目に見えない世界
私達は、生まれた時から肉体と意識が、ぴったりとくっついている為、肉体は自分のものでないということがわかりにくく、見分けがつかないで生活をしているのであります。
私は以前、家族と八幡平へ行き、その夜「あそこの場所は美しかったね」等と会話をはずませていました。しかし、私の話と家族の話に食い違いがでるようになり、同じ場所に立っていながら見ていたまわりの風景が同じではなかったことに気がついたのです。
翌日主人は職場へ、子供達は学校へ、そして私は高速道路を乗用車を運転して昨日の話の食い違う場所へと急ぎました。その場所へ足を止めてまわりの風景を見 ると、昨日私が見た風景ではなく家族が話していたとおりでした。しかし昨日のその時、私には現実であり今だったのです。
この場所は、その昔どのような状況であったのか調べると、確かにある時代、ここは広い沼であったことがわかりました。今は湿原になっており水芭蕉が美しく咲いています。私が見た風景は、その昔でありました。
またある日、某商店街を通った時、全部の店のシャッターが閉まっていました。今日はまだ開店していないのだなと思い、通り過ぎて公園等を歩きもう一度某商 店街へと引き返してみると、それぞれの店が開店しており、化粧品を買い求めている女性客が見えました。洋服店では、若い女性の店員に中年の細身の男性が 「がんばれよ・・・」と話しかけ、「はい、がんばります。」とニコニコしながら言っている。
その後、他の商店街を見て歩き、また某商店街へと引き返してみると、まだ昼中だというのに全部の店のシャッターが閉まっているではありませんか。後日わ かったことですが、この日某商店街は休みだったそうで、シャッターが閉まっていて当然であります。どうやら、某商店街の過去の開店当時の様子を見せられた ようです。
しかし、その時の私にはやはり現実であり、今でありました。
いったい時間と空間は何なのでしょうか。時間と空間は、はっきりと決まっていないのであります。
時代をさかのぼり日本の古墳時代のことですが、天照大神として祀られたその人が亡きあと、長女が後継者となりました。しかし、それは長女本人の意思ではなく、武力でそのようにもっていかれたのであり、また武力で後継者の立場を降ろされたのであります。
私たちは何回も生まれかわりながら歴史を作り続け、今に至っているのであります。
私達にとってのこの世は今でありますが、あの世・天国にも太陽があり、私はあの世・天国の海岸をはだしで歩いていました。太陽のぬくもりが足につたわって きました。暑くもなく寒からずで、おだやかな海の波はキラキラと輝いて、ところどころに小さな岩が頭を出し、ぽっかりとドーナツ型の雲が帽子のように載っ ているのです。
なんとさわやかな光景でしょうか。
また、地獄の入口とでも表現すればよいのか、なめらかな岩はだに透き通る水が静かに流れている。時間が止まっているような音のない世界。水の中をのぞきこ んで見ると、魚や植物等は一切無い。「あなたは二度とこの世界へ来てはいけません。」と言う声が聞こえてきました。
この世の物は時間が経つとはかなくも腐れ、同じ形・状態を保つことはできません。しかし、あの世の物は変化しない世界なのであります。
霊魂とは、肉体とぴったりくっついている意識と、意識の中にある心をいいますが、肉体が死ぬと霊魂は肉体から離れあの世へ帰ります。いつまでも若く年をとらず病気にもならない。長い時間生活をして、またこの世に生まれてくるのであります。
この世で私達の生活は、自分が意思決定をして誰の責任でもなく自分の責任で行動しているのであります。自分だけの利益の生活ではなく、助け合い、補い合 い、許し、どんなにつらいことがおきても正しい道を進む中の出来事ならば、揺るぐことなく進むべきであります。それが神の法に近づく一歩なのであります。
ある日、見たこともない場所を見せられ、どこなのだろうかと気にかけながら生活をしていました。そして家族と共に出かけた時、その場所へ来たのでありま す。近くに住んでいる人達に見せられたその時の状況を話しますと、「あなたは、われわれがこれからやろうとしていることをなぜ知っているのですか。」と言 われました。初めてお会いする方々でした。
意識は時間と空間をつきぬけとおって、天国へも地獄へも、過去へも未来へも動くことができるのであります。
さまざまな場所を見せられて思うことは、過去も今、未来も今であり、今が一つにまとまってつながり通り過ぎていくのであります。また意識は、人間だけでなく私達の身近なところでは、動物や植物、月、太陽等にも意識はあり、地球の支配者は地球の意識であります。
地球は、私達人間だけのものではなく、動物や植物等みんなのものであるということを忘れてはならないのであります。
物だけにとらわれ、争いと破壊の生き方ではなく、心の在り方をおろそかにすることなく、人間らしく生きることが優先であり、自然の環境を管理し、自然と人間の調和を考え、欲を出さない生活をすることであります。
肉体をもっている人間は霊的な力はありません。このような現象を見せる霊人は、この世ではない次元の世界に住んでおり、手をさしのべ救おうとしているのであります。
次回は本当の神様は、ひとりであるということと、人間はどういうわけでこの世のいるのかについて、ふれてみたいと思います。