人間は皆、平等である

 

 余り有る財産は必要ないという考えの人と、財産は多く有るほど良いと考える人など、いろいろな考えがあります。働いた分だけ利益を得るのは当然ですが、例えば同じ仕事でも、すんなりと出来る人と容量を超えてこれ以上の仕事は出来ないという人もいます。この世では力量や心の器の違う人達で生活をしていますが、あの世(天国)は考え方や心の器の大きさが同じ人達でそれぞれの社会を成り立たせているので、もめ事はありません。そして、それぞれの社会から考え方や心の器の違う人達がこの世(現在は地球)に生まれて来ているのですから自分だけの考えを主張すれば、もめ事が起きて当然です。ならばどうすれば良いのか。

 

 この世で私達は生まれた時から肉体と意識が、ぴったりとくっついている為に肉体は自分の物ではないという事がわかりにくいのと同じで、自分の肉体と他人の肉体は別ものという感覚からすると自分以外は他人と思ってしまいますが、人間の霊魂は皆、兄弟であり神(大自然の意識)の前に人間であるという事が平等です。動物ではなく、植物でもなく人間であるという事。人間は真実を知っており善悪を判断する事が出来ます。そして、もっとも大事なことは人間はエネルギー(神の精)を生み出す場を持っているという事です。動物や植物はエネルギー(神の精)を生み出す場は与えられていません。人間は神の子であるという事は神(大自然の意識)そのものの心をそなわっているという事です。ですから動物などは人間には、なれません。そして普通は人間が動物になったりする事は有り得ないのですが、この世で人間で生活をするよりも動物の方がいいと強く心に思い、人間でありながら肉体は動物として生まれてくる人も間間あるようです。心(想念)での思うという事は実行につながるのだと知っていただきたいのです。また地獄をのぞいて見ると確かに人間でありながら姿は動物になっている人もいます。なぜ動物の姿になっているのかと言うと、動物のような心でこの世で生活をしていたからです。

 

 能力の差、美人、不美人、財産を多く持っている、地位がある等は、平等、不平等には関係がなく価値にはなりません。違いがあるから心を磨きあえるのです。例えば、Aさんは4の能力を持っており、Bさんは10の能力を持っていたとします。2人で14の能力の仕事をする事になった時、平等とはAさんが7、Bさんも7の能力を発揮する事ではなく、Aさんは4の能力を発揮し、Bさんは10の能力を発揮して協力し合う事が平等です。そして、それが調和です。その時、AさんはBさんが10の能力を発揮して当然だという思いではなく、Bさんに感謝の心になる事が大切です。生活をしていく為に必要な収入が5であったとするとAさんの収入は5以上でなければなりません。

 

 能力のある人や財産を持っている人は、自分の生活に満足しているのではなく困っている人々を助ける事によって心の器が大きくなります。しかし無償の心での実行が大切であり損得の考えの行動では心の器は大きくはなりません。神(大自然の意識)に生かされている事を忘れ、我を張り心を磨こうと思わない人もいるでしょうが人間は働く事は義務であり動物、植物、鉱物なども働きながら助け合う事により心を磨き高い意識へと進展していくように神(大自然の意識)が定めた私達の運命です。この世は心を磨く場所です。努力した分だけ心の器が大きくなり、差別なく人間(神の子)は皆、悟ることが出来るのです。

 

 神の子(人間)は神(大自然の意識)から分かれた時、それぞれ目的と任務が与えられました。神の子(人間)は動物や植物などを含め、この世(現在は地球)の環境を調和していくという義務を神(大自然の意識)から任されています。人それぞれ器量にあう役目をもっており、それぞれの立場で心を磨いていきます。

 

人間の価値を決める価値判断の規準
1、地球の大地は、人間のわがままな行動以外は、生物が行きていく為に守ってくれています。
2,水は気体・液体・個体の3つに変わりながらも分量が増えたり、いくら使っても減ったりする事なく、全体で見れば常に同量であり生物に生きる力を与えています。
3、太陽の熱、光のエネルギーは強くなったり弱くなったりせず、変わることはなく放射され生物が生きる事が出来ます。
4、空気は、生物の都合に合わせて増えたり減ったりする事なく、量は一定に保たれ地球の周囲を取り囲み宇宙空間に勝手に飛び出そうとはしません。
5、宇宙は、宇宙という空間、無限の広がりと統制があればこそ地球や太陽などが存在できます。生命の母体であり私達に知慧と創造を与えてくれています。

 

 要するに私達の日常生活から考えるてみると、食べ過ぎもよくないし、食べる物がなくて空っ腹もよくない。余りあるお金を持っている人、今日の生活に困るほどお金がない人など極端ではいけないという事です。

 

 生物界の殺生は神(大自然の意識)の意志です。自然を維持し生物間相互の生存を助け合い人間が生きていく為に。しかし動物などは生きる為に必要な物しか獲っていません。自由とは、自分勝手な事をするのではありません。「心と行い」を表現している自然の姿を見ると、個性を持ちながらお互いにつながりを持って生きています。見習う生活をしましょう。

 

「心と行い」には三つの柱があります。
1、大宇宙を支配している神(大自然の意識)は、調和の心で大宇宙を維持し続けている。価値判断の規準

2、命あるものすべて、あの世とこの世を行ったり来たりする事によって永遠の生命体を維持している。永遠に生き続ける 
3、人間、動物、植物、鉱物など、すべて命あるものは生かし続ける神(大自然の意識)の心と、お互いに許し助け合う事。共に生きる 

 

 この三つの「心と行い」を形作り、私達を生かし続けている実体です。
「心と行い」の正しさの基準は、自分も生きて、そして他人も助け、支え合い人間と地球が調和していく為の行動です。それが神(大自然の意識)の目的で日常生活で実践する事が価値です。地球を健康な体にしようとする考えと行動は、自分の心と体の健康につながるのです。人間と地球は一体です。

 

 心に遠い近いの距離をつくっているのは自分自身であり、神(大自然の意識)は私達から遠く離れた所に居るのではありません。今、この地球で生活している時間に「八つの決まり」を手本にして、悪かった事は反省をし、心の中で、神(大自然の意識)に「同じあやまちは繰り返しません、どうぞお許し下さい。」と詫びる気持ちが湧いてきた時、地獄に落ちることなく、ふるさと天国へ帰れるのです。言うまでもなく反省した事は実践していきましょう。実践しなければ反省した事にはなりません。極端ではなく「なかほど」の考えで調和し、そこに理屈は、ありません。


 民主主義の政治は何処へやら、また国民の意識はどうなっているのか、本筋からそれ出た民主主義。多数決で物事を決めるには解決とはならない現状の世の中。

 

「結論を出すのが政治家で、評論家や学者の方達とは違う」と言っている政治家がいますが、確かに現状の世の中が政治家の仕事の結果として表れています。企業との係わり方が重要で、しがらみばかりで複雑困難にしており、それでも当事者達は、お互いに協力していると思っているのでしょう。自分の考えは正しいと思っても、そうでない場合が多いのです。自分の不都合は隠し都合のいいように解釈させ、誰かの責任にしたり、たとえ人間のつくった法律や権力をもって正しいとしても、自然の法に反していれば、世の中は乱れるだけなのです。

 

 事なかれ主義や多数決に添った方がいいという考えで仕事をしている人もいるでしょうが、神(大自然の意識)は強制はしません。打算な考えで権力や経済を動かし社会を支配し続けようとしている現在。そして自然を汚し環境を壊す事により動物や植物が生きにくくなったり絶滅したりしている現在。親心(大自然の意識)が子ども(人間)の成長を見守りながら正しく導く為に叱る。それが動物などの異状な死や行動であったり、自然災害などの表現で、私達に迫ってきているのです。防災対策をするだけでなく、今こそ国民は立ち止まって考える時がきているのです。今までのやり方で良いのかと。ならば神(大自然の意識)は乱れた世の中を、どうして見過ごしているのだろうと思っている人もいますが、決して見過ごしてはいません。現代は、まさに見過ごす事の出来ない時期にあると言えます。

 

 今から約45年前、有る人物が本を出版し、講演などを通して、自然を汚し目先の利益だけを進めていくと、衣、食、住の危機に見舞われるだろうと警告してきました。今、まさに復活の時に入ろうとしています。

 

 神(大自然の意識)の存在を自覚する為に、これからは、この世から見ると神秘力と思われるであろう多くの奇跡や神通力を使った現象が、たくさんの人々の前に現れてきます。救世主を中心として正しい事をやる為の連帯意識をもち、物から開放され、心優先の時代にするという意識改革が日本から始まります。

 

2017年7月
橘 鞠