「八つの決まり」と「自然科学」の照合      【Ⅰ章(2)】

《平等関係の取り方》

 

(Ⅰ章)はじめに

 

 日常や社会にある問題、そして国際社会が取り組んでいる改善の場(フィールド)であるSDGs(Sustainable Development Goals)に至るまでを、正常を満たす「八つの決まり」から考察します。異常が比較の役割を誤魔かして「差別による不平等」を表すのに対して、正常では比較の役割を誤魔かさない「平等関係の取り方」を表します。「八つの決まり」に準じて考察するとは、「平等関係の取り方」に準じて考察するという事と同じです。両者は前回の「反地球からやってきた救い人【(2)】」で述べた大きな部分の本質において共に正常を表しています。有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)で本質は揃えられます。自然科学も大きな部分の本質は有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)で揃えられます。特に対称性保存則は有限環境の持続可能性を表します。互いに揃えられる大きな部分の本質が、細かな部分ではそれぞれの表現に置き換えられているだけなのです。強いて言えば、「八つの決まり」は私達の日常生活により近づけた表現となっています。

 「正常」を表現する際には内容に応じて多くの自然な言い回しがあります。「正常の表現」として前回触れていますが、どれが日常生活により近づけた表現として感じられるかは、個人差で揃えられません。しかし、自己都合に偏らない本質で揃えられています。つまり、本質は同じで矛盾が無く、互いの表現を置き換えても内容は同じです。「八つの決まり」を述べるにはどれを当てはめても良いのですが、私は「相手の立場に等身大で立つ」を選んでいます。揃えられるか否かの比較を扱う「平等関係の取り方」でも相手の立場に等身大で立つならば、比較の役割を誤魔かすことなく多様性が守られます。「平等関係の取り方」から「八つの決まり」が述べられるということです。

 誤魔かしの無い、真の比較の役割を示すために、自然科学に基づく客観的説明をします。全体のバランス(調和)を満たして条件が揃えられていないと比較が取れないことが明白に理解できます。揃えられない条件での比較は全体のバランス(調和)を満たさないために取れないことが理解できます。

 自然科学が示す比較の役割から「平等関係の取り方」をまとめて考察します。自然科学が示す比較の役割からまとめた「平等関係の取り方」は「八つの決まり」と比較照合すれば共に有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)本質が分かります。両者は互いに認め合い、譲り合って一体化することにより、細かな部分の表現が具体化されて、私達の理解を深めることができます。宇宙・自然を成す根源的に大きな部分の本質の正常から外れないことが肝心なのです。本質の正常を無視して細かな部分の表現で自分勝手を多様性にすることを自由とするところから異常(悪)が始まります。平等関係の取り方は有限を否定しない正常を前提にします。そのため自分勝手を多様性にしない自由とは平等を前提にしています。人類の歴史の過ちのすべてがこの過程で起こっているのであります大きな部分の本質は自分勝手であってはならないとするので整合性が取れずに矛盾します。大きな部分の本質の正常を前提として、細かな部分の表現に多様性を与えることで具体化されて正常の理解が深まります。対称性保存則も代表例の一つです。世界の現状や人々の生き方は多様性による細かな部分に表れます。自分が心で思ったこと、考えたこと、実際に行動したことが大きな部分の本質と整合性が取れているか否かを確認します。整合性が取れていない場合には思ったこと、考えたこと、実際に行動したことを軌道修正します。これが反省であり心の理解になります。自覚出来たということです。しかし、自分勝手を理屈で理解できた場合であっても行動を支配する感情が肯定的になる時間は人それぞれ違います。また、反省だけでは救われません。自らまいた罪の種は自分でからなければなりません。罪の清算という自業自得の苦しみがあります。だから、罪を溜め込まずに生きている時間に清算できる人生の方が良いのです。自覚なく涼しい顔をして正常を誤魔かし続ける人生では罪を抱え込んでしまいます。「八つの決まり」と「自然科学」の照合では宇宙の諸現象から時間発展性と有限の持つ限界の現実も合わせて語りたいと思います。

 地球全体から見たとき、法律・宗教・文化などで異なる人々から成る現代社会には統一された規準となる物差しが無い上に、生存競争による経済重視に偏った生き方から大自然の変調と不公平による貧富の拡大が深刻化し、富ある人は自分だけを守ろうとし、貧しい人は自分を守る事だけで精一杯という風潮が全体で高まっています(二極化)。その結果、世の中の動きが変えられなくなっています。生存競争による経済重視に偏った生き方は自分の立場のみを擁護して、相手の立場を軽視します。「八つの決まり」の姿『等身大で相手の立場に立つ』からかけ離れるほどに「不安定」となり、人々の「不安」は増し、社会の変化は失われます。

 

 例えば、「八つの決まり」を表す平等関係の取り方が実践され、全体のバランス(調和)が取れて有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)社会が実現しているとします。このような社会では一個人や一部地方や一部組織を見た時、バランス(調和)が取れていない場合がありますが、これは細かな部分で見た場合には異常もあり、これを撲滅することは不可能であり、大きな部分の社会全体では異常に揃えなければ良いということです。また、異常は大きな部分を構成する細かな部分の多様性には含まれません。大きな部分の本質が正常から外れないことが肝心であり、本質を無視して細かな部分の表現に自分勝手を多様性とするところから異常(悪)が始まることを述べた通りです。正常とは時間発展する全体のバランス(調和)が持続されている状態のことです。

 ところが現実では、大きな部分として地球上の社会を全体として見てもバランス(調和)は崩れて有限は否定され(限界・限度を無視)、異常な状態になっています。大きな部分でも正常に揃えられなくては持続不可能であり、限界・限度を超えた末期状態であります。利益を吸い上げて奪い取る資本家優遇の支配体制が200年を超える時に渡り続き、現在に至り、その自分勝手が地球全体で限界・限度を超えている末期状態なのです。今は世界の国々は一つに統一されていません。統一されていないのは仕方ありませんが、異常であり「八つの決まり」を否定しています。しかし、経済と環境問題は世界全体に影響するので世界全体の中で有限のお金を多く持つ者が自身の立場と役割を自覚して、お金の力を全体に行き渡らせなくては、改善は前進できません。行き渡らせるとは吸い上げた利益を戻すということです。経営や業務に従事して働いている皆に戻しなさいということです。皆、貧困になることなく生活しなければならないからです。

 

そこで、

Ⅱ章) 改善の進め方の基本、

Ⅲ章) 「八つの決まり」の理解を深める、

Ⅳ章) 全体の立場に立つ権力者「第三者」の重要性、

Ⅴ章) 日常や社会にある問題を考察、

Ⅵ章)SDGsの取り組みを考察、

Ⅶ章)最後に、

 

以上の流れでいきたいと思います。

 

平等関係の取り方はⅢ章にまとめます。大自然の仕組みは自然科学が学問として示す通り巧妙ですが、その巧妙さは細かな部分の表現であり大きな部分の本質は正常を表します。有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)として表されます。大きな部分の本質を表す正常な姿が秩序や道徳であり、それを日常生活で実践してゆくことが信仰です。大きな部分の本質は単純であり、信仰は、むずかしい学問ではない理由です。

 

 「八つの決まり」と「自然科学」の照合では、巧妙な大自然の姿から大きな部分の本質の正常が表される過程を科学的ストーリーとして語ります。正常から「平等関係の取り方」をまとめて、「八つの決まり」と矛盾しないことを示します。「八つの決まり」とは巧妙な自然法則の本質を「真」とし、自然科学を信仰の対象として日常生活で実践するものです。Ⅳ章で述べる内容でありますが、宇宙創造のエネルギー源は創造主の意識(心)によるものです。創造主の存在は科学者の間でも賛否両論に分かれますが、意識(心)の実体は自然科学で明らかにされて有限の否定ではなく、有限を凌駕した無限の世界が解かれます。故に、意識(心)の世界で「はじまり」や「おわり」を考える必要はありません。「卵が先か鶏が先か」という疑問は有限が前提にあります。自然科学を信仰の対象とします。そして、創造主こそが本物の神であることを断言します。

 秩序や道徳を日常において実践する際、細かい所までの欠点を洗い出すことなく大雑把に、そして失敗を許す反省の仕方をして行くということです。ゲーム感覚でクイズ問題を解くように、どのような問題に対しても、平等関係の取り方から「八つの決まり」が習慣となるように日常で反復練習をして行きましょう。詳しくはⅢ章以降で述べていきます。多くの問題に平等関係の取り方から答えを出してみてください。但し、平等関係の取り方を正確に理解していないと、比較の役割を誤魔かした不平等関係になります。Ⅴ章の例題も読み進めることでより理解し易くなります。大自然から社会全体まで、必ず何かと何かの関係によって成り立っています。

 比較の役割を誤魔かさない平等関係の取り方から「八つの決まり」を理屈で理解して、次に行動して、経験して答えが出た時が、心で理解したということになります。心が理解した分量が器量を大きくします。

 

八つの決まり5)を規準に、

長所は正常→人と協力する、助け合う、調和の生活、

短所は異常→怒り、愚痴、出しゃばり、気取り、多弁、優柔不断、その他となります。

 

 戦争、争いとは互いに異常の姿勢で向き合うハムラビ法典式です。「八つの決まり」から先手後手に関係なく異常であると判定されます。相手が異常の姿勢で来ても、一歩引いて争いを回避する柔軟な姿勢を取るのが正常です。無血開城も柔軟な姿勢の一例です。異常である戦争と揃えられるか否かは迷うことなく、揃えられないと判別できます。その根拠は異常の戦争と揃えれば影響の及ぶ全体のバランス(調和)を崩して自滅に向かわせるためで、有限を否定してはならず、限界・限度を守る「なかほど」が鉄則だからです。正常の立場なら異常の戦争とは揃えられません。正常の指導者は自分が取る無血開城の姿勢と戦争を仕向けてくる者の姿勢を見比べません。正常と異常は揃えられないので関係がなく自分は自分、相手は相手であることを自覚しています。見比べられないことを比較の限界から自覚しており、攻撃されたから攻撃で反撃するとは考えません。型にはめ、決めつけ、囚われた考えではなく、影響が及ぶ全体の時間発展的バランス(調和)を持続させるために柔軟な姿勢で最善の工夫を凝らします。異常と揃えられない事を誤魔かすことで争いになります。

 影響が及ぶ全体の時間発展するバランス(調和)を持続させるためには、生命と生活を第一優先に確保します。指導者の判断で応戦しても立場は後手加害者となり、国民も戦争という問題テーマにおいて異常者として自業自得の結果を歩みます。力と責任の大きさは正比例し、力が大きいほど異常に使えば「大罪」となります。

 経済と異常気象の悲劇は、世界の現状を作り上げてきた資本家達と権力者の大罪による自業自得の結果であります。各自の立場と役割に比例した罪の自覚無く救われる亊はありません。50:50のみが平等関係の取り方では無いことはⅢ章で説明します。お金の力が政権操作する世の中です。産業革命から構築されてきた資本主義社会はお金でリードされるので、お金を持つ者の意のままになります。現実は民主主義ではなく資本家独裁主義なのです。故に力と責任の大きさは正比例することから、お金で政府の政権を操る資本家達が大罪の中枢であります。政治献金(迂回献金)で政権操作される政治家にも罪があるのは事実ですが、罪の大きさは資本家達が圧倒的に大きいのです。メディアもスポンサーの資本家達を指摘できない立場にある不可抗力状態にあり、矢面の政治家が指摘報道されてもボトルネックの資本家達は涼しい顔のままなのです。現行資本主義では資本家達に都合良く従うように法律が仕組まれています。

 後手加害者とは被害者の立場を誤魔かした偽善者であります。応戦しなくても我慢だけして愚痴を放置しても偽善者になります。表向きは応戦していなくても、内心では憎しみを向けた応戦状態だからです。最後は愚痴が限界を超えて自滅します。何もせずに引くのではなく、争いを避けるために第三者に声を上げましょう。第三者が頼り無くても争いを避けるために最善の工夫をする柔軟な姿勢が正常です。争いを避けるために最善を尽くす者とは正常に生きる者であり、これが勇者の姿勢を表します。正常を満たす「八つの決まり」の生き方では、有限を否定する異常の誘惑に負けない勇気が試されています。罪の清算を棚にあげて「誰ひとり取り残さない」いうSDGsの共通理念には正常と異常の分別が無く、平等が理解されていません。

 

第三者は全体を生かす立場にあり、正常の生き方である「八つの決まり」を指導します。しかし、指導を聞き入れない異常者(加害者)は自滅して自覚する方法しか残されません。指導を無視する者「全体のバランス(調和)を無視して自己都合を通す者」は自滅以外に自覚する道はなく導くことはできませんが、第三者とは形式的ではなくバランス(調和)のために行使する力を持った存在でなければなりません。故に、国際連合では第三者にはなれません。第三者の立場になれる方々が「反地球からやってきた救い人」です。

 

「八つの決まり」とは、有限を否定しない(限界・限度を超えない「なかほど」)が本質ですが、今の社会の現状に汎用性高く対応できるような具体的補足説明も必要になります。Ⅲ章で行います。「八つの決まり」は日常生活に沿った表現を採用していますが、人の行動(考える、語る)の部分にこだわる必要は無く、自分・相手・第三者の表現も決めつける必要はありません。これによって1、2、3は汎用可、4、6、7は人間関係、5、8は自分自身のことになります。

 

現行資本主義の世の中は安く働いてもらう事に重点を置き、心の有り方、生き方に対してはコンプライアンスの定義を限りなく増やしていくだけの形式的な対応で心の本質は解かれず、職場では人手不足の社会事情もあって、自分勝手な者達をも必要としています。そして自分勝手な者達の悪態は尽きず、片目をつむっても収まり切らない最悪な所まできています。両目を閉じては生活はできません。未婚化による少子化は現行資本主義が生み出した貧困が原因であり、それが人手不足の原因になっています。

 

次回は、Ⅱ章:改善の進め方の基本 ~改善のロジック~、についてふれてみたいと思います。

 

2024年6月 

橘 菊