体の脳とつながります。心と脳をつなげているものを、ここでは「霊子線」と呼ぶことにします。霊子線は肉体の五体と反物質体(光子体)の五体もつなげています。心と脳は霊子線による電気的振動でつながり、心の「思う、考える」が意志として脳に伝わります。心から伝わった脳の反応を観測して、脳に「思う、考える」といった心の役割があると現在では考えられています。脳も肉体と神経による電気的振動でつながり、心の「思う、考える」を肉体に指示する役割をしています。肉体と脳の死により霊子線は切れ、心を含む反物質体(光子体)は肉体と脳から分離されます。反物質体(光子体)の容姿は良くも悪くも心の状態で変化して年齢状態も自由の不老不死です。但し、本質の不変から、容姿が妖怪や鬼畜になっても人間は人間で、性別(性の本質)も変わりません。
心を入れなければ肉体も反物質体(光子体)も運転手不在の乗り物に過ぎません。故に、心の部分が私達自身になります。心を抜いた私達は完全に機能できなくなります。だから「心の機能」を知らなければなりません。
輪廻転生は
現象界と実在界における光子体の正常な流れを形成して、
現象界と実在界における光子体の対称性保存則を満たす。
Ⅴ章、例題16を参照
『肉体と光子体と心の関係』
・霊子線の電気的振動は脳に心の指令を伝え、神経の電気的振動は肉体に脳の指
令を伝える。
・現象界では脳と肉体を仲介するため、心でどのように思い考えても脳と肉体に
できることしか行動としてとれない。故に、霊能力や超能力は霊能力者や超能
力者本人によるものではなく、実在界の者の協力による。霊能力や超能力の超
自然現象は心で思い、考える想念のエネルギーによる物理現象である。心を形
成する未知の素粒子「霊子」による根源的エネルギーによる物理現象である。迷
信は存在しない。
・実在界では物質から成る脳と肉体から離れて、心で思い考えたことが行動にな
る。但し、心の状態と器の大きさにより行動の内容や規模は異なる。現代科学
で未解明な超自然現象は以上から説明される。
・肉体と光子体は除き、心だけの世界を精神世界と呼ぶことにする。Ⅲ章の①有
限にて触れている精神世界のこと。
(D)構造から見た「心の機能」
心の機能は智性・理性・感情・本能、そしてこれらが混ざり合って想念(思う、考える)となり、意志の部分に伝わるようになっています。人は意志によって行動・実践します。また、心の各機能には表面的な意識と潜在的な意識があります。表面意識とは肉体の五官(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を通して日常生活の影響を受ける意識です。表面意識としての智性・理性・感情・本能の各機能は互いに分かれて自立した状態にあり、それぞれが揃えられない(異なる)役割を持って機能します。
心を三次元構造(立体構造)で見ると、表面意識では互いに分かれていた各機能が中心部分で一つに集まり一体化してバランス(調和)の取れた状態になります。このような中心部分における意識を潜在的な意識と呼びます。表面意識の各機能のバランス(調和)がとれていないと、潜在意識の波動と揃わないために潜在意識とはアクセスできません。
「わがまま」な異常を反省して行動を改めると、五官による情報の影響に左右されずに、表面意識における心の各機能のバランス(調和)が取れて心は球対称をとります。同時に浄化も進んで表面意識は潜在意識と同調できるようになります。潜在意識には輪廻転生(過去世)の記憶も含めて、これまで努力で積み上げてきた才能があります。表面意識だけでは今生のみの努力に限定されます。全体のバランス(調和)を崩す「わがまま」な生き方を改めると、正しい実在界の協力が得られます。つまり、誕生する前の実在界で、私達を守護し指導してくれる約束をしてきた心の兄弟や友が閉ざされている潜在意識への栓を緩める手助けをしてくれます。今生で等しく条件を揃えて努力をしても個人差がでる理由であり平等です。生き方を無視して技術のみ追求しても本当の実力は発揮されることなく宝の持ち腐れになります。
現象界(物質世界)の人間関係では揃えられない事が多く、思うようにならないために有限の持つ価値(金や権力)に執着し、その価値を限界・限度なく求めること(資本主義では有限の利益を無限に求める)で全体のバランス(調和)を崩して異常に堕落し易く、心の本質である正常が試されます。正常を満たす「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」を規準として、自分の思うようにならない揃えられない五官情報に左右されない表面意識を目標に、日常で実践練習を重ねます。皆同じく、人生の第一優先目標です。一度の人生(今生)で習得できるものではありません。輪廻転生する理由が理解できます。他の目標のみに専念して挫折すると、第一優先目標を失い、大惨事になる場合があります。
自分には何の夢や目標も無いということはありません。揃えられない人間関係に柔軟に対応する地道な努力が人生の第一優先目標です。正常の生き方で職業につくこと、正常の生き方で目標を達成するので前向きに明るい気持ちで生きていけます。この人生の第一優先目標が見失われているので「いじめ」が放置されて腐敗します。
『心の兄弟とは』
個性(※)は皆異なりますが、実在界には自分と同じ個性の人が自分を含めて6人います。男6、女6、男と女半々の組み合わせであり、その内1人が本体、他5人が分身となっています。兄弟は交代に輪廻転生しますが、順番通りとは限らず連投する人もいます。2人以上が肉体を持つことはありません。心の友は実在界の友人で文字通りの心の友です。実在界にも悪の世界があり、その世界の人達とは異なり、私達の人生を幸せの方向に導くように第三者として協力してくれます。幸せの方向とは言うまでもなく、自己都合で生きない、わがままに生きない正常です。打算的でない生き方に対して第三者として無償協力します。悪い人達と心の兄弟・心の友の違いも明確に示せます。悪い人達の特徴は「①私腹目的の見返りを求める打算であること」、そのために「②誤魔かし続けること」です。私腹目的の見返りを求める人達は実在界の悪い人達で、私達の打算的な思い・考えが引き寄せます。悪い人達とは「わがまま」者です。スジを通さずに自己都合を通すには誤魔かさなければなりません。忘れたふり知らないふりをして忖度もさせます。心の兄弟と心の友は打算的な願いや欲望には第三者として無償協力しません。誤魔かしもありません。八百万の神には幸福に導く神と祟り神がいます。その中で幸福に導く神とされるのが心の兄弟と心の友です。そして、人の打算的な考えに介入して見返りと誤魔しで不幸にするのが、実在界の悪い人達、または祟り神です。悪霊とも呼ばれます。見返り前提な悪霊の介入は破滅です。良くも悪くも彼らは実在界に住む人間、すなわち反人間です。
(※)
個性とは個人にそなわり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質を指します。ここで性格とは、ある人物の感情や意志の動きに表れる特有の傾向とされます。このことから性格の部分は心の機能として説明できるものです。個性と長所・短所は別物なことを改めて後で語ります。「心」の本質から「いじめ」がわかります。根源的本質から多様な表現を理解することが必要で、八つの決まりの理解を深めることです(Ⅴ章最後を参照)。
(E)特徴から見た「心の機能」
大切なことは心の各機能に偏りがなく、バランスがとれていることです。各機能の特徴は以下の通りになります。
本能とは、原始的形態であり生理的欲求である。
本能(表面意識):食欲、性欲、睡眠欲
本能(潜在意識):建設、調和
食欲、性欲、睡眠欲は足ることを知っており一次本能とも呼べるものであるが、人間には他の動物には無い欲望である物欲、金銭欲、権力欲といった二次本能と呼べるものがある。この二次本能は自己制御しないと足ることを忘れて有限を否定する恐ろしいものである。資本主義の意味は「資本が経済上の中心勢力となり、無限に利益をもとめる社会制度」とされる。二次本能を暴走させる社会制度で足ることを知らないので資本主義は暴走する。
感情とは、行動の源泉であり感情に大きく左右される。
感情(表面意識):喜怒哀楽
感情(潜在意識):愛、情け(慈悲)
智性とは、考える能力、合理性、客観性である。
智性(表面意識):智識、才覚、価値の判断
智性(潜在意識):智恵
理性とは、物の道理を判断する能力である。
理性(表面意識):習慣、伝統、因習、風土のように行動を自動調節する機能
理性(潜在意識):輪廻転生(過去世)で学んだ事が蓄積されている
全体バランス(調和)を取るために状況判断し、心の各機能(本能、感情、智性、理性)を相互にバランス(調和)良く関連させて、想念(思う、考える)として意志に伝えることで正常な行動がとれます。これが長所です。逆に全体バランス(調和)を考えずに自己都合で状況判断しないと、各機能のどれかに偏った想念を形成します。これが次のような「わがまま」の特徴を示します。異常な行動につながる短所です。
・本能に偏った場合は愛欲・エゴ(主観、思い込み)に流され易くなる、
・感情に偏った場合は争い・怒り・衝動的となり易くなる、
・智性に偏った場合は情操を失い目的のために手段を選ばなくなる、
・理性に偏った場合は独善に流され易くなる。
全て異常な行動につながる短所「わがまま」を表します。
(F)霊子の特徴から見る心の特徴 ~有限の凌駕~
物質・反物質の根源的なエネルギー源である霊子から心は形成され、心と脳、光子体と肉体を結ぶ霊子線も形成しています。霊子の特徴は型にはめない決め付けないことです。これの意味するところは、霊子は有限を凌駕しておりエネルギーを「必要に応じて」上限なく無限に発生させることも可能です。必要に応じて上限なく発生させられるという意味で無限が現実のものとなります。万物の根源であり、私達が心や霊子線に霊子を持つように素粒子も霊子を持ち、万物が持つ根源的存在として発見されます。反粒子も含め、物質粒子、ゲージ粒子、ヒッグス粒子問わず例外はありません。よって、万物が心を持っています。心の無いものはありません。万物が心を持つことから生物として定義可能であり、生物と非生物の境界線は存在しません。
心の各機能から想念(思う、考える)が構成されますが、この想念自体がエネルギー、すなわち仕事を成す能力を持っており、それを産み出している根源が心を形成する霊子であります。肉体と脳の両方の死により霊子線が切れて光子体が分離します。霊子線の伸縮にも上限はなく、肉体を持ちながら光子体が離れることもあり幽体離脱と呼ばれています。霊子線の切断で光子体が肉体から完全分離すると霊子による想念のエネルギーを、仕事を成す能力として脳や肉体に制限されずに使えるようになります。外力を作用させる物体の運動「ニュートン力学」、電荷に加速度を発生させて電気現象や電磁波を発生させる「マクスウェル電磁気学」、音波現象、熱現象、さらに心の各機能が調和されて器の大きい想念では物体の生成・消滅そして瞬間移動、大自然の制御も可能になります。
ポルターガイスト現象(力学現象、電磁気現象)、ラップ現象(音現象)、アポーツ現象(物体の生成・消滅)、瞬間移動の全てが、心を形成する霊子によって産み出される想念のエネルギーによって成される仕事であり、物理現象です。実在界の悪い人達は心が不調和なので扱える現象の規模も小さく、ポルターガイスト現象やラップ現象が大半を占めます。物体生成、瞬間移動、さらには大自然を制御する大規模な現象は実在界でも心の調和された上段階の方々でなければできません。自然法則では悪い人達の力は制限されています。フィクションのように悪が世界を滅ぼすような力を行使することは自然法則では不可能になっています。心の調和された上段階の方々は強大な力を行使できますが、第三者として自立した正常の全体バランス(調和)のために無償協力します。全体バランス(調和)を崩す者達には協力しません。地球上で起こっている異常気象は私達人間のわがままによる結果(反作用)であり、権力者を都合よく操る資本家(投資家富裕層)の責任は深刻です。力と責任は正比例します。お金の力>権力の関係が成り立って政権は操られてきました。力と責任の大小関係から罪の大きさが定まり、資本家(投資家富裕層)の罪>政治家の罪となります。仕組みを変えられない一般人は敷かれたレールの上を歩くしかありません。しかし、全体があって個人が生きられる事を忘れて、無責任に社会情勢に関心を持たなくなってはなりません。常に社会情勢に関心を持って自分勝手に傍観者とならなければ、政治の状況変化にも気が付いて選挙で投票にいく事の大切さも自覚します。「悪者がほろぼすのではなく、何もしない者がほろぼすのだ。」と理論物理学者のアルバート・アインシュタインも語っています。自覚なく涼しい顔で生きていても、大罪を重ね続けて清算なく、お金や富に囚われた者達の想念(心)は黒色です。心には色があります。
『物体の生成と消滅』
物体の生成に関して補足説明をしたいと思います。このような現象は心の調和された方々でなければできないと語りましたが、心の調和度と器の大きさで内容は大きく変わります。我が家で起きた発生現象は巧みになっています。想念とは心で思い・考えることであると説明しました。つまり物体の正確無比な創造も可能です。某食品メーカーのホットケーキがあるとします。発生現象では内容物は勿論、包材のパッケージまで完全に再現できます。逆に消滅させることも可能であり、神隠しと呼ばれる場合があります。
『霊能力・超能力とは』
どちらの能力も肉体を持たない実在界(反物質世界)の反人間の協力によるものです。脳と肉体に制限されずに、想念(思う、考える)のエネルギー「仕事を成す能力」を開放できなければならないからです。脳と肉体が超自然現象を起こすことは不可能です。
『雰囲気(オーラ)とは』
心の各機能から想念(思う、考える)は発生し、それはエネルギー「仕事を成す能力」であり波動として伝播します。物質の脳と肉体を持って生きている内は想念のエネルギーを外部に作用させて超自然現象を起こすことはできませんが、そのエネルギー波動は周囲に伝播します。これが雰囲気(オーラ)であり、想念のエネルギー波動です。電荷の存在を知らずにマクスウェル方程式は導けません。真空中の電磁波はマクスウェル方程式で電荷密度と電流密度をゼロと置き、電場と磁場(磁束密度)に関する2本の波動方程式を導出する所から入ります。波動方程式の解からは電磁波の伝播速度が真空の透磁率と誘電率により定数として示され、ファラデーの電磁誘導の法則を用いて電波と磁波の関係まで示されて電磁波の存在を証明できます。同様に、霊子の存在を知らずに想念の立証はできず、そのエネルギー波動も捉えられません。エネルギー波動が合うと相性も合います。個性に関しては次に述べますが、個性が揃うと相性が良いということではありません。個性は心の兄弟以外では揃えられません。肉体の死後、苦しみの実在界に堕ちた者には個性が同じ心の兄弟でも近寄れません。個性は同じでもエネルギー波動が異常になっているためです。揃えられるのは心の各機能から発するエネルギー波動の方であります。波動が揃う者同士の相性が良くなります。波動が揃うということは想念(思う、考える)が類は友を呼ぶということです。会話が自然と合います。揃うということは関係があるためです。比較可能な状態で相性が良いのです。相性が合うか否かは、話さなくても誤魔かすことのできない相手の雰囲気(オーラ)によるものです。故に、それなりの人格者と会話が合って相性がよくなるためには自分も心の想念を正す必要があります。良縁や悪縁も想念(思う、考える)によるものです。過去世のことは記憶が潜在意識の中でも、相手をどのように思っていたかのエネルギー波動は慣性の法則で存続しています。今生の問題で記憶が鮮明ならば解り易いと思います。時の癒しで想念(思う、考える)から憎しみの思いが消えても、嫌う思いは本心から和解できなければ慣性の法則で存続しています。憎しみは執着で堕ち、嫌う思いは執着ではなく昇天します。昇天するための条件とは、未熟故に犯した自分勝手な罪の清算とその他のあらゆる生きていた時の執着を人生が終わるまでに流していくことです。この体験を通すことで自己成長できます。昇天とは自己成長であり自分を救うことです。加害者への救いでも述べました。肉体を離れた光子体で天上の実在界に昇天すれば、人間関係も自分にフィットした我の無い世界であり、あらゆる生活要素で不自由することなく好待遇です。肉体を持って生きていた時の執着は無意味であるとわかるでしょう。当然のことですが、昇天した者の本音は我で汚れた現象界などに来たくはないのです。それでも無償の姿勢で第三者として正常の自立援助に介入する心なのです。現象界に執着して見返り前提で異常に介入して不幸にする悪霊とは正反対です。
『個性と長所・短所の違い』
個性と長所・短所を同じく解釈されている場合があるので、両者は別物であることを述べたいと思います。長所・短所とは心の機能で理解できます。長所とは心の本質である有限の凌駕(型にはめない、決め付けない、囚われない=執着しない)を表します。偏らない、なかほどの姿勢で有限を否定しない正常を表します。異常ではどのようなことでも長所とは言えなくなります。日常の揃えられない、思うようにいかない人間関係のあらゆる場面において、心の各機能(本能、感情、智性、理性)をバランス良く使いこなして偏らない「心のコントロール」を身につけていることが「長所」になります。努力も限界を超えてならず「いじめ」の克服にも第三者の自立援助が必要です。短所ではこれらを否定します。正常を誤魔かした異常が短所になります。長所(正常な生き方)を多く実践している人は光子量が多く、短所(異常な生き方)が多い人は光子量が少なくなります。長所と短所の持ち具合によって反物質世界(実在界)は分かれていると言えます。光子量が多いほど、長所が多いほどに上段の世界に上がっていきます。現象界も含めた世界を広く見ることも可能になります。個性は長所と短所の持ち具合による光子量の違いとは関係なく、長所・短所とは別物になります。長所と短所の持ち具合は心の兄弟でもそれぞれで、意識の成長段階もそれぞれです。
『強調したいことは正常な生き方』
反物質の存在までは知られていても、反宇宙、反人間の存在までは現代科学では証明できません。「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」を実践している反物質世界(実在界)が起こす現象により反人間の存在は確かめられます。必然的に反宇宙の存在も示されます。反物質世界(実在界)とは、今の現象界では心霊の世界を意味し、未開領域への興味やあこがれが起こるのは自然なことでありますが、強調したいのは正常の生き方です。正常への導きのために天上の実在界は協力します。現代科学が示せる結論の範囲内では説明が不十分になってしまうため、未開領域にも話を進めた次第です。
『普通』
「いじめ」では普通でないという表現が頻繁に見受けられます。「いじめ」における「普通」とは多くの意見を反映した内容であり、多数枠外は例外とされて普通でないとされますが、正常と異常の分別がなければ多数決の民主主義でも意味がありません。多数意見を正常と定義できるのではありません。普通や自由は正常を満たすことを前提にします。
(G)物質世界(現象界)と反物質世界(実在界)の比較
主要8条件で比較を取ります。人生の意味を知る重要な比較検証です。
実在界「反物質世界」(但し、自滅した苦しみの世界は除く)
1「世界の構造」は心の想念に応じて無数に存在する多重構造から成る。
2「心で思い考えていること(想念)」は互いに読み取れて誤魔かせない。
3「人間関係」は同類で揃えられており思うようにいく亊が大概で衝突しにくい。
4「わがまま(我)」は条件2と3からなり難い。
5「結果(反作用)」は心で思い考えることが行動になるため直ぐに出る。
6「財産」は心の想念の調和度(正常の習得度合い)による光子量。
7「移動の自由度」は心の想念の調和度による光子量の多少により、多い程自由に
動け、現象界も含めて広く世界を行き来して上段の世界へと自由に動きが取れ
る。上段の実在界に生きる者の視野は非常に広く、現象界の宇宙全領域も把握
できる。
8「心の本質理解」に関しては同類の人間関係の上に誤魔かしが通らないので促さ
れ難く、心の成長速度が遅い(現象界の1年分の成長は実在界での70~100年
分に相当)。環境が自分向きに整っているので未熟さが表われず、しくじり難
く、心を理解し難い。
現象界「物質世界」
1「世界の構造」は一つのみから成る。
2「心で思い考えていること(想念)」は互いに読み取れず誤魔かしが通る。
3「人間関係」は揃えられず思うようにいかないことが大概で衝突しやすい。
4「わがまま(我)」は条件2と3からなり易い。
5「結果(反作用)」は心で思い考えて行動してから出るので直ぐに出ない。
6「財産」は金銭をはじめとして有限の持つ価値。
7「移動の自由度」は金銭次第である。
8「心の本質理解」に関しては思うようにいかない人間関係で誤魔かしが通るので
有限の価値に囚われて、その自業自得の罪の清算を通して自覚が進み促され易
い。心の成長速度が格段に速い(現象界の1年分の成長は実在界での70~100
年分に相当)。心は理屈だけで理解できない。しくじりの体験を通して理解で
きる。
以上、実在界と現象界に関して、揃えられた条件を互いに不足無く照合してみました。細かな部分で揃えられない内容が明らかになり比較の役割は終わります。実在界と現象界の生活環境が揃えられないことを認めて、譲り合いで一体化する姿勢が必要です。これの意味は死んでも終わらず、輪廻転生を受け入れるということです。今の世界は末期状況にあり、自業自得の罪に満ち溢れていますが、以上の照合から現象界の厳しい環境が分かり、実在界の心の兄弟や友が、心の成長のために慈悲深い目線で見てくれていることが分かります。しかし、有限は否定できず、指導に共感できない者は自滅を体験する道で心の成長を果たす以外にありません。
(H)正常は異常に揃えない
異常な対応をされた時こそ、心の本質である正常を学ぶ機会です。周囲の第三者の立場から異常な対応を見れば「わざとらしく」見えます。それは誤魔かしが入っているためであり、スジが通っておらず「ほころび」があります。異常な対応は比較の限界を無視して揃えられるか否かを誤魔かした「ひがみ、妬み」に端を発する「いじめ」が多くあります。「ひがみ、妬み」に限らず、不正行為とは異常に端を発しており誤魔かしに満ちています。正常は異常に揃えないので異常な対応に正面衝突せずに先ずは一歩引き、問題無い普段の日常生活の一場面として対応します。抵抗を生まない自然な対応であり、「いじめ」てくる相手も含めて周囲に対してもスジを通した対応です。報復によらない「柔軟な姿勢」です。心の各機能をバランスよく使いこなさなければ「柔軟な姿勢」はとれません。「いじめ」に対して始めから感情をむき出しにしては不可能であることは明らかでしょう。
「柔軟な姿勢」は普段の日常生活に溶け込んだ対応のため、無関係な周囲の第三者にはわかりません。分かっているのは柔軟な姿勢で対応している本人と問題の相手のみです。問題を起こしている相手は、自分が問題の状況を作り出しているので気が付きます。周囲の第三者は相談を受けた時に気が付きます。「柔軟な姿勢」は正常として異常に揃えない事が目的であり、異常の問題対応を隠している訳ではありません。それはスジを通した対応であり「ほころび」はありません。
異常な対応にはスジが通っておらず「ほころび」があり、「誤魔かし」が必要になります。正面衝突するハムラビ法典式は「柔軟な姿勢」とは対極的で「わざとらしく、あからさま」です。「いじめ」を受けた直後は感情の高ぶりを感じて至極当然です。しかし、直ぐ反応して仕返しをしては自分も同類です。「いじめ」とは普段の日常生活で問題のない自然な対応ではありません。「柔軟な姿勢」では何もせずに引き下がるのではありません。身をかわすだけでなく、「いじめ」を鏡面反射して自覚を促す案も考えます(Ⅴ章の例題3を参照)。良案が得られるだけでも前進です。ハムラビ法典式では「スカッ」としても一時的です。他方、打つ手無く我慢だけしていても「いじめ」は酷くなるのみで解決しません。
「柔軟な姿勢」のメリットは異常に揃えない対応で、報復の連鎖を絶つと同時に、問題の相手は原因を作り出しているので身をかわされたことに気が付く所です。相手にされない余裕の姿勢により「くやしい思い」として相手に戻ります。「柔軟な姿勢」は加害者でなくても関係者には分かり、無関係の者は巻き込みません。ハムラビ法典式の場合は無関係な周囲も徐々に当事者として巻き込みます。戦争を見れば明らかです。
異常の思考は正面衝突のワンパターンになっています。心の各機能の偏りで視野が酷く狭くなっています。型にはめない「柔軟な姿勢」では正面衝突しないで、異常に揃えない案を捻出します。心の兄弟や友の手助けにより智性の潜在意識から智恵が湧いてきます。これにより心の各機能をバランス良く使いこなします。これが「心のコントロール」です。感情を抑え込むだけでは理性や智性が使われていません。心がコントロールされていません。「柔軟な姿勢」は心をコントロールします。心の機能の中でも理性の役割は大きく、正常を貫いて異常に揃えてはならない道理として「理性を磨く」練習が欠かせません。
異常な対応をしてくる者は「心のコントロール」を怠けて楽をしているので執拗に問題を繰り返します。ここで忍耐の限界を越えて我慢の末に自滅する訳にはいきません。正常を満たす「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」を指導できる第三者が必要なのです。異常(加害者)には悪習慣を正す苦労(罪の清算)が伴います。習慣とは理性の表面意識であり行動で変えられます。自分勝手の悪習慣である「いじめ」から正常を解放します。忍耐が限界を超えそうな状況を第三者が判断して、異常の自分勝手とは物理的に引き離す必要があります。第三者は全体のバランス(調和)を第一優先の上で被害者の限界線を客観的に状況判断できなければなりません。故に、全体の事を考えた場合には被害者を救えない場合もあるでしょう。人生は一度きりでなく輪廻転生の範囲で語られるものです。冤罪になる場合やこの例のように、今だけ見れば罪はなくても過去世の罪の清算を今生で引き継ぐことも起こります。幸不幸には必ず根拠があります。
(I)人生は心の本質を問われる試験
心の各機能の調和度(バランスの取れ具合)と器の大きさの違いから、心から発生する光子の量に変化が現れます。全体のバランス(調和)のために認め合って譲り合える程、心の機能のバランスは取れて器も大きくなり正常な生き方を実践します。心をコントロールして短所を長所に変えていくことで、心は多くの光子を発生して光子体の輝きも変化します。「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」の理解を深め、異常な「いじめ」を自覚した生活を送ることで「いじめ」を成長の糧にします。問題に対して正常の解が与えられて自覚します。正常の規準なく問題を学生に考えさせる現在の学校教育における道徳科の授業では「いじめ」を自覚して成長の糧にできません。第三者だけでなく加害者、被害者も理解を深めていかなければなりません。
想念、つまり心に色の違いが現れる理由は光子量の違いによるものです。心から発せられる光子量の違いによって光子体の持つ光子量も変化します。心のバランスが取れている順に色の変化を示すと、黄金→透き通る若葉色→透き通る紫色→青系色(ブルーな気分と思っている心境)→灰色→黒色、また怒りは「赤系色」、恋愛をしている心は「桃色」です。代表的な色の違いを表しました。灰色、黒色、赤色は異常な心の色です。心のバランスが取れるに従い、光子体が持つ光子量が増えるために光を放ち始めます。この光は後光とも呼ばれ光子体も若々しく上質です。現象界で未熟さが自分勝手になり、それが執着となり光子量を減らします。その光子体は暗く、想念により容姿は醜く悪臭も放ちます。
肉体を持って生活する現象界では光子量の多少に関係なくお金で自由に移動できます。脳と肉体の死で霊子線が切断されると実在界に移動します。但し、光子量の多少に応じて振り分けられます。同類の者が近い光子量で集まる世界が上下で多重構造を形成します。光子量の多い世界から少ない世界へは自由に移動できますが、逆には不可能です。
心の本質は「型にはめない、決め付けない、囚われない」柔軟性で、揃えられない事が多い現象界では有限を否定しないために試されます。有限の正体は「型にはめ、決め付け、囚われる」悪であり、その本質は異常です。認め合って譲り合う心は柔軟であり、有限に振り回されません。心の本質の理解度と習得度が試験され、死後の世界である実在界は、この試験結果(光子獲得量)に応じて振り分けられます。
現象界を試験会場に例えて、試験態度と試験結果から振り分けられる死後の行先を大別して上位から書き表してみます。慈悲で生かす心の人間卒業界→人間卒業目前界(現象界での試験免除可)→理解は無論、習得も進んでスラスラと鉛筆が走る界→出題内容を正確に理解し、解法を考えて解き始める界(難易度を理解して、解けない相手を理解する)→出題内容の理解は不完全だが、指導官が教える正答を埋めて白紙提出はしない界(指導に耳を傾けて実践する)。以上、ここまでの界の試験態度は問題なく途中退席もなく、答案の獲得点数にも関係なく不合格にはなりません。指導に耳を傾ける態度は重要視されます。但し、試験終了後は21日以内(49日は誤りです)に会場を退席しないと不合格になるので、解けなかった問題(未練、怨念、その他執着)は綺麗さっぱり諦めましょう。ここまでが試験時間内に成長して昇天する合格クラスに対応します。
普通の試験との大きな違いは「競争できない試験」であり、その特徴は次の通り大きく五つに分けて上げられます。
①指導官が教える「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」と自分の答案
(生き方)を比較して、できていない所の補習(罪の清算と自覚した実践)で試
験終了までに光子の獲得量を上げられます。試験終了までに補習を終わらせる
のが正しい受験姿勢です。他人の答案(生き方)は大きな部分の揃えられる条
件では参考になりますが、細かな部分の揃えられない条件では比較の限界から参
考になりません。
②出題内容は同じでも、個々人の意識水準の違いに対応して理解度と習得度は異
なります。個々人において正常を実践する工夫(解法)と達成内容(解答)は
揃えられません。
③出題内容は同じでも、個々人が受ける受験条件の違い(細かな部分の揃えられ
ない条件)に対応して正常を実践する工夫(解法)と達成内容(解答)は揃えら
れません。受験条件を変更することで上の立場、下の立場、職業の違いを問わ
ず、さまざまな立場や役割に応じた全体バランス(調和)の取り方を体験でき
ます。人事異動や転職でも体験します。前世は人に指示を出す立場、今生は指
示に従う立場のそれぞれにおいて、柔軟な姿勢で正常を実践する体験を重ねる
ことで光子量を獲得する。本試験では出世の有無に意味はありません。
④工夫(解法)と達成内容(解答)が異なるため、二つとして同じ答案(生き方)
は存在しません。大きな部分の揃えられる条件を参考するに留めて、互いの答
案(人生の歩)は揃えられず比較の限界であり、自分は自分、人は人の考えに
従って自分の人生に責任を持たなければなりません。
⑤一人一人揃えられない条件によって実施される現象界での試験時間も揃えられ
ません。寿命は揃えられないということです。
以上より、出題内容は皆同じく心の本質を問われても、一般的な試験のように画一化した型にはめた形式は採用されていません。小論文、作文試験に近いですが、表現はさまざまでも根源的本質に揃えられた正常表現で心の本質として正解になります。個々人において正常を実践する工夫(解法)と達成内容(解答)は揃えられないので競争できないことが明白であります。採点するならば、自己採点以外になく、誰もが自分の答案(人生の歩)に嘘をつけません。本試験では競争できないので、他人の答案(人生の歩)と見比べても意味がありません。大きな部分の揃えられる条件を見比べて参考するに留めます。揃えられるか否かを自己都合で誤魔かすと「ひがみ、妬み」から異常立場の加害者になります。異常が大罪の場合には補習が試験時間内に間に合わない場合もあります。このような場合の受験姿勢と試験後の世界を最後に語ります。
指導に耳を傾けず、破り裂かれた答案(途中退席)、自分勝手な答案(補習を怠ける)。不合格です。どのような人達の生き方か想像できるでしょう。その結果の行き着く世界は自滅した苦しみの世界であります。自滅の体験を通して自覚して心の本質を学びます。しかし、これは未熟ゆえの結果であって、恥ずかしいことではありません。心の本質を座学のみで体験を通さずに理解できるならば、物質世界の宇宙(現象界)が創造される必要はなく、私達も肉体を持って産まれる必要はないからです。少なからず共感できる人は失敗の体験を補習で克服してきています。
試験後に苦しみの世界に堕ちる居残りコースでなく、試験時間内に補習するコース選択が正しい受験姿勢です。補習を行わなければ成長がなく試験の目的が失われます。だから補習の教科書として根源的本質に揃えられた正常表現として、特に日常生活にフィットしてわかりやすい「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」を紹介しています。居残りコースを選択しなくても補習をこなして成長合格できます。
(J)反宇宙「実在界」の多重世界構造、そして創造主の存在
反物質世界(実在界)では心の想念の違いから世界が無数に展開され、光子体が持つ光子量の多少から住む世界の上下が分かれます。物質世界(現象界)では同じ世界に、肉体を持つことで光子量の多少に関係なく一緒に生活しています。
反宇宙(実在界)の各世界は完全な別世界になっています。(I)では各世界をランク別に大別して表現しました。上位世界と下位世界は包含関係にあり、上位世界の中に下位世界が含まれる多重世界構造です。光子量の多い上位世界と少ない下位世界の包含関係です。包含関係から上位世界は下位世界を理解できますが、逆からは理解できません。
反物質世界(実在界)の反宇宙とは、物質世界(現象界)の宇宙の光子体になります。宇宙の光子体は1体のみであり、その中に宇宙の心もあります。これが「宇宙全体を支配する意識(創造主)」です。私達の心が作り出す想念はエネルギーであり、宇宙の心による想念もエネルギーを発生させます。このエネルギーが物質世界(現象界)の根源であり、それ以前は精神世界(心のみの世界)と反物質世界(実在界)が存在している状態でした。ここで、反物質世界(実在界)を構成する反物質も有限の質量から成ります。故に、物質世界(現象界)と同じく有限から成る世界であり「はじまり」と「おわり」があります。しかし、心の想念から光子量に見合った世界が無数にあるという違いはあります。精神世界(心のみの世界)は霊子から構成されており有限を凌駕した世界になります。これは「はじまり」と「おわり」が無く、過去・現在・未来の区別に意味がないことを表します。私達が生活している宇宙が創造主の肉体であるため、創造主の存在は信じるか否かではなくリアル(現実)です。私達は人間の意識水準を卒業した創造主の意識を目指して繰り返し産まれてきます。これが「輪廻転生の目標の明確化」になります。心の本質を体験から学ぶという目的を忘れないでください。
次に③において、バランス(調和)が崩れているならば、心の中で思い、考え、意志として行動した内容の異常が原因であり、心の各機能に偏りを生じた「わがまま」になっています。「いじめ」が発生しています。「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」を規準として三現主義に基づいて異常の原因追究と反省を促していかなければなりません。異常の「いじめ」を反面教師として心の本質を学び、心の器を育てる仕組みを構築します。そのために第三者の立場と役割は重要です。加害者、被害者、第三者の立場は問題テーマにより入れ変わるので他人事ではありません。
(A)加害者の立場
加害者は行動習慣を改める苦労の過程を経て自覚します。第三者の指導に耳を傾けない場合は自滅体験して自覚する以外ありません。加害者の特徴として、
(a)多数意見、常識、法律や制度によって異常を誤魔かす加害者
特にお金の力で権力操作して都合良く法律や制度を作り上げて自分勝手を通す。
(b)自分に原因(異常)があることを知りながら誤魔かす加害者
全体バランス(調和)を崩す自己都合の嘘をつき、自分を被害者に仕立て上げる。
(c)自分の思い込みにより被害者意識(被害妄想)になる加害者
本人が「嫌だ」と思えば現実根拠に関係なく「いじめ」にする落とし穴をつくる。
ここでは(c)の思い込みが働く場合に着眼します。
「思い込み(恣意を働かせる)」は相手の言葉使い(口調)や態度に原因が多くあります。平等関係の取り方から上下関係が成り立つ場合でも、全体で敬語を問わない風土や習慣ならば問題ありません。正常は時間発展する全体のバランス(調和)だからです。しかし、平等関係の取り方から上下関係を考慮して、全体で敬語を使う風土や習慣がある環境でも、揃えられるか否かを自己都合で誤魔かして「タメ口」を常習化させている異常行為が多く見受けられます。揃えられる関係と揃えられない関係の分別を自己都合で誤魔かす異常が上下関係を崩壊させて多様性を否定します。上下関係が異常なのではありません。現に、上の立場によるパワーハラスメントに限らず、下の立場からのモラルハラスメントに悩む上の立場の方も多くいます。またハラスメントの本質は異常なので定義を始めればきりがなくなります。根源的本質から正常を理解して「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」の理解を深めることが大切です。ハラスメントの種類を果てしなく増やしても、結局は異常に原因があることが理解されます。
昭和期には見かけることはなく平成期から増加傾向にあり、ジェネレーションギャップで終わらせるのは誤魔かしです。学校環境で先生と生徒の上下関係が崩れています。昭和期では先生と生徒の上下関係は明確でしたが、平成期以降は先生を対等、或いは見下す場合すらあります。但し、注意するのは、上という立場で下の者に対して異常(いじめ)な態度を取れば、平等関係は崩れますので敬語のみを求めるのはスジが通らなくなり「わがまま」になります。敬語は相手への敬意を示すことです。また、一方的でなく互いに認め合える関係ならば「タメ口」でも問題ありません。平等関係の取り方を超える関係です。これは有限の否定ではなく、有限を凌駕できる心の世界(精神世界)の特徴です。平等関係の取り方としては、言葉使いや態度の配慮は相手との関係性を考慮した正常として「思い込み(恣意を働かせる)」を相手に抱かせない思いやりの姿勢であります。関係性は相手によって揃えられず、相手との距離の取り方も変化します。個人的に親しく有限を凌駕できる関係、仕事上の関係、さまざまです。また同じ関係でも時、場所、状況の判断で言葉使いを調整することもバランス(調和)を取るためには大切です。
思い込みの分別は被害者の主張を三現主義に基づいて正常か異常に分別することです。思い込みを避けるには相手に直接確認(関係を考えて無理しない)するか、人間関係事情に詳しい理解ある第三者の意見を伺うことが大切です。理解力があり事情をよく知る者に打ち明けるから心は軽くなります。心を裸にするということです。小さなことにこだわり思い込みが激しい者とは思われたくないとするのは偽善です。難しいことかもしれませんが成長のためにはっきり述べます。自分を高く良くみせようとする偽善であり異常です。なぜならば、これが原因で自滅に向かう我慢状態になるためです。他責だけでなく、自責こそ目を内側に向けて自覚しなければなりません。心に愚痴を残す原因は自分の未熟さを誤魔かす異常にもあるのです。未熟さを認めて前進するには勇気が必要ですが、相談することは自滅しない被害者の義務です。理解のある第三者に相談する勇気ある行動によって偽善の想念は改善されます。自己保存が改善されます。
異常に限度は無いので、(a)~(c)の3つの場合に大別しました。三現主義を基にして正常を満たす「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」から「いじめ」判定できます。
加害者本人は行動の源泉である感情が肯定的になれません。心の機能が感情に偏り自覚が妨げられていますが、悪しき異常習慣を行動で書き換える苦労(罪の清算)をして自覚できます。加害者本人の感情に逆らって行動に移させる力が必要なので、仕事として指導できる立場の第三者が求められます。第三者も複数体制による精神的な支え合いが必要です。行動には理性の表面意識に働きかける効果があります。理性の表面意識には習慣、伝統、因習、風土等による行動を自動調節する機能があり、良くも悪くも働きます。悪い中毒症状(悪習慣)を治すのと同じです。行動を改めることで習慣が改められて自覚が促されます。行動から正さなければ悪習慣は変えられず、心は正常化されません。ショック等の急性原因もありますが、心の異常(病)は悪習慣が原因の慢性が多いです。異常とは執着だからです。自分勝手を誤魔かす悪習慣が執着です。
法的拘束力も第三者的立場に含まれます。現行の資本主義社会ではお金の力で権力操作された法整備なので、現行資本主義体制の自滅後に、第三者の救いで正常の自立した社会を構築する時に法改正も進めなければなりません。法を型にはめてしまって時代変化に合わせて見直さなければ、時間発展する全体バランス(調和)を無視するので法自体が加害者になります。
(B)被害者の立場
「いじめ」では自己都合の誤魔かしを崩されないために仕返しされない相手を狙い撃ちする必要があり、必ず相手への差別意識が入ります。差別意識が言葉使いや態度に現れてきている疑いが晴れない場合には思い込みを避けるために第三者の意見を求めます。
被害者の立場も心の本質を学んで加害者に対応するということであり、加害者の異常に揃えてはなりません。特に思い込みや偽善の我慢に関しては注意した通りです。被害者の立場は自立した正常を維持しており、バランス(調和)を取るために報復(反撃、仕返し)によらない柔軟な姿勢で異常(いじめ)行為を避けて加害者に鏡面反射します。被害者が黙ったままでは第三者も気付けないことがあります。自立した正常を持続するために勇気を持って相談しなければなりません。本ホームページでは個人間の「いじめ」に留まらず、大きな社会問題の「いじめ」もテーマに執筆しています。現行資本主義の自分勝手な地球環境破壊も本質は異常の「いじめ」問題です。自分の中で理解できる範囲で構いません。ここに書かれてある内容に耳を傾けて、勇気を持って自己の未熟を認めて努力しなければ成長できずに自滅してしまいます。被害者も自己の成長で自立した正常を維持して限界を超えずに救われます。被害者に対して第三者はそのために協力する立場にあります。但し、天上の実在界からやってきた救い人に誤魔かしは全く通りません。心の中、これまでの生き方の内容が見通されます。
次に④において、第三者は加害者と被害者の全体を教育し、それから改善を立案します。第三者も加害者と被害者への指導を通して心の本質を学び、相互扶助として皆が成長して行きます。それぞれの立場も環境が変われば入れ代わります。
全体「第三者」の立場・役割とは、
異常(加害者)に対しては、指導して罪の清算行動を促して成長できる時を見守ること。
正常(被害者)に対しては、異常の自分勝手から分離した状態で自立した成長を助ける。
人々が立場と役割に責任を持った依存関係を築くこと。これが個人と集団の自立になる。
「いじめ」の改善目標は輪廻転生の目標の明確化から、心の本質を体験から学ぶことです。心の本質に準じた正常な生き方を指導できる立場の者が第三者です。三現主義を前提とし「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」を学校の道徳科で教え、職場ではコンプライアンスの道徳として教育します。教育を通して「いじめ」の白黒のジャッジを行い、改善の立案実行を進めます。現場の人間関係に詳しく、指導できる立場にあるチームを結成します。
本章(I)から
問題に対して明確な正常の解があって自覚に導けます。正常の規準なく問題を学生に考えさせる道徳科の授業では「いじめ」を自覚して成長の糧にできません。明確な正常の解を第三者が当事者に指導するのであり、当事者はそれを行動に移して自覚できます。
生活のために、生きていくための糧である「仕事」として活動することが欠かせません。つまり、正常を満たす「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」の実践とは生活のために、生きていくためのものでなければ定着(落とし込み)しないということです。心からエネルギーを得られる実在界の光子体は食べなくても死にませんが、肉体はそれができないので有限のエネルギー制約を受けて餓死します。生きていくために、食べていくためにも有限の価値に囚われ易い環境が現象界なのです。だからこそ、生きていくために、食べていくために「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」を実践することにより習慣として定着(落とし込み)します。そして第三者が機能しなければ改善は進みません。本章のタイトルに示した通り、この現実を理解する必要があります。
最後の⑤は第三者の指導に対する姿勢の違いによる生き方の選択を表しています。取り組み姿勢の違いから、当事者の生き方が変わる・・・「生き方の選択」
・異常を続ける(自滅まで異常を貫いた生き方):指導を無視して自滅を体験
・生き方の修正(異常から正常に正した生き方):指導を実践して自滅を回避
・正常を続ける(始めから異常を避けた生き方):当事者が最善の努力を持続
未熟さは恥ずかしいことではありません。現象界に産まれてくる目的は未熟さの克服です。補習のない生き方が恥になります。天上の実在界からやってきた救い人が見るところです。
次回は、Ⅴ章:日常や社会にある問題を考察、についてふれてみたいと思います。
今回は私の娘のことを示します。
私の娘は2018年7月12日より、1階から3階までは求人企画事務室、個別相談室、会議室などがあり、4階は一端でPHとなっている建物を、外回りも含め1日3時間のパートで掃除の仕事を2019年3月まで、もう一人の女性と一日交替で働いていました。「職員さんは何も言わないので働きやすい職場」と娘は言っていましたが、4月からは娘一人で1日3時間のパートで働くようになり、この年、この職場に1年で戻って来た職員が来てから問題が始まりました。たとえば職員が娘に「窓のレールのところが汚いわよ」と言う。娘がレールを掃除すると「どうもありがとう」と言うそうです。そして「今日は、ここが汚かったわよ」と言われていました。一人のおとなしい清掃員に対して4人くらいの女性職員が係っていったのです。娘は精神が不安定になりました。ちなみに職員達は公務員です。サービス残業があたりまえの職場でした。「そういう職場は辞めなさい」と私は、くり返し言ってきたのですが「辞めろと言われないから、いいからお母さん、だいじょうぶだから」と言って仕事を続けてきたのです。しかし、ある日「辞めてもらいます、と言われたの」と娘は私に話し、この頃にはすでに家族の話すことは信用せず、普通では有り得ない行動をとったりするようになっていました。このような状態で2023年4月19日をもって退職しました。しかし、仕事を辞めてから15日後、2023年5月4日、娘の精神状態は安定し、おかしい行動をとる事もなく考え方も普通になったのです。あとは弱っている体力が回復するのを待つだけとなりました。娘のことに関係しましては、警察署の生活安全課、交番の皆様には、お世話になりました。
精神の病気は、相談をしたりして「八つの決まり」を規範に自分の心や行いをかえりみるという生活をする亊により心理状態が安定し、治ります。そして本人が意欲を持てるように導いていきます。いじめたくなった女性職員達は、なぜ、いじめたくなるのか専門の人の指導を受けるべきです。
4階建てを一人で、1日3時間で掃除をしているのですから「今日は、ここが汚かったわよ」と言ってないで汚いと気がついたなら自分で掃除をしましょう。
2025年8月11日
橘 菊