「八つの決まり」と「自然科学」の照合       【Ⅲ章】

《平等関係の取り方》

 

(Ⅲ章)「八つの決まり」の理解を深める

 

 「八つの決まり」の理解を深める為には、「大自然の姿」を具体的に読み解く必要があり、その突破口は「時間発展する全体」を見ることです。全体という空間的な広がりを見ると同時に、その時間経過による変化も含めて見ることが必要です。過去からの経緯と今後のことまで含めて全体を見ることが欠かせません。今だけを見ては正しく判断はできません。大自然全体を時間発展的(時間経過による変化)に見て、大自然全体に共通する不変の事実とは何かに着眼します。それは有限を否定しないことです。

 有限を否定しない価値は大自然全体では相対性と対称性により守られます。そこには、大自然が描く平等関係の取り方、つまり大自然が採用する比較の取り方が表れています。能力・性別・人格・体格、その他、揃えられないものから成る全体の多様性の価値を守る平等の在り方が大自然の本質として描かれているということです。揃えられる関係だけでなく、揃えられない関係もあることから平等関係の取り方を理解していけます。そこで、本質として大自然が描く平等関係の取り方、つまり大自然が採用する比較の取り方を理解する上で最も強力な手法が数学になります。なぜなら、数学は抽象性から本質を表すためです。抽象化とは、「複数の情報に共通する要素を抜き出すこと」を意味します。そして、本質を表すターゲットに大自然を定めます。数学で理論展開する物理学は大自然の本質を見る上で最有力です。自然科学の発展には観測事実が必要ですが、正常に準じる理論上の仮説は用いていきます。正常を理解することが目的だからです。食物連鎖での肉食動物の捕食を弱肉強食と判断するならば正常が理解されていません。観測で事実のみを知っても大自然の本質である「正常」を理解したことにはなりません。

 

①有限

 正常を満たす「八つの決まり」は自然科学による大自然の姿に通じます。特に、相対性と対称性(バランス「調和」を取った関係性=等身大で相手の立場に立つ)が表れており、それは平等関係の取り方、つまり正しい比較の取り方によって表されます。相対性理論では大自然が描く平等関係の取り方、大自然が採用する比較の取り方として時空の姿が表現されています。そこで、相対性理論(現代物理学の基礎理論)を中心に照合を進めます。

 「等身大で相手の立場に立つ」とは相手と全く同じになるということではありません。保身から自分の立場のみを見ません。これを数学で理解するならば関数を思い描いてください。関数は変換作用により等号で釣り合いが取れた関係性を表します。また変換作用によって同じ状態を取れる性質は対称性を表します。このような対称性を取るということが正しい関係性、すなわち相対性を取るということです。相手の立場にしっかり自分を置き、相手の状態を理解するために互いに正しく比較を取るのです。これは数学における関数の話なので、ここからターゲットを大自然に向けます。根源的本質である有限を否定しないことを見ていきます。

 この、互いに正しく比較を取る方法が相対性理論の中に描かれており、平等の取り方を教えてくれます。そうでなければ、相対性理論の数式で扱われる比較計算、計量計算は意味を成しません。特殊相対性理論で見られる慣性系間でのローレンツ座標変換による時空の比較「慣性系における時間の進み方の変化、長さの変化が表れます」、一般相対性理論で見られる重力場を幾何学表現する為に、座標変換に対して不変距離(不変量)を取る計量計算による時空の比較「場所別(2点間)の時間の進み方と距離の変化、すなわち時空の歪みが表れます」が上げられます。

 表現の違いはあっても比較を取る以上、比較対照外とならないようにする為の共通点があります。比較対照外は比較不可能を意味しており、比較の限界・限度を表しています。⑥で述べる正常な差の平等関係で語ります。「平等の取り方」は「関係の取り方」とも言えます。全てが関係によって成り立っていることから、全てが平等によらなければ成り立たないことになります。平等関係を取ることで全てが成り立ちます。毎日の衣食住も例外なく平等関係によって成り立っています。衣食住が脅かされている社会では平等関係が崩れており、有限の限界を超えて自滅します。

 「八つの決まり」は有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)を説きます。自然科学も有限を否定しません。自然科学が描く大自然は時と共に変化する全体バランス(調和)の持続を語る正常を表します。大自然が描く正常をまとめた「平等関係の取り方」を「八つの決まり」と照合して、一体化させることにより本質を表す抽象的な大きな部分から派生する細かな部分の表現に多様性を与えます。そして「八つの決まり」だけでなく「平等関係の取り方」の表現も合わせて具体的に理解を深めます。「平等関係の取り方」をまとめ上げる過程を科学的ストーリーにしました。

 ①から⑩までが「平等関係の取り方」をまとめ上げるための科学的ストーリーとなっており、以上の結論として「平等関係の取り方」を⑪にまとめています。「八つの決まり」との一体化は最後の⑫で行います。両者を照合すれば大きな部分の本質は有限を否定しない、相対性と対称性(バランス「調和」を取った関係性=等身大で相手の立場に立つ)で揃えられます。正常の本質を同じく満たすのでどちらを選択しても問題ありません。

 「八つの決まり」は人間として生活していく上で必要な規準を表現したもので相対性と対称性が表れています。私達が住むこの大自然では有限を否定しては持続できず、限界・限度を持つ「なかほど」が本質となっています。有限を否定しないことにより全ての立場・役割に価値が与えられます。多様性を相対性と対称性(お互いに等身大で相手の立場に立つ)によって確保します。

 「八つの決まり」は全ての立場・役割の価値を確保して多様性を守る為に、限界を持つ有限環境に適応させる上で最善の規準になります。森羅万象には有限を否定しない限界・限度を知った「なかほど」の条件があり、これが全ての立場・役割の価値(有限の価値)を確保しますが、その価値に囚われ執着すると有限を否定して限界を越えて自滅します。

 「八つの決まり」とは「有限を否定しない決まり」とも言い換えられます。故に、宇宙全体のバランス(調和)を取って有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)ための規準になれます。地球全体としては言うまでもなく、大自然が語るのは有限を否定しない、限界・限度を超えない「なかほど」の関係構築に他なりません。それでは具体的にどうすれば良いのか、それは「八つの決まり」の理解を深めることでわかります。 

 一般相対性理論で有限が否定される状況は適応範囲外となるミクロ領域(重力では量子補正による打消しで発散を回避する「くりこみ」が効かない課題もあります)で起こり、マクロ領域では有限の中で時間と空間の相対性と対称性が描かれて重力現象が正確に記述されます。特殊相対性理論では、質量を持つ場合は慣性系間の相対速度が光速度以上を取れないという有限の限界速度が、かかります。光速度によって速度の有限が否定されません。質量を持たない宇宙空間(真空)の場合は光速度以上を取れますが、それでも有限速度は否定できません。また、光速度を堺にして「質量を持つ速度」と「質量を持たない速度」で条件が揃えられなくなります。光速度以上では比較対照外(比較の限界)となります。揃えられない速度の差にも限界・限度があり、比較対照外(比較の限界)に行き着きます。一般相対性理論では、物体の持つ質量・電荷・角速度に応じて発生する事象の地平線というものがあります。この地平線を含む内部領域はブラックホールと呼ばれており、地平線における脱出速度は比較対照外となる限界の光速度を取ります。また、遠方の平坦な時空と比較してその歪み量を計る場合にも限界があります(比較は任意の2点間で取れ、平坦な時空との比較に限定されません)。その限界がブラックホールの表面である地平線です。歪み量を計るためには平坦な時空との比較が取れる必要がありますが、比較が取れなくなる比較対照外(比較の限界)になります。これは地平線を堺に外部と内部では時間の条件、空間の条件が揃えられなくなる事を意味しています。私達の日常生活での時間と空間の条件は地平線を超えたブラックホールの内部とは揃えられません。宇宙の全領域では、時間と空間の条件さえも揃えられなくなる事を認めなければなりません。そして譲り合って、一体化する事でブラックホールも多様性として宇宙全体は成り立っています。このように大自然では揃えられるか否かの比較の役割は誤魔かされません。

 一方で、有限の否定ではなく、有限を凌駕した精神世界(心を成す意識の世界)が実在しているのも事実です。本来は有限であるにも関わらず限界・限度無く発散し、無限を取る場合は「有限の否定」であります。現実に無限の状態を取る場合は「有限の否定」ではなく、「有限の凌駕」であります。心の原点と、その指針が明確に示されていきます。当ホームページのこれまでの各タイトルから確認できます。

 世界は私達が認知している大自然より遥かに奥深く、有限を否定しない「八つの決まり」が、この意味で完璧に適応する規準かと言えばそうではないことが理解できるでしょう。八つの決まりに欠陥はありませんが適応できる範囲があり、人間の意識水準を超えた世界には適応しきれません。力学、解析力学、電磁気学を基礎に矛盾することなく構築された相対性理論も完璧ではなく適応範囲があります。力学も弱い重力場(GPSでは相対論補正が必要です)や光速より格段に遅い運動では十分に活きます。また、高密度の強い重力場は相対性理論の適応範囲です。核融合反応を終えた星「白色矮星や中性子星」の重力平衡を維持するフェルミ縮退圧には不確定性の考えも必要ですが、ミクロ領域まで考慮しない場合は相対性理論が十分に活きます。それぞれに適応範囲があり、その意味で完璧ではありません。相対性理論ではミクロ領域が関与する「世界のはじまり」と「ブラックホール中心点」では有限が否定されるために適応範囲外となります。

 有限と聞いてみなさんは何を思い浮かべるでしょうか。限りある自然の資源ということならば聞きなれているのではないでしょうか。有限は多様性(森羅万象)の根源的な本質なので資源に限らず、全ての立場・役割に関係しています。大自然の多様性(森羅万象)は有限を否定しない平等関係を前提にしてバランス(調和)が保たれています。一転して、人間関係ではあらゆる不平等関係から争いが絶えません。人間関係に愚痴・不満・怒りを感じるのは不平等関係によるものです。平等を前提としない自己都合を自由として多様性が誤魔かされて「いじめ」が常に起こります。日常生活にあふれる膨大な情報が目の前の根源的な本質(正常の真実)を見えなくし、灯台下暗しになっています。

 食物連鎖のヒエラルキー(ピラミッド構造)は弱肉強食に例えられる場合がありますが、完全に勘違いされています。大自然は有限を否定しない平等関係からバランス(調和)が崩れません。食物連鎖のヒエラルキーは対称性保存則を満たしているとも表現できます。肉食動物は生きていく上で必要以上な乱獲はしません。お腹が満腹になれば狩はしません。百獣の王であるライオンですら、死後、その肉体はヒエラルキーの底辺に位置する分解者に分解され、食物連鎖全体として円を描いて循環し、ヒエラルキーの各層は増減しないで保存されています。対称性保存則から異常繁殖や絶滅を回避します。肉食動物が草食動物を捕食している今の一場面のみで判断はできません。時間発展する全体のバランス(調和)を持続できるか否かで判断します。限界・限度を超えない「なかほど」から判断します資本主義とは資本家独裁国家であり、わがままな独裁者支配国家と同じ異常の本質です。彼らは欲望を限りなく増して実現することを成長と誤解し、満腹感が麻痺した状態で有限を否定して限界・限度を知りません。まだ大丈夫、まだ大丈夫と誤魔かし続けています。有限を自覚しているならば、お金を消費せずに寝かせるだけの自己満足は見直さなければなりません。戦後の貧しさはお金への執着を促した原因の一つですが、貧困者を増やしてお金を溜め込む異常な状態です。日本国の民間保有資産額は二千兆円を上回っており、逆に国家にゆとりがなく、全て一部の富裕国民に偏って貯め込まれている状況にあります。どこまでも満足できない、足ることを知らないのが弱肉強食です。地球規模の異常気象は資本主義経済支配が原因です。18世紀後半の産業革命からの資本家支配は地球全体で限界・限度を越えてしまいました。

 物資の量が一定でも民間に寝ているお金が巨額すぎる為、それを消費すれば需要と供給の関係から物資の価値が高騰してインフレーションを招きます。使えば価値が下がるお金では価値がありません。お金の価値は、お金の有限を否定しないからです。物資の価値も同じです。バランス(調和)が取れなければ互いの価値を維持できません。お金と物資の価値は片方が高騰して片方が暴落してもいけません。お金に価値があるからたくさん持ちたいと思い、経済重視の生存競争に偏って、限界・限度を考えずに自己独占して寝かせてもお金の価値を失っています。ここに、お金を例にした有限の否定となります。

 私達一人一人も「八つの決まり」に準じる意識水準『自覚して実践できる能力』は揃えられません。最善を尽くす以外にありませんが、自分が成長するための問題が出来なかった亊に対しては自業自得の反作用が発生し、自分の罪は自分で刈り取ることになります。

 なぜ人間のみが愚かに見えるのか。それは人間のみが大自然の否定できない有限から、時間発展する全体のバランス(調和)をオートコントロール(自動制御)ではなくセルフコントロール(自己制御)できるようにならなければならない存在だからです。そのために人間だけが大自然を理解して自然科学を発展させられます。

 

②有限の正体

 有限とは限りあるものですが、それは意味であって正体を語ったものではありません。正常の根源的本質は「有限を否定しない」ことでした。そこから導かれるのは自分だけの都合に偏らない「型にはめず、決め付けず、囚われず」=「執着しない」状態であります。ここに着目してください。限りある有限とは相反する内容になっています。有限の本質は限定の姿勢から「型にはめる、決め付ける、囚われる」=「執着する」の状態を取ります。つまり、有限の正体は「悪」であり、その本質は「異常」となります。矛盾はありません。私は有限を否定しないことが正常であると述べてきています。有限を否定しないとは有限(の本質)を肯定するということではありません。戦争は異常ですが、その現実は否定できません。有限(の現実)を否定しないということです。有限(の現実)を認めて肯定するということです。有限の日常に現実逃避であってはならず、だからと言って異常な有限の本質を認めているのではありません。Ⅳ章では心の実態とその構造や機能を語りますが、その心の本質が正常を表します。自分だけの都合に偏らない「型にはめず、決め付けず、囚われず」=「執着しない」状態が心の本質です。それは限定の姿勢を取らない有限の凌駕です。正常の表現の中に「足ることを知る」というものがあります。足ることは有限を意味し、知るとは有限の正体を見抜いてその価値に誘惑されないことです。有限は否定しないから価値があります。有限の価値に誘惑されると囚われて執着します。お金の有限を否定した話を思い返してください。否定しないから価値があるのに、囚われて執着すれば否定して価値を失います。そして偏らない「なかほど」の限界・限度を無視して自滅します。肉体の命も含めて日常生活のすべてが有限ですが、有限の価値に誘惑されて自滅体験したならば、自業自得の罪の清算で非常に苦しい身の上であろうとも、自覚をばねに克服してほしいと思います。お金の執着に限らず、ハムラビ法典の報復も「型にはめた」有限に誘惑された状態です。克服を通して心の本質である有限の凌駕を確実なものにしていきましょう。時間発展する全体のバランス(調和)を取る「柔軟な姿勢」も確実なものにしましょう。世界が有限から成るので、私達は心の本質である有限の凌駕を、有限の価値に誘惑されない体験を通して習得していきます。有限の価値に囚われないことで、限界・限度を超えない「なかほど」の生き方ができ有限の現実を否定しません。そして、心を型にはめる有限の異常に揃えることなく凌駕していきます。大自然の有限は反面教師として私達に心の本質を教えているわけです。以上から、森羅万象の根源的本質は有限(の現実)を否定しないために、限界・限度を超えない「なかほど」、つまり全体のバランス(調和)となります。

 

③持続か自滅 ~生き方の選択~

 事象の地平線は揃えられない時間と空間の条件を認められない場合は、越えてはならない比較の限界です。脱出不可能となるために越えてはならない限界線という意味ではありません。揃えられない時間と空間の条件を認めることでブラックホール内部の時間と空間とも一体化できます。この時、比較の限界を誤魔かすことなく事象の地平線を越えて行けるのであります。一般相対性理論としてブラックホール内部を解析する手法であり正常の姿勢が表れています。しかし、内部の有限が否定される中心の特異点は異常であり自滅を意味します。時間も定義できずに先の無い行き止まりになります。有限を否定する特異点は多様性に含まれないので一体化できないことが分かります。正常と正常で揃えなければ一体化はできません。特異点で有限が否定される時、事象の地平線は異常と揃えて自滅しないために越えてはならない限界線となります。ところが現実の宇宙では多様性の一部として一体化されているので、有限は否定されないとする正常を採用することができます。有限を否定しないので、地平線を持たない裸の特異点の場合にも問題ありません。有限を否定しないことで、新たな揃えられない時間と空間の条件を認めることも可能となり行き詰まりが解消できるのです。有限を否定する特異点は異常であって正常とは一体化できないため、これを介して時空を繋ぐことは不可能なのです。揃えられない時間と空間の条件を認めて、譲り合って一体化するので次に進めます。前者が自滅に向かう道(異常で終わる道)ならば、後者は自滅を軌道修正する道(異常から正常に戻す道)であります。そして始めから意識して自滅を避ける道(一貫して正常を通す道)があることも忘れてはなりません。正常の内容を説明されて理屈のみでは共感できない場合は、異常の道から自滅を体験することで正常を心から理解できるようになります。自業自得の反作用の苦しみで、自ら罪を清算することで自覚が促されて成長できます。誰も本人の異常行為の罪滅ぼしを肩代わりすることはできません。罪の清算をして自覚ができなければ第三者の指導に共感することはできないのです。行動の源泉である感情が肯定的になることが前提にあります。有る人の体験談です。その人は「いじめ」に対して我慢で自滅した10代の体験から、ハムラビ法典で報復することを20代で重ねて失敗し愚痴が絶えず、その反作用の苦しみが30代からはじまり、罪の清算を通す過程で終には倒れました。しかし、その罪の清算の苦しみ自体も立派な成長へ向けての行動なのです。非常に苦しい心の修行の過程なのですが、どうしようもない苦しみの果てに救われるとは成長することであると気がついたそうです。その人は救われるとは自分の過ちに自分の意識が気付いた時を言っています。救いとは自分の成長。自力で成長すること。これが最も大事な自覚だと。第三者の指導に共感するには順番があり、先に罪の清算をしなければならない。そして本人の行動なく何も進まないと思ったそうですどん底から這い上がるために、とにかく今の状況で自己ベスト、最善を尽くすことができれば満足だと腹の底から思い、それで足ることを知ったのでした。愚痴とは満足の欠乏です。心の穴を埋めるには、自己ベストを尽くして足ることを知るしかありません。怒り、憎悪に気持ちを向けるのではなく別に気持ちを向ける最善の努力。どのようにしたら今の苦境を報復の型にはめずに切り抜けられるかの最善の工夫。例え、些細なことでも工夫の努力に問題の大小は関係ありません。このように、忘れてならないのは反省とは行動まで移すことであり、行動を伴わない場合は異常の姿勢が修正されていません。正常の内容に始めから共感できているならば、始めから意識して自滅を避ける道(一貫して正常を通す道)へ最善を尽くしながら歩むこともできます。

 

自覚とは自分自身の有り方を反省し、生まれてきた目的を知り自分はどういう人間であるかを認識して行動することです。

反省とは過去の異常な経緯と向き合い、今後は正常に変えていく時間発展の表れです。

 

④相対性と対称性

 「八つの決まり」には相対性と対称性が表れています。相対性は関係性(関係の有無)を、対称性はバランス(調和)を表します。バランス(調和)の取れた関係性を表しているのが「八つの決まり」です。自己都合からバランス(調和)の取れる関係性を誤魔かしません。

 有限を否定しないで、正常な差の平等関係「⑦で詳しく述べます」という相対性があるならば対称性も取れています。逆も同じく、有限を否定しないで対称性が取れているならば正常な差の平等関係という相対性も取れています。①で述べた「等身大で相手の立場に立つ」ことからも理解できます。そして、異常を取るならば、「絶対性」と「非対称性」になります。絶対性では関係の有無を自己都合で解釈した自由により非対称性となります。非対称性とはアンバランス(不調和)を表します。自己都合からバランス(調和)の取れる関係性(関係の有無)を誤魔かします。

 

⑤ニュートン力学の基本法則

 「八つの決まり」は人間として生活していく上で必要な心の本質を表したものであり、限界を持つ有限環境に適応させる上で最良の規準でもあります。時間発展する宇宙全体が限界を持つ有限環境です。従って、人間関係に限らず、大自然・社会全体のあらゆる関係で成立しています。前回、「動物、植物、広く自然は、私達人間が慈愛をもって接すれば協力してくれるのだと心底に思いました」と語りましたが、これが現実です。私達人間が動物、植物、広く自然の立場に等身大で立てば、彼らも協力してくれるという事です。逆に大自然との関係を無視して人間の立場のみで自己都合を通すと、牙を向けて厄となります。この後で述べる作用・反作用の法則で示します。異常気象の悪化は否定できないことがIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)による気候の現状報告「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことに疑う余地がない。大気、海洋、雪氷圏及び生物圏において、広範囲かつ急速な変化が現れている。」から明白です。今の地球全体の社会を変える力が働かなければ「慣性の法則」に従い惰性のまま変化が現れません。社会全体を変える力は大別して、平等関係の不変を保つ「私腹から切り離したお金の力」・「私腹を肥やす行動から切り離した権力」・「私腹を肥やす行動から切り離した地球全体を代表できる第三者の力」の三つがあり、全て必要です。私腹を肥やすのは有限の価値に囚われて執着するためです。有限の本質に惑わされて足ることを忘れています。正常は異常の自分勝手が原因で一体化できません。一体化していないことは異常ですが、それは異常が全体のバランス(調和)を崩す自分勝手の部分を指します。社会問題のテーマとその全体範囲を明確化し、力と正比例する責任による罪の大小関係、罪の清算も考慮の上で正常と異常を判別して、この三つの力の作用による「運動の法則」で社会問題は加速度を伴って軌道修正します。責任は問題テーマの当事者にあり、結果(反作用)は当事者に現れます。異常行為の罪滅ぼしの代行はできない理由です。異常行為による罪の大きさに釣り合った負の結果が現れる「作用と反作用の法則」です。平等関係の取り方から全体での立場と役割による責任の違い、力と正比例する責任の違いは清算しながら生きているかいないかで同じでありません。特に金銭の有限は足ることを忘れさせ易く、お金の力で権力を思うようにしてきた者達の罪は重く、その清算には相応の時間を要します。言葉で「すみませんでした」では救われません。自覚して行動にうつす亊です。これがなかなか出来ないのです。故に第三者は見守るしかありません。有限の正体を知った時に、私たちはお金に執着することの「恐怖」を知ります。

 

第三者の立場・役割とは、

異常(加害者)に対しては、指導して罪の清算行動を促して成長できる時を見守ること。

正常(被害者)に対しては、異常の自分勝手から分離した状態で自立した成長を助ける。

集団の中で人々が立場と役割に責任を持ち依存関係を築くこと。これが個人と集団の自立になる。自立した集団が一体化して世界は一つの自立国家になる。目指す世界像がなくては改善のねらいが曖昧。持続可能な開発以前に目指す世界像が必要。なぜなら持続可能な開発とはバランス(調和)が基礎にあるからである。世界が一つの自立国家になることを見据えた基礎固めから行わなければ美辞麗句に過ぎない。第三者とは依存関係から全体のバランス(調和)を築いて自立するために力を貸してくれるのである。異常は正常と一体化できない原因である自分勝手を一方的に通してくる。異常が自己に都合良く全体を支配できている段階では、異常の自分勝手から分離できないので力を貸せない。異常は自分が成長して救われるために自滅して罪の清算に必ず入る。その支配は終わる。

 

⑥相対性原理と等価原理

 力学と特殊相対性理論における相対性原理は、全ての物理法則は慣性系間の座標変換において「式の形を変えない」ことを表します。一般相対性原理では座標変換に対し共変であるテンソルを用いることで、一般座標変換においても不変性(物理法則が一般共変性を満たす)が成り立ちます。重力場方程式はこの原理を満たします。座標変換とは視点を変えることです。つまり、法則は視点を変えても不変であることを意味します。正常を満たす「八つの決まり」に対しても共感するか否かの二つの見方があり、共感しない生き方をしている人々に対しても、根源的本質から「八つの決まり」が示されて、その中で生きています。物理法則が全ての人に同じく適応されるのと同じです。疑問すら持たずに慣性の法則で惰性のまま変わらないのか、自分を省みて行動する運動の法則で変えて行くのか、最後に作用・反作用の法則から因果応報の結果が一人一人に必ず出るようになっています。生き方は一人一人異なり、人類全員に同じ結果が出ることは有り得ません。勝手にやりたいことをやって「すみませんでした」と、とりつくろっても反作用として報いが現れてくるのは事実です。また、心から反省した時、奇跡が起こるのも事実です。

 等価原理では、同じ重力場内において物体は質量や組成に関係なく同じ運動をすることで同じ測地線を描きます。慣性質量と重力質量が高精度で一致していることによります。重力と慣性力の一致から、重力場の落下運動を加速度運動に置き換えて視点を変えられます。この例は重力場なので、一般相対性原理を基にして条件は独立な全10個の内のゼロでない計量テンソルの成分が譲り合って一体化した状態を表します。最も簡単な場合(対角成分のみ)を考え、時間成分をX0、空間成分をX1、X2、X3とした時、時間成分X0と空間成分X1、X2、X3が譲り合って一体化した状態を表します。時間と空間が譲り合って一体化した状態です。これにより、重力場内の異なる任意の二点間における時間と空間を正確に比較した計量が得られます。比較では互いに同じ条件を不足無く照合できなければなりません。そのためには、それぞれにおいて条件を一体化(譲り合いによる)しなければなりません。四次元時空の比較を考える時に、平面や曲面だけでは時間と空間の成分が不足しており、四次元時空として条件が一体化されていません。夫婦は男女で性を一体化して揃えます。独身者とは比べようがありません。一般相対性原理を基にして座標変換に対して共変なテンソルによって記述される重力場方程式は時間と空間を一体化し、エネルギーと運動量も一体化し、係数を介して方程式全体の必要十分条件を満たしてディメンションを揃えてバランス(調和)が取られています。日常生活でも互いに同じ(揃えられた)条件を不足無く照合できていないと平等が確保されているとはいえません。条件が不足または不揃いであるにも関わらず比較を取ってしまい、不平等になっている「いじめ」が日常生活では多く見られます。都合の悪いことは棚に上げて、都合の良いことだけで見比べてはなりません。揃えられるか否かを誤魔かして比較の役割を誤魔かしてはなりません。

 「平等関係の取り方」と「八つの決まり」は共に正常を満たす内容として揃えられ比較照合することができます。大きな部分では正常の内容で揃えられ、細かな部分では視点を変えることで表現が揃えられていないことが比較の役割から分かります。

 

⑦正常な差の平等関係(正しい比較の取れた関係)

 相対性原理は、全ての物理法則は慣性系間の座標変換において「式の形は変わらない」ことを表していると述べました。この中に現れている座標変換には力学のガリレイ変換式と特殊相対性理論のローレンツ変換式がありますが、ここではローレンツ変換式に着目します(電磁場のマクスウェル方程式が考慮されていないガリレイ変換式では、物体の限界速度が現れず無限を取るためです)。

 「等身大で相手の立場に立つ」とは相手と同じになるというのではないので、平等関係の取り方は50:50に限りません。ローレンツ変換式では異なる二つの慣性系間での時間と空間の比較が自由に取れて50:50の場合に限定されません。50:50の場合は変換式における係数が1と0(相対速度が0)を取って同じ慣性系にいる状態と見なせます。50:50の場合に限らず、異なる慣性系間で対称性(釣り合い)が取れるための正常な差が係数を介して表現されます。但し、光の世界線において、変換式は不定義になります。慣性系間では、相対速度は光速度に到達できない制限から有限速度になり限界があります。自由な比較は有限を否定しないことが前提にあります。光速度以上は比較対照外(比較の限界)になります。相手との揃えられない差が比較の限界に達した時、それ以上は比較の限界を誤魔かすことになり正常な差の平等関係の範囲を超えます。平等関係の取り方は成立しません。

 次に全体のバランス(調和)を満たして条件が揃えられていないと比較が取れないことが明白に理解できます。揃えられない条件での比較は全体のバランス(調和)を満たさないので取れないことが理解できます。ローレンツ変換式は4次元時空で描かれているので、比較を取る任意の慣性系AとBは共に4次元時空である必要があります。この時、慣性系AとBは互いに時間と空間の成分を不足無く一体化して揃え、時間部分と時間部分、空間部分と空間部分で比較を行います。時間部分と空間部分の比較はディメンション(物理量)が揃わないためにできません。変換式両辺で必要十分条件が満たされずイコールが不成立となります。揃えられない条件での比較は全体のバランス(調和)を満たさず不可能です。1次式(y=x)のように簡単な構成もありますが、数式はローレンツ変換式に限らず複数のパーツから構成されています。相対性原理と光速度不変の原理に従い、時間(t, t’)、空間(x, x’)、相対速度(v)、光速度(c)、ローレンツ係数(γ)は変換式両辺の必要十分条件を満たしてディメンション(物理量)を揃えることを前提にそれぞれの役割を持ちます。変換式両辺のバランス(調和)が満たされるならば、必要十分条件を満たしてディメンションが揃えられた比較が取られています。変換式は通常、右辺にローレンツ係数を介して第1項と第2項の差を取ります。逆変換の場合は符号が反転して第1項と第2項の和となります。ディメンションが揃えられており、「時間-時間」「距離-距離」、「時間+時間」「距離+距離」の関係が厳守されています。「時間-距離」「時間+距離」のようになる場合は揃えられない比較がされていることになります。揃えられるか否かを誤魔かした異常です。

 エネルギーと運動量の場合もローレンツ係数を介してローレンツ変換式と同じ形の変換に従い、必要十分条件を満たしてディメンションが揃えられた比較であります。変換式を構成する各パーツは変換式両辺の必要十分条件を満たして、ディメンションを揃えた上で比較が行われるように役割を果たしています。光速度不変の原理により変換式の相対速度は光速度以上とならず有限を否定しません。限界・限度の光速度を超えない「なかほど」が表れています。数式上では当然のように聞こえますが、日常ではこれができず、不公平の原因になっていることが多いのです。

 正常な差の平等関係では、相手とのバランス(調和)を取って有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)ために、揃えられた条件が互いに不足無く照合されていること、揃えられない差が互いに比較の限界とならないことの両方を満たします。大自然での相対性(関係の有無)と対称性(互いに等身大で相手の立場に立つ)を表します。

 次に重力場における比較の取り方を見ていきます。重力場方程式の解は比較の限界となる事象の地平線とその内部を除いて、重力場における時空の歪み量を、時空が平坦となる遠方を基準として任意の各点に対して比較から求めます。比較の限界を守れば基準の設定は自由であります。一般座標変換に対して不変量を取れる2次微分形式のスカラーとして記述され、微分形の採用で重力場内の異なる時空座標位置を「点」として指定して時空の比較を取って歪みを求めます。時間と空間の条件は独立な全10成分の内、ゼロを除く計量テンソルの成分が一体化した状態で不足無く揃えられています。正常な差の平等関係は、時空が比較の限界とならない範囲で歪み量が求められる部分に表れています。

 相手の状態を理解する為に、相手の立場にしっかりと自分を移すというのは、測地線を描く物体や光の運動にも表れています。力学では物体に作用するのが万有引力のみで外力が関与しない場合は保存力として働きます。物体どうしが万有引力(保存力)で引き合う場合は測地線を描いており対称性(並進対称、回転対称)を破りません。万有引力は一般相対性理論では時空の歪みとして解釈され、力の作用ではなく曲がった時空(接続係数がゼロとならない)により運動を説明します。物体が力の作用ではなく時空の歪みで運動することを表現した運動方程式が測地線方程式になります。運動方程式をリーマン幾何学に置き換えた測地線方程式でなければ、光の運動までは述べられません。重力の影響で光が曲がる現象から理解できます。測地線は異なる2点間の最短距離を与えます。相手の立場に等身大で立つ時、自己都合を通す考えは無く迷いはありません。最短で相手の立場に直結する測地線を描いており、相手との対称性(バランス「調和」)も崩しません。

 平等の取り方では揃えられない差が無いのではなく(50:50に限らない)、比較の限界を誤魔かさないことから「正常な(揃えられない)差」として表されます。比較を取る2点は任意であり、比較の限界となる一線を超えない内側「なかほど」において自由に取れるということです。そして揃えられるか否かを誤魔かすこと無く、揃えられる条件も揃えられない条件も認め合い、譲り合うことによって比較の限界を誤魔かさず一体化して多様性を確保します。これにより時間発展する全体のバランス(調和)を持続させます。

 

⑧平等関係の不変性 ~本質は変えられない~

 正常な差の平等関係は視点を変えても不変を保って崩れません。表現方法の違いにより正常な差の平等関係は崩れないということです。重力場方程式の解は一般座標変換に対して不変量を維持します。あらゆる座標に変換しても、不変量を維持して誤魔かしの変化量は発生しません。幾何における距離の測定が座標変換に対して不変のため、座標の取り方に依存(囚われ、執着)しません。

 また、重力場の落下運動を加速度運動に置き換えて視点を変えられる話を等価原理の所でしました。視点を変えることで重力を慣性力に置き換えていますが、重力の影響を無視できない重力場を誤魔かしているのではありません。視点を変えても本質は変わりません。重力の影響がない加速度運動(双曲線運動)でも慣性力は発生して重力場の重力と区別できません。しかし、このような加速度運動の計量で曲率テンソルを計算するとゼロを取ります。これは幾何的に歪みが無いことを意味し、重力場でない本質を誤魔かせません。

 同じ物の見る立ち位置を変えること(見る角度を変える)が視点を変えることですが、人は立場の違いで視点を変える時に本質を誤魔かします。揃えられるか否かを誤魔かす、比較の役割を誤魔かすことは、正常な差の平等関係を否定してフェアを故意にアンフェアにする行為です。私腹を肥やすために正常な差の平等関係を否定します。不平等の温床、癒着「しがらみ」になります。

 

⑨宇宙から学ぶ ~有限の持つ限界の現実~

 力学と解析力学(ネーターの定理)より、時間の並進対称性からエネルギー保存則が、空間の並進対称性から運動量保存則が(回転対称からは角運動量保存)成立して、時間とエネルギー、空間と運動量が対応し合っていることが解ります。

 特殊および一般相対性理論では時間と空間の一体化が示され、必然に時間と空間に対応したエネルギーと運動量も一体化されていることが示されます。一般相対性理論の重力場方程式では時間と空間、エネルギーと運動量がそれぞれ一体化された状態が合わせて表現されており、時間・空間と物質・エネルギーの相対性が現れています。また、エネルギーと運動量の保存則も一体化されていることが、ローレンツ変換形式に従う事とエネルギー運動量テンソルからも示されます。以上から、相対性と対称性・保存則から重力場方程式が記述されます。

 重力場方程式はエネルギーと運動量の対称性保存則を基点とし、それに合わせて時空を曲率テンソルとして幾何表現した恒等式として、係数を付加してディメンションを両辺で揃えて導かれます。この恒等式として導かれる段階で、宇宙項と呼ばれる項も含めて必然的に一般共変性を満たして成立しています。宇宙空間の加速度膨張にはエネルギー運動量テンソルに含まれる応力テンソル(完全流体として粘性は考慮しない)の成分に負の応力が欠かせません。引力で引き合うのみでは収縮はしても、加速度を伴う膨張は説明できません。負の引力(斥力)の作用が求められ、それには正の宇宙項が欠かせません。

 対称性保存則を基点とする重力場方程式の厳密解(解析解)は物質分布を静的球対称や回転軸対称などの対称性を取ることで得られ、物質分布の外部と内部における時空の歪み量がそれぞれ求められます。重力場方程式内部解では時空の歪み量を与える計量を求めるに留まらず、エネルギーと運動量の保存則から有力な方程式も導かれます。この式自体も計量を定めるために必要であり、さらにエネルギー密度と応力の関係を与える状態方程式も加えて連立方程式を組み立てます。重力場方程式は対称性保存則から導かれますので、その解法も対称性保存則に準じます。

 核融合反応を終えた星の終焉(白色矮星、中性子星「パルサー」、ブラックホール内外で揃えられない時間と空間、そして特異点を排除するアインシュタインローゼンブリッジ)に関してみていきます。宇宙では限界が明確に定まっていて、有限の自己制御に悪戦苦闘して限界・限度を忘れた人間に有るべき姿を自動制御で教えています。そして人間は自力でがんばり、厳しい中で努力して自己制御を身につけなければならない立場にいます。

 赤色巨星は外層を宇宙空間へ吹き飛ばして惑星状星雲を形成し、収縮した中心核は白色矮星(質量は太陽程度、その半径はおよそ太陽の1/100)となります。白色矮星では核融合反応は終わり、高エネルギー状態の粒子(電子)は無くなっているものの、プラズマ状態にあるため電子は遊離して軌道は持っていません。そこで量子統計力学の排他原理から、電子は低エネルギー位置の同じ状態と見なせる所から、重複せずに埋まったフェルミ縮退(フェルミはフェルミオン「電子、陽子、中性子」を示します)を取ります。量子力学の不確定性原理から粒子(電子)は狭い空間において位置の誤差分がとれなくなると、逆に運動量の誤差分が増して激しく運動するようになります。このフェルミ運動量から生じる圧力であるフェルミ縮退圧が、星が収縮する力と星内部の各点で均衡を取って重力平衡が成立しています。この状態で星の収縮は止まって安定します。安定化した時の白色矮星の半径は、星全体のエネルギー(位置エネルギーと運動エネルギーの和)の式から求められ、エネルギーが最小値を取れる所で安定化します。白色矮星の場合には力学の重力平衡式が適応範囲内で採用できます。

 白色矮星の質量は太陽程度と述べましたが、もし、近くに連星があってガスを重力によって捕獲して、質量が増していったならどうなるでしょうか。限界なく重力平衡を維持して収縮しないで済むでしょうか。星の質量が増せば粒子(電子)の数も多くなり、粒子数と正比例するフェルミ運動量も増加します。その結果、粒子(電子)はより早く動き回るようになり、運動エネルギーに相対性理論の効果を組み込む必要がでてきます。この状態で再度白色矮星の安定化する半径を求めようとすると、安定化する最小エネルギーの位置が得られなくなります。これは白色矮星の重力平衡が破られたことを意味し、これにより爆発が起こります。ここにⅠa型の超新星爆発となります。故に、白色矮星でいられる質量にも限界があることになります。ここにチャンドラセカール限界となります。限界質量を求めると太陽質量の1.5倍程になります。

 太陽質量の1.5倍を超えた星の場合、重力平衡が破れた白色矮星に滑り止めは無いのでしょうか。この過程で星内部にかかる力は増す一方になりますが、あまりにも力が強くかかると陽子が電子と結合して、中性子と電子ニュートリノに変化する逆ベータ崩壊が起こります。これは中性子の方が安定できるためです。滑り止めが効きました。電子のフェルミ縮退圧に代わって、中性子のフェルミ縮退圧によって白色矮星よりも収縮した中性子星(質量は太陽程度、その半径はおよそ10km)として安定しようとします。この時、収縮する力と中性子の縮退圧が衝突し、その時に位置エネルギーをもらった電子ニュートリノが星の表面に向かって解き放たれ、衝撃派が星の表面へ伝播して爆発を起こします。ここに重力崩壊型の超新星爆発となります。そして、星中心核に形成されていた中性子星(パルサー)が現れます。

 白色矮星には潰れないですむ限界質量がありましたが中性子星の場合はどうでしょうか。大自然は限界・限度を持って有限を否定しません。中性子星でいられる限界の質量はTOV限界と呼ばれ、中性子星を支える重力平衡式は力学では適応範囲外となってしまいます。重力場方程式のエネルギー運動量保存則から有力な方程式が得られることは述べましたが、2階テンソル場の共変微分を実行してビアンキ恒等式として、ここでは運動量保存則の方から導きます(エネルギー保存則も恒等的に満たされています)。ここに導かれる重力平衡式(TOV方程式)は超高密度の非常に強い重力場に適応可能で中性子星のような環境にも耐えられます。TOV方程式に含まれる光速度を無限に取ると力学の重力平衡式に帰着します。ニュートン力学では光速度は有限を否定して上限がありません。故に、光速度を考える時には力学は適応範囲外ということになります。

 TOV限界を超える質量を持つ星の核融合反応が終り星の収縮が始まると、それと均衡を保った縮退圧が取れないので星は中性子星よりも収縮を続けます。重力崩壊を起こします。星が収縮を続けてある一定の半径(ここにシュバルツシルト半径となります)に達すると星の表面が事象の地平線と化します。これは外部解と内部解ともに共通で、この半径の先では比較の限界から時空の歪み量は計り知れません。一方、内部解の時間部分の計量成分が星の中心点でゼロを取らなければ地平線は発生しないので、これからシュバルツシルト半径に到達する以前に安定できる半径の限界を知ることができます。星の半径に合わせてブラックホール化しない質量の限界も解ります。白色矮星と中性子星に関して星の収縮の限界を見てきましたが、事象の地平線の内外では時間の条件と空間の条件が揃えられなくなる比較の限界を取ります。

 脱出速度が光速度になる事象の地平線を超えて内部に入った場合には戻れなくなります。ブラックホール内部から抜け出せないということです。シュバルツシルト外部解(真空解)における時間部分の計量成分は0を取り、時空が平坦な遠方から計った場合には時間の停止を意味し、空間の動径方向の計量成分では有限を否定して発散してしまいます。視点を変えて等方座標系(デカルト座標系)に座標変換することで空間成分の発散を解消でき、座標由来の特異点であることが解りますが、その状態でも地平線内部を読み取るのは比較の限界から困難となっています。宇宙を読み解く自然科学で比較の限界は誤魔かせません。

 事象の地平線は戻れなくなる限界ですが、戻れなくなるために最終的に止まらなければならなかった限界線をここでは語るのではありません。肝心なのは事象の地平線を境界に時間の条件と空間の条件が揃えられなくなる事を誤魔かさないで認めることです。私達が知る時間と空間の条件で揃えられなくなります。有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)ことを判断規準に、揃えられるか否かを状況判断しなければなりません。大自然は突然決断を求めるのではなく警告の予告信号を設けています。私達は今、まさに誤魔かさない決断を下す時を迎えています。揃えられる場合も揃えられない場合の条件も認めて、互いに譲り合って一体化する決断を下す時を迎えています。そして、比較の限界を認めて地平線を渡った先でも自滅しないために有限を否定しない姿勢が試されてきます。

 ブラックホール内部では外部での時間と空間の条件と揃えられなくなる事を、内部での光の運動から見て行きます。ここからはシュバルツシルト時空の最大拡張を目指します。測地線方程式の解のみでなく、シュバルツシルト外部解の解析延長であるクルスカル解のクルスカル・セカレシュ座標(ペンローズ座標への変換も可)を用います。測地線方程式のみでは読み解けない現象をクルスカル座標で補足して進めます。一般相対性理論の立場では、ブラックホール中心の真性特異点では有限が否定されます。一般相対性理論の適応範囲外となることを意味し、クルスカル座標でも特異点を含めた先の領域は物理的に意味を持ちません。特異点(異常)とそれを除く領域(正常)が一体化できていません。一体化できていないことは異常ですが、その異常とは特異点における有限の否定を指します。

 測地線方程式から、中心点を除いたブラックホール内部で中心から離れる方向で地平線に向かう場合には、対数発散から無限の所要時間を要します。そのため光は地平線を突破できずに内部から抜け出せないと解釈しますが、これをクルスカル座標で補足して読み解くと理解不足を起こしていたことに気が付きます。これは逆に時間を過去に戻りながら、地平線を超えて中心点へ向かっていた光となります。内部では進路を中心方向に取る場合の時間の流れる向きは、外部の時間の流れる向き(私達が認識している時間「座標時間」の流れる向き)と逆向きになり座標時間が減少します。外部からは内部で進路を中心方向に取っている人の時計の針は逆戻りして過去に戻っているということです。しかし、実際に内部へ入って進路を中心方向に取っている人の時間「固有時間」は普通に増加しており、時計の針は逆戻りしていません。外部の場合にも時間の流れが遅くなっている所にいけばスローモーションになっているのではありません。中心に向かっていても、外にいる私達の時間の流れる向きとは逆行していることから、光が後戻りして中心点から離れるように認識されます。これが始めに中心点から離れて無限の所要時間を要して地平線に向かうように見えた光の実体です。また、対数発散の影響は調べるとわずかであり、実際には有限の所要時間として問題ありません。

 では、実際に中心から離れる方向で光が地平線方向に向かう場合はどうでしょう。進路を地平線方向に取る場合の時間の流れる向きは、外部の時間の流れる向きと同じであり、時間の逆行は起こりませんが、光は離れる方向に進んでいるにも関わらず中心に達します。そしてこの場合を測地線方程式から確認すると、明らかに有限の所要時間内で中心に到達することが解ります。

 クルスカル座標からブラックホール外部での座標時間の流れる向きは、過去から未来に流れるのみであり、空間の進行方向は自由に取れます。これは私達の日常生活からも理解できることです。しかしブラックホール内部では外部における時間の流れに対して、時間の流れる向きは進路の取り方によって変化して、過去方向と未来方向が入れかわります。外部での空間の進路のように向きを変えられます。空間では進路の取り方を問わず、中心方向以外の選択肢がなく、外部での時間の流れる向きのようになっています。このような意味で時間が空間的に、空間が時間的になっており、事象の地平線を境界に時間の条件と空間の条件が揃えられなくなります。比較の限界を守って、揃えられるか否かを誤魔かす亊なく、揃えられる場合も揃えられない場合も認め合い、そして譲り合い一体化して有限を否定しないのが宇宙の在り方です。

 光でさえ中心点から逃れられません。クルスカル座標上でヌル測地線による2本の光の進路からも明らかでありますが、ブラックホール中心点から光を発するのは不適当です。しかし、クルスカル座標ではブラックホールと同じく事象の地平線を持ちながらも、座標上で取れる光の進路から、抜け出す選択肢しか持たない天体も存在します。中心点から光を発する場合はこちらから確認できます。中心から離れる方向に光を発して地平線を越えて外部世界に向かう場合には、ブラックホール内部と真逆で時間を逆行して過去に戻っていきます。そして、光の進路からその天体内部で中心に向けて光を発することは不適当であり、外部から地平線に向けて光を放っても到達できません。光の進み方や時間の流れる向きがブラックホールとは真逆で、このような天体はホワイトホールと呼びます。

 このようなホワイトホールの性質から、ブラックホールとは時間の条件と空間の条件が揃えられません。ここでも事象の地平線を越える時と同じく、揃えられない条件を認めて互いに譲り合って一体化する姿勢で正常を取れます。但し、特異点では有限が否定されて時間も定義できない異常が示されて、有限を否定しない正常の領域とは一体化できません。故に、有限を否定した特異点で互いの時空を一体化するのは不可能なのです。しかし現実の宇宙は有限を否定することなく正常を貫いて多様性を確保します。揃えられない時空を認めて事象の地平線を越えられても、内部中心の特異点で異常である有限の否定に揃えてしまっては自滅してしまいます。異常とは一体化できない根拠です。戦争に賛成するのと同じです。異常である有限の否定に揃える事なく正常に軌道修正して、ブラックホールとホワイトホールを一体化した正常を満たす仮説は考えられます。有限を否定した特異点は一般相対性理論でも説明不可能であり、そのような特異点で一体化してワームホールとは呼ばれません。ワームホールとは重力場の異常な特異点を排除するのを第一に導きます。

 有限を否定してしまう特異点問題の解決は量子重力理論の目指す所であり、異常を軌道修正する道を与えます。有限を否定する特異点は自然科学にとって最も深刻な課題です。一方、この特異点問題は一般相対性理論が構築されたばかりの当時は現実問題として考えられていませんでした。その異常な内容を認められないのは無論、存在自体も認められませんでした。そこで異常な特異点が発生しない状況が考えられていました。始めから異常を回避する姿勢です。ワームホールはそこから導かれた結論ですが、重力場から特異点を排除することに最大の目的があります。アインシュタインローゼンブリッジの起こりです。

 アインシュタインローゼンブリッジではライスナー・ワイル解の特異点回避も考察して重力場だけでなく電磁場も一体化して扱います。静的な真空解(外部解)であり、物質や電荷の分布は無い状態ですが、静電場は真空中にも及んでいるので電磁場のエネルギー運動量テンソルを採用して、重力場方程式の右辺はゼロとは置かれない場合を取ります。

 特異点回避を考えるために、まずは一般相対性理論の原点に立ち返って等価原理を見直します。等価原理から局所的な重力場で自由落下(等加速直線運動)している人の立場では特殊相対性理論の局所ローレンツ系が成立してミンコフスキー計量が採用でき、その場合にはリッチテンソル(曲率テンソル)はゼロとなります。しかし、等価原理は大域的な重力場の時空が歪んでいる本質を誤魔かしたものではありません。局所ローレンツ系を選択できても大域的な重力場の時空の曲率がゼロであることを語ったものではありません。それでも局所ローレンツ系を重力場で選べば計量は発散することのない正則を示すことは確かです。

 そこで重力場と電磁場の法則を変えることなく、計量が発散する特異点を避けて、常に有限を否定しない正則解のみが得られることを考えます。局所ローレンツ系で接続係数はゼロ、接続係数の微分も打ち消し合いマクスウェル方程式は共変微分によらず通常微分で記述できて等価原理が適応可能であることが示されます。しかし、大域的には曲率がゼロでないため共変微分に切り替える必要があります。ベクトルポテンシャルの導入で電磁ポテンシャルとして記述され、さらにゲージ変換を施したローレンツゲージ(調和ゲージ)のマクスウェル方程式はディメンション(物理量)を揃えて4元電流密度を用いて1本化されます。ところが、電磁ポテンシャルの状態ではダランベルシャン(4次元ラプラシアン)に通常の2階偏微分が含まれています。共変微分では微分順序の変更によって結果が変わる(曲率テンソルの表し方)ことから、2階ではそのまま共変微分に置き換えられません。

 電場、磁場、電磁ポテンシャルの関係式が反対称テンソルの性質を満たすことに着眼し、電磁ポテンシャルによるマクスウェル方程式にて、2階の反対称テンソルである「電磁場の強さを示すテンソル」を表記します。電磁場の強さを示すテンソルで表記することで1階微分となり共変微分に置き換えができるようになり、4次の余因子展開を用いて計量の行列式(determinant)を求め、その適当な累乗からテンソル密度を作ることで共変微分によらず通常の偏微分での記述も可能になり、一般座標系でのマクスウェル方程式になります。計量の行列式を用いた場合のテンソル密度の作り方であり電荷保存則にも使えます。

 マクスウェル方程式を電磁場の強さを示すテンソルで記述することで、電磁場のエネルギー密度、運動量密度、応力テンソル(マクスウェル応力テンソル)が2階のテンソル場として表されるようになります。ここに電磁場のエネルギー運動量テンソルとなります。

 ここで特異点が発生する条件を示す特異点定理に関して触れます。例えば球面から外向きに出た光は周囲に拡散して広がりますが、内向きの場合は中心点に向かって収束します。しかし、クルスカル解で見たようにブラックホール内部では光の進路の取り方とは無関係に、光は地平線方向の外向きに放っても拡散して広がることなく中心の特異点に向かって収束します。このように光さえも完全に捕捉される球面が事象の地平線であり捕捉面とも呼ばれます。このような状況ではリッチテンソルは正曲率となり閉じた時空構造を示します(エネルギー条件)。補足面が発生すれば面積ゼロの一点である特異点に収束し、特異点より先では時空の世界線は行き止まりになるので定義不能となり不完全な時空となります。

 リッチテンソル(曲率テンソル)に計量の行列式(determinant)の適当な累乗を乗じることで有理関数として扱えるようになります。有理関数なので分母がゼロを取らないで済むようになります。テンソル密度の操作で分母が原因で計量が発散しないで済む変数変換(座標変換)が取れるようになります。また、適当な累乗としては2乗でも良いし、1/2乗の平方根で虚数が出ないように負号を施しても良く結果は同じです。これで有限を否定する重力場の異常な特異点を避けられるようになります。

 変換前の動径座標(r)の定義域はゼロを含まず、最小位置がシュバルツシルト半径になります。変換後の新しい動径座標(u)ではシュバルツシルト半径(事象の地平線)を取る位置でゼロとなり、計量の行列式もゼロとなりますが計量が発散することはなく特異点は生じません。この時、空間部分の計量は残りますが時間部分の計量がゼロを取ります。しかし、有限は否定していないので時空は破綻していません。

 新しい動径座標(u)は時間がゼロを取るシュバルツシルト半径位置(事象の地平線)の前後で、異なる時空をつないでいきます。この状況を視覚化するために四次元時空の時間を一定(t = 一定)、球の赤道面(θ=π/2)のみに着眼して2次元に簡略化し、そこへ改めて第3のZ軸を加えて3次元空間内の2次曲面上の曲線の式を求めます(簡略化した2次元線素に新たな動径座標(r*)を導入した変数変換を施して、さらに円柱座標系で3次元ユークリッド空間を描き、互いの計量の比較を取ることで微分方程式を導いて解きます)。

 2次曲面上の曲線の式が異なる時空がつながる状態を描き出します。シュバルツシルト半径(事象の地平線)を取る位置で2次曲面上の曲線の式はZ座標がゼロとなり、Z>0の空間とZ<0の空間がシュバルツシルト半径を取る位置でつながります。このつながる所の円形の面がアインシュタインローゼンブリッジと呼ばれ、計量の行列式がゼロを取る事象の地平線の位置にあります。円形の半径はシュバルツシルト半径となります。アインシュタインローゼンブリッジの外側には行列式がゼロにならない座標変換が存在しています。これは電荷を含まないシュバルツシルト解の特異点回避です。

 クルスカル座標では領域ⅡとⅣのブラックホールとホワイトホール内部は避けて、直接的にブラックホールとホワイトホール外部のそれぞれ異なる領域ⅠとⅢを結ぶ経路になります。時間部分の計量がゼロであるにも関わらず異なる時空を接続しています。時間を要しない速度での移動は不可能です。そのため速度での通行はできません。速度を超えて瞬間で異なる時空をつなげる現象を表しています。

 このように異なる時空を接続する構造がワームホールと呼ばれます。しかし大切な目的は有限を否定する異常な場の特異点を回避することで、ワームホールはその結論にすぎません。また、ワームホールとは特異点でブラックホールとホワイトホールをつなげたものではないことも明らかです。特異点定理から時空が断絶して不定義でもつなげられるとしては矛盾です。そして特異点は有限を否定する異常です。有限を否定しない正常部分とは一体化できません。

 電磁場も一体化した静的な真空解(外部解)のライスナー・ワイル解においても同様にして特異点回避が可能になりますが工夫はこらします。真空解(外部解)ですが、静的条件での静電場の影響を無視できないので、動径方向のみの電場成分が反対称性として電磁場の強さを示すテンソルに表されます。これを基にしてエネルギー運動量テンソルの成分が定まります。電磁場のエネルギー運動量テンソルはマクスウェル方程式から構築され、それを重力場方程式に代入するのでアインシュタイン・マクスウェル方程式として、重力場と電磁場を一体化した時空の計量の厳密解を求めることになります。静電ポテンシャルの決定にもマクスウェル方程式が欠かせません。

 電磁場のエネルギー運動量テンソルを縮約したスカラー量を取れば成分が打ち消し合いゼロになります。電磁場のエネルギー運動量テンソルを縮約したスカラー量はゼロとして計量を求めます。静的球対称の条件からリッチテンソルはシュバルツシルト真空解(外部解)を求めた場合と同じになります。但し、静電場の影響を考慮するためにエネルギーと運動量の保存則を確認します。運動量保存則の方から電場に関する微分方程式が得られ、その解を使って最終的に静電場が有る場合の静的な球対称の時空の計量が求まります。ここにライスナー・ワイル解となります。電場が無い場合には通常のシュバルツシルト真空解(外部解)に戻りますが、同じく発散して有限を否定する特異点を含みます。

 静電場も考慮した時空では事象の地平線はシュバルツシルト半径のaだけでなく、電荷を含むεの部分も加えて外側と内側に存在します。内側はコーシーの地平線と呼ばれます。電磁場のエネルギー運動量テンソルまで含めたテンソル密度を作り、分母が原因で計量が発散しないで済む変数変換(座標変換)を取れるようにします。特異点を回避して時空をつなげるアインシュタインローゼンブリッジは事象の地平線の位置に発生するので単純化することを考えます。シュバルツシルト半径aの部分を簡単のためゼロ(消去)と置き、リッチテンソルと電磁場のエネルギー運動量テンソルの成分で連立方程式を構築して解く際に、シュバルツシルト半径aの部分をゼロとしても事象の地平線を表す式に虚数が現れないことに注意します。虚数が現れる場合は事象の地平線は消失して、アインシュタインローゼンブリッジは発生しません。

 電荷を含まない場合と同じく、事象の地平線に位置している接続面のアインシュタインローゼンブリッジで2次曲面上の曲線の式はZ成分がゼロとなり、Z>0の空間とZ<0の空間がつながることが示されます。この場合のアインシュタインローゼンブリッジは半径が(ε²/2)の円形となります。

 始めから有限を否定する特異点を回避する道をいくならば、事象の地平線を速度でなく所要時間ゼロで越えた先には新たな時空が広がっています。逆に有限を否定する道をいくならば、事象の地平線を越えた先には自滅の特異点が待っています。特異点定理から特異点で時空の世界線は途切れて先が存在しなくなります。流れを失った停滞となり、これが自滅の状態を表します。流れを失った停滞とは自己都合の囚われ、執着の世界で自分だけの都合を一方的に通す未熟さによる自業自得が生み出した苦しみの世界です。自ら自分の首を絞めて苦しむ世界です。事象の地平線を越えても自滅の特異点に達するには時間を要します。つまり、自分勝手な行いの反作用の結果が現れるには時間がかかり、それまでは涼しい顔をして罪を積み上げている者が多いのです。そして、この自業自得の自滅の苦しみが罪の清算であり、これを通して人は成長していきます。清算が済めば特異点は解消されて先に道が開けて救われます。この時点で囚われ、執着は解消されて自らの成長によって救われます。自己都合の囚われ、執着を解消することこそ成長することの解なのです。故に、罪を積み上げて清算していない者に「八つの決まり」を説いて今すぐに自覚させて救われることは有り得ません。時間が必要であり、第三者は清算が済む時まで見守る以外にないのです。

 自滅に至る前に運動の法則で有限を否定する特異点を回避する道に賢く軌道修正するならば、自滅の特異点に達する前に先に進む道が開かれます。但し、八方塞(はっぽうふさがり)の状況で手のほどこしようのない我慢状態では第三者の協力による「自立の援助」がなければ自滅の特異点からは逃れられません。今の世界全体は既にこの段階に達しています。事象の地平線を越えて有限を否定したまま自滅の特異点直前の位置にいるのです。

 

⑩宇宙から学ぶ ~時間発展する宇宙(膨張宇宙解)~

 世の中は絶えず流れ、変化の無いものはありません。建築物のような不動産であっても、時が経てば劣化して自然界にかえります。軌道は位置ベクトルを時間の関数として与えて描けます。日常のすべてが時の流れから切り離せません。

 宇宙全体で見た場合はどうでしょうか。宇宙は動かないものと思われていた時期もありましたが、今では遠くの銀河ほど速く後退すること(ハッブルの法則)も明らかであり、宇宙は動的と見るのが自然になっています。では、相対性理論が構築されておらず宇宙が静的と考えられていた時代に宇宙の膨張変化を考えることはできたでしょうか。

 宇宙空間の膨張を説明するにはフリードマン方程式と呼ばれる式が必要になりますが、ニュートン力学における力学的エネルギー保存則から導くこともでき、3つの場合に分けて一様膨張・膨張収縮・漸近線を伴う膨張として表現されます。一方、現実の宇宙を描く上では不十分な点もあり、それが空間曲率を伴う一様等方性(並進対称性と回転対称性)が描かれていない膨張球に留まる所です。しかし、動的な宇宙を考えることはできます。

 ハッブルの法則は遠くの銀河ほど速く後退することを表しますが、これは私達が宇宙の中心にいるからではなく、宇宙のあらゆる場所で成立します。これが一様等方性の膨張を示していることになります。球面が一様等方性の例であり、どこを見ても特別な所はなく絶対的な中心点は存在しません。

 宇宙の形状は、宇宙を占めるエネルギーの密度パラメータ(Ω)による空間曲率の取り方から3パターンがあります。正曲率の3次元球面(閉じた有限体積の宇宙)、平坦な3次元ユークリッド空間(開いた無限体積の宇宙)、負曲率の3次元双曲面(開いた無限体積の宇宙)となります。現在の実観測では平坦な開いた宇宙が有力と考えられますが、大自然では有限は否定されません。根源的本質は有限を否定しないこと(限界・限度を超えない「なかほど」)です。無限に膨張し続けるのではなく、いずれは収縮に転じて終焉を迎える有限の命を持つ大自然です。閉じた正曲率(Ω>1)の3次元球面で話を進めます。

 宇宙全体の運動を論じるには重力場方程式の内部解法が必須になります。重力場方程式を具体的に解くには、最初に代入する計量の形を決定しますが、ここで最も大切なことは一様等方性を満たしていることです。大自然に絶対的な中心はなく、自己中心的な姿とは対極の姿をしています。一様等方性は時の流れと共に宇宙の全体で成り立ち、今の部分的な宇宙を見ただけではわかりません。一様等方性は最低でも100メガパーセック(アンドロメダ銀河までが0.7メガパーセック)以上の広範囲からでなければ成り立たないことから明らかです。そして過去から現在、未来に向けて時間が経っても崩れることはなく、整然としています。宇宙は崩れることのない正常な生き方を私達に示しています。このような姿をリーマン幾何学で表現します。

 小さい範囲でみた場合、私達の体は電磁気力によって膨張しませんし、太陽系や銀河系も重力によるつながりで膨張しません。時間発展する宇宙の歴史を見た時、私達は無論、太陽系や銀河系は「はじまり」から存在していません。その時々によって部分的に偏った見方をすれば対称性は破れます。しかし、時間発展する全体では対称性が保たれて、平等関係が取られていることが解ります。故に、時間発展する全体を見る立場の者(私腹から切り離した第三者・権力者・指導者)が、「三現主義」に基づいて対称性(バランス「調和」)を判断して平等関係を保ちます。

 大自然の姿は時間発展する全体を見て対称性(バランス「調和」)を判断できる第三者・権力者・指導者の立場を表しています。当事者間で主張が食い違い、揃えられるか否かの問題が解決しない時、時間発展する全体の対称性(バランス「調和」)を、有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)ことから状況判断できる第三者・権力者・指導者が必要になります。

 4次元ユークリッド空間を設定し、空間部分の3次元球面の計量を求め、時間部分の計量も含めて不変量として記述します。ここで宇宙空間の体積が時間の経過に対して変化するならば、空間の長さが伸縮することになります。この伸縮を数量表現するのが時間の関数として表されるスケールファクターと呼ばれるもので、その設定は任意に取れます。このスケールファクターを空間部分である3次元球面の計量を表す線素に乗じます。これによって宇宙空間の時系列変化を表現できます。時間部分も含めて最初に重力場方程式に代入する計量が定まりました。ここにロバートソン・ウォーカー計量となります(またはLFRW計量とも呼びます)。

 大自然である宇宙全体には、絶対的中心は無いとする一様等方性をロバートソン・ウォーカー計量が満たしていることは、計量における時間の関数と空間の位置関数が変数分離されていることから確認できます。変数分離されているので時間が経っても崩れません。持続可能とは時間発展する全体の対称性(バランス「調和」)を維持することです。また、計量が一様性(並進方向の3成分自由度の座標変換に対し形を変えない)と等方性(回転方向の3成分自由度の座標変換に対し形を変えない)を満たしている特徴も確認できます。ここでの自由度は合計6ですが、最大自由度は10となります。

 ロバートソン・ウォーカー計量を重力場方程式に代入して、宇宙空間の伸縮を表すスケールファクターの関数形を求めていきます。完全流体として記述したエネルギー運動量テンソルは、縮約で混合テンソルとして用意しておきます。重力場方程式は宇宙膨張に斥力の効果も表してみたいので、正の宇宙項はゼロと置きません。

 接続係数からリッチテンソル、そしてリッチスカラーへとつないでリッチテンソルと計量テンソルは混合に変形します(計量はクロネッカーデルタです)。これで、左辺のアインシュタインテンソルと右辺のエネルギー運動量テンソルが揃って混合テンソルとして書き下されました。計算負荷の軽減を理由に混合へ変形しています。

 ここで、重力場方程式における対角成分の時間部分からフリードマン方程式が得られます。さらにエネルギー運動量テンソルのエネルギー保存則の方から流体方程式が得られます。熱量の出入りによる変化が無いこと「断熱」と熱力学第一法則を組み合わせ、空間の体積変化と内部エネルギー変化を加味しても流体方程式は導かれます。ニュートン力学で述べたフリードマン方程式とは異なり、完全に同じ形式で導かれます。フリードマン方程式と流体方程式から宇宙空間の膨張加速度を記述する加速度方程式も得られますが、独立の式ではないので、最終的にスケールファクターの関数形を求めるためには方程式が1本不足している状態です。エネルギー密度と応力も含めて、未知関数が3個あるためです。

 そこで状態方程式を考慮します。状態方程式には宇宙初期に適用される「放射(輻射)優勢」、現在の宇宙に適用される「物質優勢」、そして宇宙空間の加速度膨張に寄与していると考えられる「宇宙項(真空)優勢」等が挙げられます。放射優勢の宇宙初期時代は、宇宙誕生直後の極めてわずかな間に限られるので「物質優勢」、そして宇宙項効果も確認するということで「宇宙項優勢」の2つに分けて引用したいと思います。

 フリードマン方程式に流体方程式と状態方程式を連立させることで、フリードマン方程式に含まれる未知関数はスケールファクターのみとなり、空間曲率と宇宙定数が含まれた微分方程式としてまとめられました。この微分方程式に有限宇宙空間(3次元球面)の空間曲率を用いて、物質優勢と宇宙項優勢とに分けて、最終的に目指してきた解であるスケールファクターの関数形を求めます。

 物質優勢で解いたスケールファクターは時間経過に対してサイクロイド曲線変化を取ります。故に膨張から収縮に転じます。サイクロイド曲線の両端(「世界のはじまり」と「世界のおわり」)では、スケールファクターはゼロを取り宇宙空間の体積はゼロをとります。この時、時空の曲率を表すアインシュタインテンソルの成分は有限が破綻して無限になってしまいます。同時に、エネルギー運動量テンソルのエネルギー密度と応力を表す成分でも有限が破綻して無限となります。その為、「はじまり」と「おわり」の瞬間は回避不可能な特異点となってしまい、ブラックホール中心点と同じく、一般相対性理論の適応範囲外となる異常を示します。

 宇宙項優勢(真空優勢)で解いたスケールファクターはネイピアー数によって表された指数関数となってしまいます。これは指数関数的な加速度で膨張することを表しています。故に、斥力を優勢にした宇宙空間を考えれば実際の宇宙膨張よりもはるかに速い膨張をすることが解ります。故に実際の宇宙空間は放射・物質・正の宇宙項を複合した多成分宇宙として捉えられています。

 以上より、重力場方程式から時の流れと共に絶えず運動し、変化して止まない大自然の姿が描かれます。バランス(調和)を与える一様等方性(並進対称性・回転対称性)は、時間が経っても崩れませんが、膨張・収縮によって宇宙空間を表す共動座標の目盛り間隔は絶えず変化します。全体のバランス(調和)は時間発展するので、平等関係の取り方を見直すことは大切です。法律と人の向き合い方を時代に合わせて見直すのと同じです。

 

⑪平等関係の取り方

以下の1)~5) により、

有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」で持続可能となる)。

1)

正常を誤魔かさない事、その1(正常に準じて比較の役割を誤魔かさない)。

抽象的な大きな部分、具体的な細かな部分で条件が揃えられるか否かを誤魔かさない事を前提とし、大きな部分で揃えられる条件を互いに不足無く照合し、細かな部分でも揃うか否かの差異を照合する。都合の良い条件だけ出して比較条件の不足した不平等にしない。自己都合を有利にする条件だけ出して、自己都合に不利な条件を隠さないことが不足無くの意味するところ。組織集団の中で公式に違和感ない情報のみを使う。執拗な詮索で衝突しては本末転倒。

※Ⅴ章の例題2を参照

2)

正常を誤魔かさない事、その2(正常に準じて比較の役割を誤魔かさない)。

抽象的な大きな部分、具体的な細かな部分で条件が揃えられるか否かを誤魔かさない事を前提とし、細かな部分で互いの揃えられない差異が開きすぎて、大きな部分の条件が揃えられなくなってはならない。比較の限界(比較対照外)になるほどの開きの関係があってはならない。

※Ⅴ章の例題12、例題13を参照

3)

正常を誤魔かさない事、その3(正常に準じて比較の役割を誤魔かさない)。

抽象的な大きな部分、具体的な細かな部分で条件が揃えられるか否かを誤魔かさない事を前提とし、揃えられる場合も揃えられない場合の条件も互いに認め合い、譲り合って(出し合って)ワンセットで揃え、一体化の関係を持つ亊。多様性の確保と不足の無い照合を満たす前提になる。認め合いと譲り合いの未熟さから比較の役割は誤魔かされる。

4)

正常を誤魔かさない事、その4(正常に準じて比較の役割を誤魔かさない)。

抽象的な大きな部分、具体的な細かな部分で条件が揃えられるか否かを誤魔かさない事を前提とし、全体のバランス(調和)の取り方は時が経つと共に変化する。全体のバランス(調和)の取り方は時間発展する。故に状況判断して平等関係を見直す亊が欠かせない。

5)

正常を誤魔かさない事、その5(正常に準じて比較の役割を誤魔かさない)。

抽象的な大きな部分、具体的な細かな部分で条件が揃えられるか否かを誤魔かさない事を前提とし、第三者は有限を否定しない事(限界・限度を超えない「なかほど」)を根拠とし、時間発展する全体のバランス(調和)を状況判断する。第三者は平等関係を崩す私腹を肥やす行動は取らないという事。慣性の法則・運動の法則・作用反作用の法則に従って結果は出る。結果に対し、自分の生活を反省する時間を設ける。

 

⑫「八つの決まり」と「平等関係の取り方」の一体化

「八つの決まり」の場合は日常生活表現を強調していますが、人の行動(考える、語る)の部分にこだわる必要は無く、自分・相手・第三者の表現も決めつける必要はありません。これにより1、2、3は汎用可、4、6、7は人間関係、5、8は自分自身のことになります。

 「八つの決まり」と「平等関係の取り方」は共に根源的本質の有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)ことを満たして、自分だけの都合に偏らずに全体のバランス(調和)を取って多様性を確保します。根源的本質の見る角度を変えることで細かな部分の表現は揃えられませんが、大きな部分の根源的本質では揃えられて比較照合可能です。視点を変えても大きな部分の根源的本質は不変であります。同じく、大きな部分の根源的本質にて自然科学と八つの決まりも揃えられて比較照合可能です。細かな部分として表現は揃えられませんが、型にはめない・決め付けない・囚われない細かな部分の具体的表現の多様性から理解を深められます。根源的本質の「なかほど」はバランス(調和)であり柔軟性を表しています。故に細かな部分に多様性が現れることができます。八つの決まりとは根源的本質に関して日常生活表現を強調した規準でありますが、理解を深めるために視点を変えた細かな部分の表現の具体性を増す必要があるのです。自然科学を学ぶ目的もそこにあります。根源的本質は同じなので「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」と「平等関係の取り方」、「自然科学」の内容表現を状況に合わせて規準にできます。

故に、

「平等関係の取り方」、「自然科学」の内容表現を満たすならば、日常生活表現を強調した「八つの決まり」も満たします。互いに根源的本質を揃えて満足しているからです。

 

【八つの決まり(有限を否定しない決まり)】

以下の1)~8) により、

有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」で持続可能となる)。

1)

自分だけは守らねば、とする考えは捨て善意な第三者の立場になって起こった事柄を正しく見るならば、平等関係の取り方1)~5)を満足する事ができる。逆の事も言える。

平等関係の取り方1)~5)を満足するならば、自分だけは守らねば、とする考えは捨て善意な第三者の立場になって起こった事柄を正しく見ている。以下2)~8)も同様。

2)

自分の都合だけを考えず、相手が不幸になればいいとは思わず、相手の立場も思いやり、「なかほど」の考えで調和するならば、平等関係の取り方1)~5)を満足する事ができる。

3)

話す相手の心をくみとり、相手を欺く事なく、「なかほど」の考えをもって調和するように語りかけるならば、平等関係の取り方1)~5)を満足する事ができる。

4)

投資家(経営や業務に直接携わることなく配当金や売却益を得ている受益者のことを指し、個人・機関の立場の違いは問わない)と経営者は利益を上げる事だけを考えない。ESGと財務情報の開示は投資の意思決定要因である。これらの情報は証券市場での立場を左右するが、特に財務の蓄えを強調するために社内留保を過大に増やし続けず、さらに租税回避行為をせずに従業員と世の中のステークホルダーに安定して還元して、需要を喚起する。赤字化の誤魔かしは同族経営に顕著であるが、租税回避行為は投資家利益を最大化させる目的に合致しており、大手、中小問わず深刻化している。タックスヘイブン問題に見るように、法人に限らず個人でも深刻化している。納税空洞化の穴埋めは、一般国民に対する消費税増税で賄われることになる。逆進性で富裕層優遇が強化される。貧困者を無視して止まらない逆進性の消費税増税は比較の限界を誤魔かして平等関係の取り方を満たさない。

 

従業員は会社を通して広く社会へ貢献する。仕事によって自分の生活を助け、社会全体にうるおいを与える。投資家や役員の利益を最優先・最大化して、他のステークホルダーである国内従業員、海外途上国におけるサプライヤーの従業員、顧客、地域社会の利益とのバランス(調和)を取らないのは悪。このような異常経営は国内の非正規従業員を増加させて貧富拡大による貧困問題を深刻化させ、さらに海外途上国の低賃金労働を用いることで慢性的貧困による人口爆発を加速させている。海外途上国の貧困には汚職や内戦紛争も原因している。しかし、海外では貧困の持続で人口が多いからこそ、労働力を格安で手に入れ続けられているのが現実である。国内外で労働力が安く搾取されている現実がある。この現実はひがみ、妬みから職場内の異常な人間関係による「いじめ」を激化させている。非社会的ステークホルダーである自然を破壊して異常気象も深刻化させてきた。

 

投資家と富裕層が富に囚われる資本主義が人と自然の富を搾取し続けて止まらなくなっている。この総合的な負の反作用(結果)は物価高で終わらない。調達と供給が急速に破綻して、社会は急激に機能しなくなっていく。自滅する社会では投資家と富裕層の「お金」の力で政治が操られ、政権を握る与党政治家は投資家・富裕層の利益を最優先・最大化させてきた。政策の失敗である。

 

ESGでは長期的視点に立つが、受益者である投資家の最大限の利益を最大限追究することが原則である。しかし、この原則では他のステークホルダーよりも最終決定権を持つ投資家の利益を優先して経営することが前提条件にあり、返済終了で終わる融資とも異なり、最大限の利益を出し続けて、投資家への配当金還元は終わることなく、国内外での低賃金労働力搾取は改善されない。ESGを考慮するならば株主の利益最大化を優先した配当要求に応える必要のない、最善策が必要である。投資家による低賃金労働力搾取をはじめとする資源の不平等配分は世界の人口爆発や自然破壊を進めてきた。受益者である投資家の最大限の利益を最大限追究する原則は、グリーン経済を実現して地球全体の文明が自滅しないために解決しなければならない課題である。不平等問題(人権侵害)を誤魔かして技術的に環境問題のみを改善することはできない。有限を否定できないことから限界に達して先に進めなくなる。株式では返済不要、破綻しても有限責任であり、事業継承も株の譲渡売却で済むが抜本的な工夫が求められる。

 

現行CSRは国際人権基準(世界人権宣言、国際人権規約、ILO中核的労働基準)から人権を考えている。しかし、平等と自由が正しく理解されていないことが課題である。投資家の利益を最大限追究して貧困を放置する現実は不平等による人権侵害であり、平等と自由を誤魔かしている証である。コーポレートガバナンスの人材採用方針、人材多様性の確保では非正規問題を誤魔かすことなく触れ、人権デューディリジエンスに組み込んでいくべきである。

 

宇宙・自然のように時間発展する全体のバランス(調和)を前提として多様性を確保し、有限を否定せず限界・限度を超えない「なかほど」の生き方を満たすことが欠けては平等と自由は成り立たない。「正常」を理解することで、自由とは平等が前提であることを知る。自分の思うままが自由ではない。正しい比較なく、正しい競争は有り得ない。これは正しい平等の上に正しい競争は成り立つということである。正常を満たす八つの決まり(有限を否定しない決まり)を守るCSR・CSVの仕組みをコーポレートガバナンスに落とし込み、そして実践する。但しCSR・CSVは一案であり、柔軟性を欠いて決めつけては正常が理解されていない。正常(正しいとされる状態)とは個々人の判断によって定義できない。正常を満たす八つの決まりを守らなければ、いかなる案でも、その欠落した穴から崩れてしまう。株主利益を最大化させる使命を負う経営者による租税回避行為はステークホルダー全体のバランス(調和)を損なう。白日のもとに知られて経営が危険にさらされる例が現実に起こっている。完全でない法律のグレーゾーンを利用した合法の節税スキームという言い訳は通らない。同じ理由で人手不足による不可抗力が不祥事や甚大な事故を起こし、命まで犠牲にしている。株主利益の最大化を使命に持つ経営者は人手不足を認められない。CSVは市場独占ではなく競合他社ともウィンウィンの関係を構築して、経済価値と社会価値の持続性を目指すが、株主価値優先の矛盾点(全体バランスの否定)を含む限り、八つの決まりを満たせない。さらに、八つの決まりを満たすためには社会課題の自覚に不足があり、社会価値が不十分な現状にある。多くの社会課題が挙げられている中で核心的課題が挙げられずにいる。そのため経済価値と現状の社会価値の両立だけでは不十分であり、今後CSVを如何に進化させても、その核心的課題を自覚して抜本的な改革に取り組まない限り、持続可能な社会を構築することは不可能であり発展には至らない。その核心的課題を組み込むことで足ることを知り(無私)」資本主義は持続可能になるなぜ足ることを忘れて自己利益のみを追求するようになるのか、なぜ資本主義は暴走するのか、真因は人の心の欲望(二次本能)に限界・限度を忘れさせる現行資本主義の仕組みにある。結論として核心的課題に関して以下に述べていく。投資家・富裕層は核心的課題を支配の手段に社会全体を「リード」してきた。「リード」の結果は社会全体の自滅である。お金を持たない者は「リード」できないのだ。今の世の中は政治権力も「お金」次第なのである。経団連は経済界の代表で、大規模な迂回献金(政治献金)を斡旋して政・官・財を操る心臓部である。経団連会長は製造業(ものづくり)のリーダーから選ばれている。資本家(投資家・富裕層)の集団であり、多額の迂回献金(政治献金)を斡旋して政府の政策も「評価」することを活動の一つとする。故に、金の力>権力であり政治も「お金」次第である。しかし、以下の結論でも語るように、力は自然法則の一つに過ぎないため、力に偏った見方で一番というのは成立しないことが理解できる。正常を満たす八つの決まりは宇宙・自然の根源的本質を表しており、有限を否定しない、限界・限度を超えない「なかほど」によって全体のバランス(調和)をとる多様性こそ「真」になる。有限の価値から金の力にも限界・限度があり、他の力とのバランス(調和)が欠かせない。特にも自然の力との兼ね合いは無視できないことは異常気象からも分かるであろう。現行資本主義が暴走する真因、すなわち核心的課題を誤魔かす現行資本主義の上で有るべき姿を述べても空振りするのみである。本当に持続可能な話に進展しない。

 

結論、強調したい点は宇宙全体を成す時間と空間は一般相対性理論の重力場方程式において一体化しており、同時にエネルギーと運動量も一体化されて記述されているということである。加えて述べれば、考慮する系全体の対称性(バランス)が持続されている限り、系内部のエネルギー保存則と運動量保存則も一体化により連動して成立する。片方のみが成立するということは有り得ないのである。さらに物体が持つ全エネルギーとは静止エネルギーと運動量によるエネルギーの和から成り、一体化しているが互いに別形式で記述されるエネルギーである。エネルギーとしては揃えられるが、エネルギーの種類までは揃えられない別々のエネルギーである。静止している物体があるとする。この時の物体が持つエネルギーが静止エネルギーである。これは物体が存在するために必要なエネルギー、存在する事で持つエネルギーである。そして単に存在しているだけでなく動きを伴って発生するエネルギーが運動量によるエネルギーとなる。動きがないなら運動量によるエネルギーはゼロである。運動量を伴わない(運動量がゼロの状態)で運動量によるエネルギーが発生(エネルギーがゼロでない状態)することはない。また、保存則とは「流れ(流動)」の現象である。水槽に水が入っているとし、給水と排水が釣り合っていれば(バランスが取れていれば)水槽の水量は変わらずに保存されている。日本が誇る水田は給水と収穫後の排水を繰返して水の流れを作って塩害を回避する。塩害を招いた土地では作物は取れなくなる。有限の土地で農業を持続させる水の流れを持っている。エネルギーと運動量の保存則では水をエネルギーと運動量に置き換えて考える。そして、運動量の流れは力の発生も意味する。エネルギー保存則からエネルギーと力が成す仕事が釣り合うことも示される。エネルギーとは力を持ってして仕事を成して得られるのである。エネルギーと運動量と力は三位一体化して現れる。エネルギーと運動量だけでは不十分であり、力の存在も欠かせない。これらが一体化するところにテンソル(エネルギー運動量テンソル)として扱える根拠がある。必然的にテンソル記述される。全体のバランスには「流れ(流動)」が重要であることが保存則から理解できる。流れを止めないことが肝心なのである。絶えず流れを伴うことで全体のバランス、つまり対称性により保存則が成立して、限りある有限の環境において持続していけることが示される。宇宙も小さな範囲ではなく広く全体では一様等方性という対称性が成り立つことを補足する。銀河分布は一様ではなく、ブラックホールのように質量が集中しているところもあるのである。但し、正常ではブラックホールも有限を否定する特異点はないとされ、限界・限度を失う差異を発生させることなく問題ないのである。バランスとは広く全体で見ることが必須であり、有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)ことを前提にして真っ平である必要はない。

 

宇宙を記述する一般相対性理論の重力場方程式は対称性保存則を使って解く。

宇宙は対称性保存則を満たしているために有限を否定せずに持続可能である。

 

「お金」は企業を経営するエネルギーに例えることができ、起業など社会に存在するために必要な静止エネルギー「お金」と実際に活動して生まれる運動量によるエネルギー「お金」の2種類があって企業の経営は成立する。企業の現場が動いている状態は運動量に例えることができる。以下、企業の現場を動かす経営に携わることを「汗水流す」と表現する。経営者に限らない。現場を動かすステークホルダーは皆含まれる。エネルギーと運動量は一体化して連動していることから、「お金(エネルギー)」と「汗水流す(運動量)」も一体化して連動しており片方のみを取る事はできない。汗水流さない株主の場合は動いている現場に携わらないので、それによって生まれるエネルギー「お金(配当金や売却益として)」を得る事はできない。投資は静止エネルギー「お金」であり、運動量によるエネルギー「お金」とは別種類のエネルギーであって揃えられない。揃えられない条件は無関係となる。日常でよく聞く所得の話をすれば、例えば金融所得と給与所得は所得としては揃えられるが互いに所得の種類としては揃えられない。揃えられて比較可能な所得としては互いに関係があるが、金融所得と給与所得として種類別に分類した時に互いに揃えられない金融と給与の部分では、揃えられないという結論が出ているので比較の役割は終わっており、故に比較不可能であり互いに無関係となる。特殊相対性理論で静止エネルギーと運動量によるエネルギーは別々の項で別形式で記述されており、エネルギーとしては揃えられるので同じエネルギーの式の中で一体化して記述されているが、互いのエネルギーとしての種類・役割としては揃えられない。運動量によるエネルギーをローレンツ係数(ɤ)を用いて表せばエネルギーとして揃えられて一つの項にまとまり(ɤmc²)、これからエネルギー(お金)の増加は運動によるものであり、静止状態は無関係である事が明らかである。故に、汗水を流さない株主の場合は静止エネルギーは投じているが、運動量によるエネルギーとは無関係であり企業を所有するのみに留まるのである。現行の資本主義はこれを誤魔かして、資本家・株主(投資家富裕層)が静止エネルギーだけを投じて、無関係な運動量によるエネルギーを終わりなく求めて吸い上げる。資本主義の定義は無限に利益を追求する事である。比較の役割は揃えられるか否かを明確にする事であり、これから関係があるのかないのかも明確にされる。この分別を持って行動する事が平等関係の取り方である。そしてここで述べている事の本質は有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)、全体のバランス(調和)である。この根源的本質があらゆる分別を持つための規準なのである。以上から汗水流さない資本家・株主が無関係な運動量によるエネルギー「汗水流したお金」を吸い上げる行為は無分別による不平等行為、「いじめ」なのである。現場(経営や業務)に携わるステークホルダー(一般従業員)が汗水を流して株主の分まで働き「しわ寄せ」の対応をしているのである。現実、そうでなければ成り立たないので異常な不可能は明らかなのである。現場犠牲の姿勢であり、非正規の増加に見られる貧富格差として現れる。その精神負荷は甚大で、現場ではひがみ・妬みの「いじめ」を深刻にしている。特に上場はこのような異常な不可能を加速させることになる。株式に金融商品とした経済価値のみを求めるのではなく、社会価値(ESG)も考慮すれば十分ということではない。汗水を流して、その上で対称性保存則を満たすように自己利益のみを考えずにお金の流れを作って自社のみならず、時間発展する社会全体の経済バランスを持続させてこそ目指す正常なのである。現実社会は、これが出来ていないために持続していけないのである。現行の株式経営の在り方は抜本的に変えなければならない。寄付、融資では企業を所有して無関係な運動量によるエネルギー「お金」を終わりなく吸い上げることにはならないので問題なく、ソーシャルビジネスも良案であり、これらはグローバル社会でも通用する内容である。上場をしない従業員持ち株制度も一案として挙げておきたい。株を持つ事が異常なのではない。経営には静止エネルギーも必要だからであり、株式を採用するならば現場で汗水流す経営者を含めた従業員が株主となって運動量によるエネルギー「お金」を得る。このような経済の仕組みでは配当金は汗水流した黒字の利益から出るのでその本質は賞与であり、株の譲渡売却も社内限定での事業継承時に発生して、社外投資家を交えた株の売買による需給関係で暴利を吸い上げる事にはならない汗水流さずに現場から暴利を吸い上げる現行のグローバル資本主義の仕組みが地球全体のボトルネックなのである。日本国内のボトルネックでもある。ボトルネックに触れた上で枝葉の問題に触れなければ改善は「改善ごっこ」で終わるのである。地球全体の異常気象の問題クラスでさえ原因追及すればボトルネックはこのように汗水を流さない事で足る事を忘れるところにあるのである。ボトルネックに触れずに枝葉の課題に触れるだけでは美辞麗句を述べるに過ぎない。SDGsが典型例である。

 

企業活動は社会全体にエネルギー「汗水流す経営と一体化したお金」の流れを作っていかなければならない。過剰な社内留保は財務状況が良いことを示して、証券市場で投資家から高評価を得るが、そのように貯め込む一方では社会全体での流れを伴うお金のバランス(調和)を崩す事になる。成長はするが全体のバランス(調和)を崩さないように上限の頭打ちがあるのが正常である。身分格差是正を進めた上で賃金体系の見直しも行い、現場で経営に携わって働くステークホルダーに還元することで社会全体へ「汗水流す経営と一体化したお金」の流れを作っていく。低所得者の所得向上につなげることで消費は喚起され、連鎖的な「お金」の流れが形成されていく。これによって社会全体の経済的なバランス、つまり対称性が取れて有限である「お金」の保存則が満たされるのである。対称性・保存則の姿勢は「八つの決まり」の内容を満たす。対称性は外力作用で崩れてしまう。故に、社会全体の経済バランスが取れているならば、外力を作用させる必要はない。力の作用はエネルギーを表す。外力作用でエネルギー補填する理由は社会全体の経済バランスが取られていないことにある。紙幣(国債)の乱発が物語っており、円安にして「お金」の価値を下げる結果となる。富裕層国民の貯め込みで「お金」は流れを失い、対称性・保存則を否定した結果が今の日本経済である。世界にも言えるが日本は特に酷い状況だ。富裕層国民がせき止めた膨大な「お金」が実際に市場へ流れ出た場合には「お金」は価値を失う。単に増えすぎた「お金」を戻せば対称性保存則が取れるのではない。対称性、つまりバランス(調和)とは偏らない「なかほど」を表すので「お金」だけのことを考えてバランス(調和)が取れたとはならないからだ。多様性の中でのバランス(調和)なのである。これは「お金」を増やし過ぎて「物資、サービス」との需給バランス(調和)が取れなければ意味がないことを語るものである。富裕層国民優遇の税の空洞化が無ければ、消費税も不要であり、ファンド(投資信託)に頼らずとも公金で大切な研究開発資金も賄っていけたのである。異常気象、その他の負の反作用による物価高でも「お金」はさらに価値を失ってしまう。宇宙・自然が時間発展しながらも持続していけるのはなぜなのか。自然科学は単に技術的な文明向上に貢献するものではない。人の生き方、社会のあり方を学び取る教科書なのだ

 

汗水流さない株主による企業所有は、現場から富を搾取し貧富拡大を深刻化するのである。利益を一方的に吸い上げていく。自然のバランス(調和)を無視した利己主義で自然の富を搾取して異常気象も誘導してきた。「お金(エネルギー)」と「汗水を流すこと(運動)」は一体化している。現場で経営に携わって汗水を流すことで「お金」を得る姿勢が一体化による正常であることから、これが職業と呼ばれるのである。汗水を流すことを伴わなければ一体化のない異常であり職業とは呼ばれない。リスク(不確実性)は出資だけではない。経営責任の追及やリストラ「失業」など全てのステークホルダーがリスクを伴って生きている。ブラックホールの特異点の異常で述べた通り、正常と異常では一体化できないので株式経営の抜本的な改革内容を提示した。職業とは経営・業務に従事して汗水流すことを伴う根拠を、宇宙を記述する法則から述べた次第である。

 

従業員本人の希望とは関係なく低賃金の不安定な非正規採用で貧困所得の従業員を増やし、世界の国々が一体化していない異常を都合よく利用した途上国低賃金労働の使用で、海外にも貧困所得の従業員を増やし利益を吸い上げていては、全体の所得バランス(調和)を取っているとはいえない。貧困者を出すということは比較の限界を超えて所得の平等関係が成り立たない不平等関係を作り出すということである。正規化(正社員化)により所得を安定・向上させ、途上国に対しては地産地消の自立を促す。経営者には汗水を流さない株主(出資者)の利益を最大化させる使命があり、ステークホルダー全体の所得バランス(調和)を損なう異常となっている。さらに経営者は経営と業務に携わるが、分かり易く極端な場合を示して、経営者が個人または一族として100%株を保有しては、汗水流さない株主に配当金利益を吸い上げられる状況と変わらない。そして非正規の貧困者を出しては本末転倒である。株保有の偏り過ぎも全体の所得バランス(調和)を取らない異常となる従業員持ち株制度では大株主とその他株主の保有に大きな差異を発生させない。正社員として経営と業務に携わると同時に株主でもある。売却目的で株を転がすのは経営と業務に携わらない汗水を流さない者だからである。数十億円、数百億円以上の莫大な年収は株売却益から発生する。年収1億円以上からは、このような金融所得によるものが大概である。金融所得に依存しない高額所得者は極めて僅かとなる。

 

株に限らず、高額投資になるほど高額リターンとなっていく。このようにして貧富格差が止まらなくなっていく。立場の違いによる揃えられない所得差も企業毎に一様ではないが、非正規問題から貧困を発生させて、比較の限界を超える貧富格差をもたらすのは投資等の金融所得による場合が多い。

 

「汗水を流す(運動量)」で「お金(エネルギー)」を得る姿勢が一体化した正常を表すが、時間発展的(時と共に変化する)な全体のバランス(調和)を確保して有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」の状態を取る)ことを基礎としていることを忘れてはならない。「汗水を流す(運動量)」と「お金(エネルギー)」の両者で時間発展的な全体のバランス(調和)が取れて、限界・限度を超えない「なかほど」の状態が必須となる。限界・限度を超える場合は全体のバランス(調和)は失われている。星の重力平衡(引力と縮退圧のバランス)にてチャンドラセカール限界とTOV限界を例に挙げて超新星爆発のところで述べた。限界・限度が無く極限の一点まで収縮する発散状態が一般相対性理論の示す異常な特異点であった。一部の者に労働負荷を極端に集中させる場合(「なかほど」を無視して限界を超えた過労死、精神疾患の発症、自決する)や、一部の者にお金が極端に集中する場合(「なかほど」を無視して非正規従業員、貧困者、生活困窮者を多く作り出す)があってはならないということである。さらに具合の悪いことに、汗水を流さないので運動量によるエネルギー「お金」は無関係で得られないにも関わらず、エネルギーと運動量を分けた仕組みから、エネルギー大・運動量ゼロの株主、エネルギー微小・運動量大の現場という異常で不可能な現実がある。正常を満たす八つの決まりをしっかり理解することが大切である。時間発展していく全体のバランス(調和)を取るならば過重労働の過労死や低所得の貧困者は出さないのである。ここを保証しないためにバランス(調和)を取らずに労働や利益を一部の人に集中しすぎることになってしまうのである。足ることを知った人とは、このポイントを理解して実践できている人なのである。「決して欲は無く」が正確に意味するところとは欲を実質ゼロにすることではない。目標や夢を持って生きる活力として、欲は全体のバランス(調和)を取る「なかほど」の範囲で大切なものである。実質ゼロでも偏りすぎの極端で「なかほど」の範囲から外れることが分かる。有限の価値に囚われ足ることを忘れるとは、限界・限度を越えて「なかほど」を見失い有限を否定することである。全体を常に意識した状況判断なく、時間発展する全体のバランス(調和)は取られない自己利益、自己都合優先の資本主義の暴走では不可能なのは明白。

 

汗水を流して、お金を得ることが一体化してバランス(調和)が取られてこそ職業なのである。汗水を流さず利益を得れば、考えは利益を得ることに偏るのは当然である経営に携わっていても現場意識が希薄で、現場目線で考えない経営者の本質も同じである。ここは八つの決まり4)として正しい職業を述べているが、1)2)3)を否定する経営者も同じである。企業を都合よく利用して経営難にする。現場への利益を縮小して汗水を過多に流させるようになる。希望とは関係なく非正規で多くの人々を働かせる現状が物語る。利益を得ることに偏って囚われる生き方から、足ることを忘れ、自分だけ良ければいいという考えになっていく資本主義の暴走となる。エネルギーに偏る人(富裕層)と運動量に偏る人(貧困者)の貧富格差が止まらなくなる。年金格差、税金格差に見る富裕層による全体バランス(調和)への悪影響も、塵も積もれば山となり社会全体に深刻な貧富格差を生み出している。有限の価値(お金「エネルギー」の価値)に心を囚われていく。心の本質が理解できていない未熟さを露わにして自滅していく。

 

「お金」の力で社会全体を自滅の不幸に向かわせてきた生き方は大きな罪を背負い、時間をかけて自ら清算しなければ救われない。ここに平等が表れていることがわかるであろう。誰もが未熟さから罪を背負うが、社会全体に悪影響を及ぼす仕組みを誘発してきた人々の罪は、そのような仕組みの中で生活を強いられている人々の罪よりもはるかに大きいことは否定できない。自分さえ良ければいいと考えずに、お金の流れを作って社会全体の経済のバランス(調和)を取っていれば、経済の対称性保存則が取れていれば、本当に必要なところにお金を使って、自滅の危機対策が間に合っていたのである。

 

「食料自給率課題」は国だけが対応する課題ではなく、民間企業も取り組める課題である。2024年度で日本の食料自給率はカロリーベースで38%である。農林水産省の掲げる目標は2030年度にカロリーベースで45%としている。時間が間に合わないだけでなく、目標値も完全に足りていない。

 

かつての日本では汗水流して頑張る現場が主体であり、高品質・低コストの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれる時代があった。しかし、致命的な過ちの転換期となったのは、汗水を流さず、投資で利益だけを得ようとして失敗したバブル経済の崩壊だった。そこから株主と企業は保身のために非正規雇用を増やして現場を犠牲にしてきた。現場は企業の源泉であり、S3経済(共層、協創、競争)では土台の共層にあたる。土台の軽視と犠牲である。その結果が今の悲惨な現場を生み出して、日本企業はかつての勢いを失って経済の低迷から脱却できないでいる。この悲惨な状況に与党政権は企業のROE(当期利益/自己資本)向上に偏った失策でとどめをさしてしまった。現場で働く人々の利益に直結させるのではなく、利益を上げることが容易ではない経営者の弱みに付け込んで、自己資本を小さくさせるように誘導するのが実態だ。ROEを成す分母を小さくするように仕向けた。会社の自己資本すら株主に戻すように誘導したのである。資本の縮小は成長を損なうことにつながる。このように株主、投資家の短期的な目先の利益を優遇する内容なのである。この内容で成長戦力と呼んでいたのである。汗水を流す、正常の職業につく大多数の国民を誤魔かすことになる。富裕層優遇による税空洞化の穴埋めとしての消費税増税と同様、全体のバランス(調和)ではなく、成長分野に偏って株価を何倍にも急上昇させ貧富拡大をより深刻化させる機関投資家による株買いも悪の代表例だ。お金(エネルギー)を汗水流す(運動量)ことなく得る人生は足る事を忘れさせるのだ。自分の利益だけに囚われる。足ることを忘れた投資家と富裕層は汗水流す運動量は低所得者にしわ寄せし、お金の力で与党政権を自己都合で支配し(ROE向上に偏った失策の一例でも理解できる)、社会全体の対称性保存則を完全否定して、自滅する世の中が作り上げられたのだ。

 

自分が利益を得ることを目的に汗水流すことのない投資だけでは、企業の現場で働く人々を幸せにできないことは非正規の貧困問題や、そのような悲惨な現場で多発する「ひがみ、妬み」による「いじめ」問題で理解できる。汗水流さない株主・投資家のしわ寄せを受け止めている結果なのである。この核心的課題を教えることをせず、企業の現場を知らない学生に、単純に投資は企業を救うことになると教えてはならない。

 

最後に、

政権を握る与党政治家が資本家(投資家・富裕層)の利益を最優先・最大化させてきた政策の失敗に関して改善の指針を示す。「政治と金」に改善の指針を示す。

 

政策の理解を訴える相手が富裕層でなく、経済的にゆとりの無い人達ならば経済的支援を呼びかけることはできないが、最終目的は時間発展する国内全体の経済バランス(調和)を取って貧困者を無くし、衣食住で自立できる状態を持続していくことにある(八つの決まり「有限を否定しない決まり」を満たす)。経済的支援目的で共感者に訴える時の見返り前提は打算であり癒着に発展する。決して慈善的意味でのフィランソロピーとはならない。これは正常の誤魔かしの異常である。その根拠を八つの決まりから説く。八つの決まりが解く全体のバランス(調和)は有限を否定しない対称性保存則から成る。これは流れから対称性、つまりバランス(調和)は成ることを意味する。めぐりめぐってバランス(調和)は成ることを意味する。慈善活動は正常を満たして八つの決まりに準じる。よって当事者間の関係に決めつけることはできない。正常なら恩は相手に直接返すとは限らない。恩を受けた相手に直接返さなくても、別の関係者に与えても同じなのである。これが有限の中で持続可能にする流れの役割なのである。慈善的意味でのフィランソピーならば、支援を受けた相手に直接返すことに囚われない。癒着をフィランソロピーという言葉で誤魔かしているに過ぎない。癒着の根拠は、このように恩を受けた相手に直接返すことに囚われているところにある。全体の中でめぐりめぐる流れを否定することになり、全体のバランス(調和)を崩す行為となる。恩に限らず、自分勝手な仇も全体の中の流れによって自分に戻る事も自然法則である。全体を満たさない当時者間に限定しては自然法則を満たさないので異常なのである。全ての物事において全体の範囲を判断しなければならない。家族問題ならば全体は家族全員である。国会で扱う議題ならば全体の範囲は日本国全有権者である。

某与党と経団連間の関係に決めつけることはできない。

 

また、この説明によって次のことも明確に理解できる。

自分勝手な相手に直接仕返しをしなくても、遅かれ早かれ、今生、来世、輪廻転生過程の中で確実に本人へ反作用として戻る。よって、結論として復讐に意味はない。

 

宇宙と自然に正常の根拠を置き、政治と経済に限らず全てにおいて有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)ことで持続可能な社会を築かなければならない。これが正常を与える規準の物差しである。正常に準じた政策を選挙公約として訴える。各政党がそれぞれのバランス案を選挙公約として訴える。肝心なのは国民の顔を見て政策を訴えるのではない。政治家は全体のバランス(調和)を考える第三者の立場にある。故に、選挙では自己都合で投票する国民の顔を伺うことはしない。有権者は各政党が示す全体のバランス案の中から選んで投票する。全体のバランス(調和)を取ることから、有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)持続可能な社会を構築するところを共通目標としている。目指す社会の有り方は同じということ。異なるのは到達の仕方にある。登山と同じく、皆同じ山頂に至るが登り方は一つではない。

 

政治家は全体の奉仕者であり民間企業家ではない。迂回献金による組織票獲得のための顔色伺いがあってはならず、目指す山頂は最終的に揃えられるのである。政党毎の政策の違いは登山経路の違いに過ぎない。正常を満たす「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」に準じた社会では、最後には全体のバランス(調和)による持続可能な社会として揃えられる。そして、全体のバランス(調和)は時間発展して絶えず変化する。その変化にも柔軟に対応するのが正常な政治家という職業である。このように正常の物差しを持つことで多数の政党が乱立することは本来不要であり、統制が進んでも問題ないのである。正常を満たす政党どうしだからこそ一体化しても問題ないのである。正常を満たす政党どうしが一体化できるのは揃えられない細かな政策まで妥協で揃えているからではない。全会一致で一体化するのではない。全体の中での立場と役割を自覚することで、相手との関係で揃えられる場合も揃えられない場合の条件も認めて自己都合で誤魔かす関係は持たないことから、我を張らずに政策立案の役割を分担して進められる。大きな部分である最終目的は社会全体のバランス(調和)で揃えられるが、それは種々の細かな部分の政策立案から構成され、細かな部分まで全会一致で揃えることを一体化と考えるならば正常が理解できていない。しかし、一方は全体のバランス(調和)を考え、一方は経団連の自己都合を考えていては大きな部分である最終目的の社会全体のバランス(調和)から揃えられないので一体化できないのは当然である。前者が正常、後者が異常である。正常と異常では一体化できない。その原因は異常側にある。政党が乱立する多数決の民主主義でも現実は独裁的支配で八方塞になっている。民主主義だから全体のバランス(調和)が取れるのではない。全体のバランス(調和)を取る物差しに準じることが全てなのだ。宇宙・自然が示すバランス(調和)の物差し「八つの決まり(有限を否定しない決まり)」である。

 

以上から献金には依存せず、政党活動に足りる安定した政党交付金の給付が最も大切になる。政治資金規正法の抜け穴を利用した迂回献金(政治家の所属する政党や政治資金団体へ献金することについては認めている)を無くさなければならない。租税特別措置法に見るように、企業所有者である資本家(投資家富裕層)に対する税負担の優遇・軽減が戦後営々と築かれ続けてきた。所得税・相続税・贈与税・法人税等に表れる不公平税制の深刻化であり、その穴埋めは消費税増税とされる。社会保障・税一体改革により消費税率引上げによる増収分を含む消費税収は、全て社会保障財源に充てることとされているが、租税特別措置により税の空洞化を作らなければ消費税を充てる必要はない。政党交付金も安定させて充実させた給付ができる。研究開発費も充実させて資本家(投資家富裕層)を儲けさせるファンドも必要ない。経団連は消費税増税を献金している与党へ執拗に要望を出している。なぜならば法人税や所得税の不公平を無くして増税した場合、足ることを忘れた資本家(投資家富裕層)は全体バランス(調和)のために欲得を削がれ、正常化させられるからである。負担が増すというのは誤りである。本来、公平性を持って納めるものだからである。公平性、つまり平等とは宇宙全体を根拠とした正常から導かれる。それにより判断すれば、所得の多少関係なく一律に取る消費税は不平等となり、低所得者が「いじめ」の被害者となる。法律の穴を利用した迂回献金は、このような不公平を作る献金の禁止を名目に始まった政党交付金の意味を失わせている。また、政党交付金の給付を不安定にする国政選挙の得票率に応じて各政党に配分する得票数割も改めなければならない。得票率に政党活動が左右されてはならない。その根拠は、最終的に目指すところは同じく全体のバランス(調和)であり、政策案の違いは異常ではないからである。

 

「政治と金」に関して触れておきたい大きな不平等問題として、既に罰則の対象でありながら続けられている政治家の寄附行為もある。寄附を受け取った国民の罪を隠蔽するために使途は不明とされている。内部で寄附を監査(独立監視)する第三者部門の滑り止めを考慮して二重三重にする必要がある。憲法第50条の不逮捕特権は改正しなければならない。異常には限界・限度がないので問題にはきりがない。しかし、特に大きな不平等問題を上げた。

 

揃えられる場合も揃えられない場合の条件も、互いに認め合い譲り合って(出し合って)ワンセットで揃え、一体化の関係を持つことによって時間発展する全体のバランス(調和)を確保して有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)こと。これが持続可能への道である。

 

有限の正体は「悪」であり、その本質は「異常」なのである。この自覚があれば「お金」や「権力」を手にすることは美味しいことばかりか、大きなリスクを背負っていることを知るに至る。心の本質を問われて試されるのが人生なのであり、つまり体験を通して心の本質を知っていく亊が人生である。宇宙が創造されて以来私達は繰り返し肉体を持って産まれてきている。死後の苦しみの実在界(反物質世界)「注意1」で罪の清算をして、身に染みて心の本質が理解できるのである。体験を通して理屈として共感できるのが心の本質なのだ。座学だけで心の本質を理解して身に着くならば宇宙が創造される必要はなかった。囚われが解かれるには時間を必要とする。語りの理屈だけでは心に入らない本人のみならず、天上の実在界にいる心の兄弟、友「注意2」のためにも、死後、苦しみの世界で居残り清算することなく、肉体を持っている間に生き方を改めることができれば、と思うのである。例外なく皆、生まれてくる意味は心の本質を身に着けて成長することを目的としているのである。

有限の価値に囚われずに足ることを知り、自己都合を通さず時間発展する全体のバランス(調和)を取って多様性を確保する姿勢ならば、平等関係の取り方1)~5)を満足する事ができる。

「注意1」、「注意2」 : 具体的説明は次章(Ⅳ章)。

5)

自分の短所(異常)を長所(正常)に変えていく。

〇長所・・・人と協力する。助け合う。調和の生活。

〇短所・・・怒り、愚痴、でしゃばり、気取り、多弁、優柔不断、食べ過ぎ、他(長所に変えていくことにより、精神的、肉体的に健康になる)。

これによって、平等関係の取り方1)~5)を満足する事ができるようになる。

6)

夫婦、親子、兄弟、友人、隣人、広く社会への人々と助け合って生活する。人間関係の勉強であり、善悪をしっかりと見分けて悪に協力しない事。このように、

自分だけの都合に偏らずに全体のバランス(調和)を取って多様性を確保する姿勢ならば、平等関係の取り方1)~5)を満足する事ができる。

7)

目的を持つ時、自己保存ではなく、自分も人々も幸福になれるような事を考え実行する。目的意識は念であり、自分が考え行動しようとする時の源泉で、脳が考える以前に心が働いているという事。このように、

自分だけの都合に偏らずに全体のバランス(調和)を取って多様性を確保する姿勢ならば、平等関係の取り方1)~5)を満足する事ができる。

8)

自分の生活を反省する時間を設ける。

〇反省は、自分をいじめることではなく、自分も含め相手を許すこと。

〇間違いだと気づいたならば正していく。

〇心の器の広さは人それぞれ。自分の考えと合わないと悩まずあきらめる事。人生の責任は自分にある。

反省は自分の行いをみつめ自分の短所(異常)を長所(正常)に変えてゆくために欠かせない事であり、

これによって、平等関係の取り方1)~5)を満足する事ができるようになる。

 

次回は、Ⅳ章:全体の立場に立つ権力者「第三者」の重要性、についてふれてみたいと思います。

 

大自然には試験問題に見られる「ひっかけの罠」があります。心の本質である有限の凌駕を、しくじり体験から自覚できるように有限を否定してはならなくなっています。しかし、有限の価値に執着してしまうと自分の都合に偏り、時間発展する全体のバランス(調和)を無視して多様性を壊します。誤魔かしを重ね、都合良く自由と多様性を決めつけます。これが有限の否定(限界・限度を見失い「なかほど」を逸脱する極端)となり、弱肉強食の誤答を導いて悪に落ちます。有限の正体は「悪」であり、その本質は「異常」であることを、しくじり体験による心の苦しみから「ひっかけの罠」であると見抜き、有限の凌駕にこそ私達の本質があることを自覚します。「八つの決まり」とは根源的本質の有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)ことを。

 

2022年6月 

橘 菊