人間はどういう訳でこの世にいるのか

 

私達はこの地球で生活をしていますが広く見ると宇宙の仲間の一つとしてこの地球に今、います。

現在、日本には世界中の宗教が集まっています。そして遠い昔から人や動物や形ある物等を神様として拝んできましたが、本当の神様ではないのであります。

各宗教団体は、人の生きる道等を説いて幸せになるよう願って活動をしています。しかし、大自然の姿に基づいた法からはずれた思想や行動を指導していることが見受けられるのであります。

 

古事記等に素戔嗚尊(すさのおのみこと)の文字が見えますが、この人物は朝鮮半島から日本へ渡来してきた覡(げき)であります。天照大神として祀られたその人は幼いころから知ってはいましたが、なじめない人でありました。呪いの術や呪いの言葉やおまじないの言葉を使い本来、明るくのびのびした生き方をしなければならない人々の心を巧みに支配していったのであります。

 

本当の神様はひとりであります。宇宙の支配者である宇宙の意識が神であり肉眼ではみえないから無いのではなく、肉眼で見える物だけが世界であるという考え違いをしているのであり、信じようと信じまいと神様は存在しているのであります。宗教の真理は一つでなければならないのであります。

 

では、人間はどういうわけでこの世にいるのでしょうか。

はじめは神の子達(人間)は神と共にいました。そこで神は意志を持たれこの大宇宙をつくられました。神の子達は大自然の姿を日常生活で実践し、正しい秩序や道徳を生かし調和ある社会を作る目的を持って神から別れあの世に住み神の意志を実践するという生命目的の為に、この世に生まれました。

 

自由とは自分のやりたいことをやるということではなく大自然の姿に基づいた生き方の中での自由な考えと行動であります。

苦しみや悲しみが多いこの世に生まれてくるなんていやだ、悪いことをして楽しい生活をしている人がいるではないかと思う時もあるでしょうが、そのような人は死後、地獄へと落ちていくのであります。そして地獄に落ちている悪魔と呼ばれている人は自分が神の子であることを忘れておりそれは、この世での生活環境がそのような考えにさせているのであります。

地獄に落ちている人を救うには、お経をあげたり死後りっぱな戒名をつけたり拝んだり等をすることではなく、この世で日常生活を営んでいる人の心と行いが正しい目的にむかって努力している姿勢を悪魔達は見上げて考え反省をすることによって、地獄の世界を救っていくのであります。

 

苦しみや悲しみのない人生で真理へ行きつくことはありません。苦しみや悲しみがなぜ生じるのか、物事の本質をさぐって考え反省をすることによって前進があり、そして神の意志を実践していくところに喜びや楽しさや生きている幸せを実感できるのであります。

人にはそれぞれ器量というものがあり、自分の器量はどれほどのものかを知ることは素晴らしいことで、自分らしい生き方をしたいものであります。

 

この世で貴族の身分や会社の社長や政治家等、人の上に立っていてもあの世では意識の水準によって分けられるので、下の場所で生活している人もいます。金持ちや地位や身分というものは心を磨く材料にすぎず、人間が生きていくうえでの価値とはならないのであります。地位と名誉とお金はこの世だけのものであり、死んであの世へ持っていけるのはこの世でどのような生き方をしたかの心だけであります。また、この世は意識の高低に関係なくいろいろな人々が生きていける場所で、なつかしい人、会いたい人、愛する人ともめぐり会える場所なのであります。また愛は男女の愛だけではなく自分が今、生活している立場での調和できる工夫をしながら、義務と責任を果たしていくのも愛で、努力して実践している美しい心を神は欲しいのであり、それは自分も生かし人も生かしていくものであります。また才能と人格は違うもので、神が求めるのは人格であります。

 

現在、富豪と呼ばれる人々と明日をもどのように生きていけばよいのかと生活に貧困している人との差がありすぎるのであり、確かに働いた分だけ利益を得るのは当然で、満足できる収入は人によってそれぞれ同じではないのでありますが、あまりある財産は分け与えるという愛の心が必要なのであります。そしてお金があれば遊んで暮らせるからそれで良いのではなく、目的をいだいて働く姿が人間の生き方であります。

 

大自然と共に生きていかなければならないはずが、自然環境を汚し破壊しています。また資源を独占物として私利私欲をむさぼっている人々が多くいる為、経済的、物質的な不平で争いが起きています。利益を得るだけの為に将来の見通しのきかない経済のやりかたをしたり、政治がいかに重要で責任のあることがわかると思います。政治と限らず科学、文化、教育、経済、労働、厚生等は真理の調和された組織でなくてはならないのであり、精神科学をぬきにして技術だけで運転させている原子力発電所は気違いに刃物です。物質科学の上に精神科学をおかなければならないのであります。

 

また、性の乱れは限りなく止まることがありません。

人間はあの世とこの世を永遠に行き来し(生死をくり返す)神が考えている世界の中でしか生きられないのであります。

人間が神の目的に反し勝手気ままな行動をとると、その分量だけの苦労に見舞われるように仕組まれており、そうすることによって人間は気がついて反省をし神の目的に戻すようにしなくてはならないのであります。

物事の善悪を決める決定権は自分以外にはなく自分の意志決定であり誰の責任でもない自分の責任でありますがしかし、神の意志に逆らう心は楽な生き方のようにみえて事実はそうではないと知った時、神は絶対であるという言葉になってしまうのであります。

 

次回は、人間はなぜ病気になるのかについてふれてみたいと思います。